はじめまして
潜入先での仕事を終えて帰宅する途中、降谷から着信が入った。
「今帰るところか?」
週末の駅前だ。周囲の喧噪が電話越しに伝わったのだろう。名前の状況を即座に理解した降谷は、質問の返答の前に端的に用件を述べる。
「悪いんだがこれから安室の家に行ってくれ」
「……は?」
名前が反応した時にはすでに通話は切られていた。
□ □ □「アン!」
玄関を開けるとつぶらな瞳が名前を見上げていた。
どちらの名前にするか迷って、名前は笑う。
「君がハロ君ね。はじめまして。私は苗字名前よ」
「アン!」
千切れんばかりに尻尾を振って名前の足元に絡みついてくる。人懐こい子だ。白い毛並みはよく手入れが行き届いている。
少し前からこの家の同居人(?)になったハロのことは降谷から聞いていたが、対面は今日が初めてだった。
「君のご主人が急に帰れなくなっちゃったのよ。風見さんも今日は有休だし。だから私で勘弁してね」
一方的に切られた電話をしばらく見つめた後、名前は自宅へ向かっていた足を安室の家へと変更した。余程の急ぎの仕事があったのだろう自分を納得させた数分後に入ったメールには、愛犬・ハロの餌についての詳細が書かれていた。
「うっかりご飯の準備をせずに家を出ちゃったのね」
指示通りのものを皿に載せるとハロは勢いよく食べ始めた。名前も冷蔵庫を覗いて食材を拝借する。簡単に作った食事を終えると、それを待っていたかのようにハロがリードを咥えてきた。
「まさか散歩?」
「アン!」
夜のランニングを兼ねての散歩だと理解する。
「これは予想外…」
散歩はいい。だが名前は着替えを持ってきていない。自宅に寄る間もなくスーツのままここへ来た。降谷の自宅なら多少ある名前の服も、生憎安室のセーフハウスにはない。
「適当な服借りるしかないか」
さすがにスーツのまま散歩はできず、クローゼットを漁ってTシャツとハーフパンツを借りる。もちろんブカブカだ。ハーフパンツはウエストをベルトで締めた。幸いなことにTシャツも大きいのでベルトは隠れた。動きにくさは否めないが背に腹は変えられない。
「じゃあ行こうか、ハロ」
「アン!」
飛び跳ねるハロの頭を撫でて1人と1匹は家を出た。
□ □ □散歩コースはハロに任せた。なかなか重厚なコースだったが名前も公安の人間だ。そこらのデスクワークの男性よりは格段に体力はある。
「アン!」
ハロが満足して木馬荘へ戻るともう時間は0時を過ぎていた。どれだけトレーニングしているのかと、汗だらけになりながら内心でバディへ悪態をついた。
ハロの足を拭いていると、小さな耳がピクリと揺れた。
「アンアン!!」
ハロが目にも留まらぬ速さで玄関へ走って行ったのと、鍵が開く音がしたのは同時だった。飛びついて来た愛犬を、降谷は目を細めて受け止めた。
「ただいま、ハロ」
「アン!」
微笑ましい光景を見守っていると、ハロを撫でる手を止めた降谷と目が合う。
「突然すまない。ありがとう、名前」
「…おかえり」
「ただいま」
降谷の手元を離れたハロが再び名前に飛びついて来る。フワフワした毛並みのハロを抱き上げる名前の姿を見た降谷は目を丸くした。
「散歩まで行ってくれたのか」
「こんな可愛い子におねだりされたら無下にできないでしょ。まぁあの散歩コースには驚いたけど」
「名前なら余裕だろ?」
「喧嘩売ってる?」
「ハロ、良かったな」
「アン!」
2人の顔を交互に見上げていたハロは、名前を呼ばれたことが嬉しくて更に尻尾を大きく振った。
「ハロって人懐こいのね。私、全然吠えられなかったわ」
「ああ。それは名前だからだよ」
どういうことかと視線で問い掛けた名前の耳元に降谷が唇を寄せた。
「僕が名前の匂いをつけて帰ってくるから」
耳朶に吐息がかかる。反射的に身体を離すと、降谷が艶っぽい笑みを口元に湛えていた。
そして名前の腕からハロを取り上げる。
「ハロ、そこは僕の場所だから」
首を傾げるハロを床に下ろすと、降谷は先程までハロがいた名前の胸の谷間を指でなぞった。
「彼シャツじゃなくて彼ジャージか。これはこれでいいな」
「彼じゃないし」
「汗で透けてる」
「……マニアック」
「どうとでも。シャワー浴びるだろ?」
当然のように一緒に入る気でいる降谷に大人しく手を引かれる。ハロはそんな2人の後を追うようについて来るが、バスルームの扉の前で主によって止められてしまう。
「ごめんな。でもハロにも聞かせるわけにはいかないんだ」
ハロを優しく撫でた降谷がバスルームの扉を閉じると、名前はその頬を引き寄せた。