初体験
『あっつーい…』


今日は午前で終わりだから気合いを入れて頑張ろうと意気込んでいた美麗だったが、その意気込みもわずか数分で灰になる。
冷房の効いた涼しい部室から出ると、太陽がジリジリと照り付ける。暑いのが苦手な美麗は一瞬で部室に戻りたくなった。
だが、跡部達はこの暑さの中でも汗だくになりながら頑張っている。自分も頑張らなくては、と思うのだが。


『あーづーい゙ー!!』


やっぱり暑い。暑いよーと唸りながら、ドリンクの準備。それが終わると洗濯を取り込む。
30分くらい前に干した洗濯物がもうカラッカラに乾いている。さすが夏。洗濯物がいっぱい干せるわ!とちょっと嬉しくなる美麗はん?ふと思う。さっきの発言は主婦みたいじゃないかと。雨の日は洗濯が出来ないから、溜まった物を一気に洗える開放感。天気がいいとまず思うのが洗濯物がよく乾きそう。
…完璧に主婦である。マネージャー業をやり始めて、美麗は主婦になりかけていた。
この歳で主婦!?と眉を潜める美麗だったが、まぁ、別にいっか。と開き直る。


『主婦は主婦で主婦なりの楽しみがあるしね。…そう考えると主婦もいいわね…将来の夢は主婦!…うん、いいかも。』
「「……(声かけづらいな…)」」


さっきから後ろにいた日吉と鳳は、美麗に声をかけるタイミングを見失っていて、どうしたらいいのかわからず顔を見合わせていた。すると、洗濯物を畳んでいた美麗がようやく気配に気付き振り向いた。


『うわ!?いつからいたの!怖いじゃない!』
「「……けっこう前からいたんですけど。」」
『…え…もしかして聞いてた?』
「……はい。」
「最初から最後まで聞かせてもらいました。」


うあー…と頭を抱える美麗に鳳がすかさずフォローを入れる。


「せ、先輩ならきっと立派に主婦を勤められますよ!な、日吉!?」
「…(なんで俺に振るんだ!)」
『…そう?』
「はい!きっと!」
『…ありがと、長太郎。で?何しに来たの?』
「あ、えっと、タオルをもらいに…」
『あぁ、タオルはあそこにあるから皆の分も持っていってあげて。』
「はい。ありがとうございます!」


二人はタオルを持ち、コートに戻って行く。
一方、美麗はルンルンとご機嫌で残りの洗濯物を畳んでいた。鳳の言葉に、何故だか無性に嬉しくなったのだった。

ようやく部活が終了し、それぞれ涼しい部室で涼んでいるとき、向日が、あー…暑ィ…なんか涼しい場所行きてーなぁ。と呟いた。その言葉に、忍足やジローも同感。


「…涼しい場所…」
『どっかある?』
「…あぁ。とっておきの場所があるぜ。」


跡部はニッ、と笑い向日達に行くか?と問いかける。
躊躇う事なく行く!と答えた向日の目はキラキラ輝いていた。
そうして、レギュラー陣と美麗は跡部が言うとっておきの涼しい場所へと向かった。


『…とっておきの場所って、ここ?』
「あぁ。涼しいだろ?」
「すっげー涼しい!最高だな!早く行こうぜー!」


はしゃぎながら先に行く向日とジロー。走ったらあかん!と慌てて二人を追いかける忍足。宍戸と鳳は、久しぶりに来ましたね。そうだな。とのんびり会話。日吉ははしゃいでいる二人を見て相変わらずだな、とため息。美麗はというと、ただただ呆然と前方を見つめていた。


「どうした?美麗。」
『なんでここなのよ。もっと他になかったの?』
「涼しくていいじゃねーか。」
『…嫌がらせか。』
「…フッ。」


目の前に広がるのは広いスケートリンク。氷帝レギュラー陣がやってきたのは東京内のとあるスケート場。このスケート場は跡部財閥が所有するものの一つで、美麗達は特別に無料で滑れる。
一面氷であるスケートリンクは確かに涼しい。だが、美麗はスケートは滑った事がなかった。人生初の体験である。
普通なら楽しみだと喜ぶ場面なんだろうが、美麗は焦る。

遠くで、「##NAME1##先輩はきっと綺麗に滑るんでしょうね。」「だろうな。アイツに出来ないスポーツなんてなさそうだし。」「プロ並だったりしてな!」と、かすかに聞こえてくる期待の篭った声があるから。ここで滑ったことありません、なんて言えるわけがない。そんなのプライドが許さない。


『(何期待してんだ!)』


美麗は思わずそう叫びたくなった。そして知っているくせにスケートに連れてきた跡部を恨めしく思う。ブン殴ってやろうかと隣を見れば、いつの間にか跡部はおらず。『あれ?』と目を丸くさせた美麗の耳に少し後ろで、跡部が店主らしき人に「貸し切りにしろ」と言っているのが聞こえ慌てて割って入る。


『ちょっと!わざわざ貸し切りにしなくたっていいでしょうが!』
「嫌だ。貸し切りにする。」
『しなくていい!』



貸し切りにする!しなくていいの!と二人は口論になり、店主はど、どうしよう、とオロオロするばかり。そんな時、またスケート場に新たなお客がやって来た。


「お?跡部さん…と美麗先輩じゃないスか!?」
「あー!ホントだ!」
『「あ?」』


聞いた事のある声に二人は同時に振り向いた。すると、そこには青学レギュラー陣が揃っていた。


『青学じゃない。久しぶりね。皆もスケート?』
「あぁ。タカさんが割引券貰ってさ。」
「氷帝もかい?」
「あぁ。だがせっかく来たのに悪いな。今からここは貸し切…んごっ!


言い切る前に美麗が思いっきり口を塞いだ。
跡部より背が低い美麗は力任せに後ろに引っ張ったため、跡部の首がゴキッと鳴る。


『貸し切りじゃないから!大丈夫だからね!…余計な事言うな!』
「て、テメッ…首が…!」



痛そうに顔を歪ませる跡部。
それを最初からずっと見ていた青学レギュラー陣は、すごい音したね…。大丈夫かな。等と囁きあった。
なんやかんやで氷帝レギュラー陣と青学レギュラー陣は一緒に滑る事になり、リンク内では楽しそうに滑る男子で溢れ返っている。一般客は迫力ある男子達になんだかいないほうがいいかも、と遠慮したらしく全員帰ったため、もはや貸し切り状態だ。
そんな中、美麗だけはまだリンクに入っていない。
スケート靴を履いてはいるものの、なかなか中に入ろうとはしない。


「おーい美麗!滑らねーのー?」
『うっさいわね!いつ行こうと私の勝手でしょ!………もしかしたら意外と出来たりして。うん、きっとそう。よし行こう。』


自分にそう暗示をかける。そして、意を決して一歩踏み出したその時。


「美麗ちゃーん!」


ちょうどトイレに行っていたジローが美麗に背中から抱き着いた。突然の事に反応出来ず、しかも片足は氷。上手くバランスが取れず、ずるっと前につんのめり、滑った美麗はそのままジローを背中に乗せたまま俯せで氷の上をスイーと滑っていく。
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