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Behind the Zero 03



名前と羽場は阿笠邸まであと少しの場所でタクシーを降りた。さすがに車内で事件の話をするわけにもいかず、阿笠邸までの僅かな距離を歩きながら今回の事件のあらましを説明した。

「まさか! 日下部さんが!?」

羽場の顔から血の気が引いていく。信じられないと呟いた。

「彼は正義感に溢れた人間です。だから私も協力者になったんです」
「自身の正義感に自信を持つのは悪いとは思わないわ。でもそれを絶対としている人間が本当に公平性を保てるのかしら」
「それは……」

司法修習生時代を思い出したのだろうか。羽場の顔が青ざめる。

「少なくても彼の正義に私は賛同できない。でも彼も私の正義には賛同できないでしょうね。だから人は争うの。どちらかが一方的に振りかざすのは正義じゃない。暴力よ」

名前の一歩後ろで羽場が立ち止まる。そのまま動かない彼を待つ間、二人の横を車が数台通り過ぎて行った。

「正直に言います。今のお話を聞いても、私は日下部さんの正義を信じています」
「それでいいわよ。わかっていて私はあなたを協力者にしているんだもの。気持ちと行動が一致していないのは、あなただけに限ったことじゃない」

再び歩き始めた名前の後ろを羽場がついて来る。丁寧に説明して彼を納得させたいが、それができるだけの言い訳も時間も名前には与えられていなかった。だから真正面からぶつかるしかない。阿笠邸の門が見えたところで立ち止まり、羽場を振り返る。

「あなたは私の協力者として十分に役に立ってくれている。NorのシステムがNAZUにあることを探り当ててくれてありがとう。この情報で捜査はかなり進展したわ」
「ありがとうございます」
「それなのにこれから私はあなたにとても酷い仕打ちをする」

指先が冷たい。喉が引き攣りそうだ。だが名前は何一つ覚らせない表情で告げた。

「今夜だけ羽場二三一に戻ってほしいの」

公安警察は彼にこれまでの一切を放棄させた。
息子は罪を犯し自殺した。両親にはその事実だけが残り、悲しみに暮れて余生を過ごす。決して会いに行くことは許されない。
母校も馴染みの店も友人も恋人も失った。自分の本当の名を口にすることも二度とない。与えられた名で公安警察に繋がれたまま生きていく。
彼にそれを強制した公安警察が、今この時だけ元の名前に戻れと言う。

「公安警察の都合で振り回しているだけ。あなたは罵っていいし、恨んでいい。でも拒否はできない」
「……私はあなたの協力者ですから」
「ありがとう」

ちゃんと笑えたはずだ。笑い方は身体に染み付いている。
急いで準備をしなければ。この時間も『はくちょう』は近付いている。降谷がいるだろう警視庁に向かって。
 

□ □ □
 

全てのモニターが切られて黒くなる。大役を終えた羽場は大きく息を吐いた。
子供たちは『はくちょう』が見られなかったと言って悔しがっている。重大な任務をやり遂げた彼女たちを微笑ましく見守っていると、こちらの視線に気付いた歩美がズンズンと大股で歩いて来る。

「ケイさん! この男の人とどういう関係!?」

勢いよく指を差された羽場はいきなりのことに困惑している。

「どういう関係……って。言ったでしょう。私はコナン君に言われて案内しただけよ」

最初にここへ来た時に名前はそう説明した。コナンに直接は言われていないし、頼んできたのは降谷だが、嘘ではないだろう。
すると歩美だけではなく光彦と元太までもが「よかった〜」と声を揃えた。

「ボク達はてっきりケイさんが別の人と付き合うことにしたのかと」
「安室の兄ちゃんハッキリしねーもんな!」

安室透と待田ケイが日頃子供たちにどう思われているのか垣間見えた瞬間だった。元太までこの言いようだ。苦笑していると見兼ねたのか阿笠が「君達は家に帰るぞ」と促してくれた。

「本当にその姿で過ごしているんですね」

隣に立っていた羽場が小さな声で呟く。
阿笠邸に来る前に、タクシーを降りた名前はまず公園のトイレに入った。そして数分後に外で待たせていた羽場に声を掛けると目が飛び出るくらい驚かれた。
探偵団のメンバーがいるところへ苗字名前の姿ではまずかったのだ。
羽場には詳しくは説明しなかったが、絶対に苗字名前の名前は出さないようにとだけ念を押した。

「待田ケイさん、ですか。あなたは別の名前に慣れるまでどれくらいかかりましたか?」

彼は名前の過去を知らない。だからあくまで変装して偽名を名乗っていると思っての問いだろう。

「結婚したり、芸名を使ったり。別の名前を使っている人は少なくないと思う。本当に辛いのは、名乗っていた名前がなくなること。それを名乗っていた自分が消えることじゃないかしら」

「……そう、かもしれません」

羽場がこの一年、どんな気持ちで新しい名を口にしていたのかはわからない。
だが、新しい名前を名乗る度に増していく喪失感を名前は知っている。

「いつ慣れたかなんて、他人を参考にしても意味がないわ。だって羽場二三一の人生はあなただけのものだったんだもの。失った悲しみも、与えられた苦しみも、あなたにしかわからない」

言い終えてからハッとする。もしかすると突き放すように聞こえたかもしれない。だが羽場から返ってきた言葉は正反対のものだった。

「まるで経験したことがあるみたいに言うんですね」

初めて会った時から今日まで、羽場の表情は常に暗い影を落としていた。自分の人生を奪った公安警察相手なのだから当然だと思っていた。

「先程も言いましたが、私はまだ日下部さんの正義を信じています。ですが、あなたの協力者になれて良かったです」

そう言って羽場は笑った。少しだけ恥ずかしそうに、少しだけぎこちなく。
だから名前は敢えてその名を告げた。

「今日はありがとう。これからもよろしく。――」
 

□ □ □
 

薄暗い病院の廊下に足音が響く。面会時刻は過ぎているが報告もあるからと特別に入れてもらった。メールで送られてきた病室番号の前まで来ると控えめに二回ノックをした。もしかすると寝ているのではないかと思ったからだ。だが中からは「どうぞ」という返答の声があった。
部屋に入ると起き上がってノートパソコンを広げていた降谷と目が合った。

「ガラスに体当たりしたって聞いたけどピンピンしてるわね」
「受け身を取ったから頭は打ってない。念のため撮ったレントゲンも異常なしだった。出血も止まっているし、そもそも上着のおかげで傷も深くない。大袈裟なんだ」
「打ち身と軽度の火傷多数でよく言うわよ。とにかく今晩こそ入院だからね」
「明日の午前中に退院できるように手配してくれたか? ポアロのシフトが入ってるんだ」
「恙(つつが)なく。探偵事務所にも行って蘭ちゃんの様子を見て来てね」

着替えの入った紙袋をサイドテーブルに置いた。コンビニで歯ブラシなどを買うついでに買ったお茶を冷蔵庫に入れておく。
そしてベッド脇の丸椅子に腰掛けてタブレットを取り出した。

「それじゃあ風見さんは後処理に追われてるから私から報告するわね」

テロの犯人は捕まえたが、爆破されたサミット会場に加わったカジノタワーの損壊。警視庁公安部は当分休めそうにない。引き続きの建物周辺の封鎖。NAZUとの交渉。日下部の取り調べ状況や、報道内容の統制。降谷は名前の報告を最後まで口を挟まず耳を傾けていた。

「羽場は?」
「もう羽場二三一はいないわ」
「……そうだったな」

名前の意図を汲んだ降谷はそれ以上を問わなかった。
こんなことは二度とさせたくはない。だが必要になれば、また名前は彼に羽場二三一に戻れと告げるのだろう。

「橘鏡子の方は」
「当分の間の監視は手配した。報告は私に挙げてもらおうとしたけど風見さんが譲らなかった」
「アイツはアイツで責任を感じてる。好きにさせてやれ」
「橘鏡子の報告に一喜一憂するようだったら取り上げるから」
「ああ。それで問題ない。しかし……彼女の叫びは痛かったな」

名前も屋上の様子を羽場とは別のモニターで見ていた。
強い信頼で結ばれているはずの公安と協力者。だが公安警察は彼女の嘆願を聞き入れてくれないどころか彼を自殺させてしまった。
愛したはずの彼は公安検事の協力者だった。彼女の弁護士事務所に勤め始めて以降のことだ。
彼女は信じていたはずの人間に悉く裏切られている。
あの叫びは自分だけは自分を信じているのだという彼女の矜持だと名前は感じた。

「『私の人生全てをあんた達が操っていたなんて思わないで』だったわね」
「君もそう思ったことがあった?」

降谷の眼は子供を宥めるように優しい。新しい自分の名前を受け入れられなかった頃の名前に問い掛けているのかもしれなかった。

「……なかった、と言えば嘘ね。実際、私はあの日選ぶことはできなかった」

橘鏡子に言わせれば公安に操られたのだろう。有無を言わせない選択肢の強制は往々にしてある。そして強制させられるだけの力を持つ者もまた存在する。今の名前たちのように。

「思い上がってしまえれば楽になれるかも」
「……まぁ、君は無理だろうな」

名前の頬を降谷の指が撫でる。触れた部分から熱が上がるような錯覚がする。いいや。錯覚ではないのかもしれない。
ひたすら撫でるのを繰り返す降谷を睨んで「そう言えば」と続ける。

「降谷の愛車も回収したわよ。何度も修理に出すくらい気に入ってるならもっと大事に乗りなさいよ」

降谷が名前の髪を梳くって眉を下げる。

「僕は大切なものを傷付けてばかりだ」

一年前、彼は羽場二三一を名前の協力者にしてほしいと言った。
公安検事の協力者を二度と作らないために。そして羽場自身を救うために。
名前は彼の死亡手続きと、新しい戸籍の用意をした。かつての『苗字名前』がされたように。
降谷は古傷を抉ってしまったと思っているのだろう。しかし名前を奪われ、別人として生きる。その意味の本当の重さを最も知っているのは名前だ。
だから他の誰でもなく自分を指名してくれた降谷に感謝している。

「降谷だって傷だらけよ」
「……違いない」

タブレットをしまって冷蔵庫からお茶を取り出す。一口飲むと、横から降谷が手を伸ばして奪っていく。次の瞬間にはペットボトルの中身は空になってしまっていた。

「報告ありがとう。忙しい中悪かったな」
「そうよ。本当なら私だって後処理に追われて必死なはずなのよ」
「はず?」
「降谷、ここ数日ろくに寝てないでしょう。だから今晩はあなたが仕事しないで寝るように見張ってるのが私の仕事なんですって」
「まさか、あの人が言ったのか?」
「そうよ。あの厳つい顔で言ってたわ」

想像し難かったのだろう。珍しく困惑した降谷を見られた。

「せっかく名前がいるのにただ眠るのはもったいない……って言いたいところだけど、寝てないのは同じだろう?」

そう言って降谷がベッドの半分を開けるので、名前は遠慮なくそこへ身体を潜り込ませる。
すぐにでも眠気は襲ってきそうだったが、何となくまだ話していたくて上体は起こしたまま事件とは関係のない話をした。
この前ポアロで梓と一緒にショッピングをする約束をしたこと。
蘭と園子のテスト勉強に付き合ったこと。
もうすぐコナンの誕生日があるのでプレゼントを用意するつもりのこと。

「そう言えば、コナン君に彼女はいないのかって聞かれたよ」

ここ数日の状況でいつそんな話題をするタイミングがあったのだろうか。そもそもコナンは安室透と待田ケイがただの友人以上の関係であるのを知っているはずだ。

「零、 あの子のこと揶揄ったんでしょう」
「あれ? 僕にも盗聴器が付いてたかな」

図星だったらしい。コナンもよくこの男に言い返せたものだ。

「それで? 何て答えたの?」
「『恋人はこの国』だって言ったよ」

彼女は募集中であるとか、彼女になってほしい人はいるんだとか面倒になりそうな回答でなかっただけいいのかもしれない。少々気障な気もするが。

「恋人には尽くすタイプなのね。知らなかったわ」
「嫉妬してくれないのか?」
「私は恋人になりたいわけじゃないもの」
「尽くすだけじゃない。命を懸けていると言っても?」

急にトーンの落ちた声に、ハッとして隣を見上げる。

「僕は君のために死ねない」

今日だけでも何度も命の危険があった。
自ら警視庁の屋上でカプセルを待ち構えた。無茶な運転をし、コナンを守るために自分が縦になりガラスへと飛び込んだ。それが最善であるのなら名前も同じことをするだろう。
死ぬ理由なんて大層なものは求めていない。だた、この国を、国民を守るために自らの命より優先するものが二人にはある。
目をそらしそうになった名前の顎を降谷の手が止める。

「名前、僕は君のために死ぬことはできない。でも、君のために生きるよ」

何も変わっていない。二人の間にあるのは生きていく約束だ。
そのために今日まで戦ってきた。明日も、明後日も続くだろう。途中で失うものはある。もしかすると、それは片方の命かもしれない。
それでもいい。望むものは共に生きていく未来。それしかないのだから。

「……そんな顔しないでくれ」
「どんな顔よ」
「今すぐ押し倒してぐちゃぐちゃに甘やかしてやりたい顔」
「駄目だからね!?」
「駄目って言ったってそんな可愛……あ、そうだ」

降谷がベッドの上部に手を伸ばした直後、部屋の明かりが消えた。

「これなら見えない」

耳元で囁く声に思わずのけ反った勢いのままベッドに押し倒され、チュッという軽い音が唇から漏れた。そして大きな手がゆっくりと名前の頭を撫ぜる。瞼が重い。強張(こわば)っていた身体が弛緩してく。しばらくすると覆い被さっていた降谷の気配が隣に移動した。体温が離れたのが惜しくて無意識に追う名前を、クスクスと小さく笑って抱き寄せる。

「名前、おやすみ」

規則正しい降谷の鼓動が伝わる。生きている。
名前のために生きてくれるのなら、これは名前だけの子守歌だ。
安堵の息を吐き出すと、名前は静かな夜に沈んでいった。



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