初日の出
携帯の着信音で目が覚める。呼び出しかと思いディスプレイを見れば、そうではないことがわかり一気に眠気が戻って来た。
「何時だと思ってるの」
「5時前だ」
電話越しの降谷の言葉に溜め息をつきながら身体を起こす。室内はまだ暗い。5時前だと言うのは本当らしい。
「駐車場にいるから着替えて出て来てくれ」
「冗談でしょ?まさか出掛けるの?」
「今日が何月何日かわかってないのか?」
「久しぶりの私の有休よ!」
そうは言っても降谷が譲らないことを知っている名前は渋々準備を始める。温かい格好であればいいと言う降谷を信じ、薄いメイクだけをしてコートの下にモコモコのセーターを着こんで部屋を出た。
名前を寒空の下に晒した犯人は宣言通り白いRX-7の運転席でコーヒーを飲んでいる。
「まさか初日の出を見に行くとか言わないわよね?」
乗り込むなり詰問した名前へドリンクホルダーに置かれていたもう1つのコーヒーが手渡された。
「今日は1月1日だ。こんな早朝に出掛ける理由が他にあるか?」
アクセルを踏み込む降谷は本気の顔だ。スーツ姿なのを見る限り仕事を終えて直接来たこともわかった。名前は諦めて温かいコーヒーを喉に流し込んだ。
□ □ □「さっっっむい!!!車内じゃダメ!?」
「早朝の空気を味わってこそだろう。ホラ、出て来い」
腕を掴まれて無理やり外界に引っ張り出された。
吐いた息が白く色づいて広がる。冷たい空気に触れた肌がピリピリと痛い。両腕で自分の身体を抱きしめていると、隣で降谷の苦笑する気配がする。
「そんなで張り込みの時どうしてるんだ?」
「仕事の時は緊張感もあるし気を張ってるから寒さは二の次なのよ」
「嘘だよ。わかってる。風邪ひかないようにコレしてて」
ふわっと首元にぬくもりを感じる。名前の首には見覚えのある降谷のマフラー巻かれていた。温かさとマフラーに残る香りで、降谷に抱き締められている錯覚に囚われる。別の意味で身体が熱を持ってしまいそうになり、慌てて首を横に振って打ち消した。
「あと何分くらい?」
「もうすぐだよ。ホラ」
降谷が指差した先、山の向こう側の空が徐々に明るく照らされ始めた。ゆっくり、ゆっくりと広がる夜明けの裾野を2人は黙って見つめる。そして現れた強烈なまでの光の大群に思わず目を細めた。
「綺麗」
「ああ。綺麗だな」
思わずこぼれたありきたりな感想に降谷は笑うことなく静かに頷いた。
ようやくその姿を現した太陽はさらに時間をかけて上を目指して昇って行く。
「明日も明後日もこうやって日は昇るのよね」
名前の呟きに降谷が振り向く。
「日が昇るのは当たり前のことなのに……。特別じゃないことがこんなに綺麗なんて、やっぱりこの世界は素晴らしいわ」
日が昇ったからだろうか。それとも心の持ちようだろうか。もう寒さは感じない。別の何かが名前の胸を満たしていた。
「初日の出だからこそ美しいと言う人もいる。でも君は当たり前だと言い、それでも美しいと思えるんだな」
新しい年の初めに見る日の出が美しく見えるのは決して悪いことではない。しかし明日も明後日も同じように日は昇る。名前たちが見ていても見ていなくても、その美しさに変わりがあるはずもない。いつだってそこに存在しているのだ。
(でも見ないと……見えないとそこに存在することすらわからないのが人間だから)
それが愚かだとは思わない。だがそれを自覚した人は自らを愚かだと思うのだ。
「私にも元旦補正はあるわよ。いつもだったら日が昇るのを見て『ああまた徹夜だった』ってゲンナリしてるもの」
「あはは。違いない」
ふざけてごまかした名前を降谷は笑って受け入れた。
「降谷。連れて来てくれてありがとう」
名前が微笑んだ先では、やはり降谷が穏やかな顔でこちらを見ていた。せっかく綺麗な日の出が目の前にあるというのに。
首に巻いたマフラーの端を降谷が掴む。軽く引き寄せられたので、名前は身を任せて目を閉じた。名前の唇に降谷の冷たいそれが重なり、軽く触れるとすぐに離れていった。
「さて、帰るか。名前の雑煮が食べたいしな」
普段は降谷が作ってばかりだが、年明け1番には名前の作る雑煮が食べたいのだと降谷は言う。だから今年も名前が食材を買って準備していることもわかっているに違いない。
「名前。あけましておめでとう。今年もよろしく」
「こちらこそ。今年もよろしく」
本当は今年だけではなく、来年も再来年も。日の出と同じようにそれが当然になることを名前は願っている。
腕をギュッと組んで甘えれば、降谷は破顔してもう片方の腕で名前を抱き締めた。