忘れたい思い出
「ただいま戻りました!」


バタン、と部室の扉が開き、爽やかな笑顔を浮かべた鳳が荷物を抱えたまま入ってくる。
その後ろから、日吉と樺地も続く。


「お帰りー!」
「なんか久しぶりに会った感じがするC〜」


氷帝学園では、2年生が10月中旬から1週間、フランスへ修学旅行に行っていたのだ。
今日で1週間が経ち、2年生は長かった修学旅行を終え帰ってきた。


『どうだった?フランスは。』
「楽しかったです!」
『そう。で、お土産は?』
「ちゃんと買ってきましたよー!」


そう言うと、鳳はガサゴソと荷物を漁る。


「はい!どうぞ!」


にこやかに笑いながら、長い何かを美麗に差し出す。


『「「「「………」」」」』


しーん、と部室が静まり返った。
静寂の中、鳳の横で日吉が盛大にため息をつく音だけが響いた。


「……何やこれ。」
「フランスパンです!」
「なんでだァァァァ!!」


向日が叫んだ。

「なんでお土産にフランスパン買ってくるんだよ!もっと他に違うのあっただろ!?」
「鳳、お前…」


跡部が呆れたように肩を竦める。そろそろ美麗が怒り出すんじゃないかと、内心ひやひやしながらちらりと隣を見る。
しかし、美麗は怒るどころか超笑顔だった。


『ナイスよ長太郎!』
「え゙!?」



ぐっと親指を立てる仕草をする美麗に、跡部、忍足、向日、日吉は顔を引きつらせた。


『フランスパン!いいじゃない!お母さん喜ぶわ!ねぇ亮?』
「おう!フランスと言やフランスパンだしな!ナイスチョイスだ長太郎!」
「いえそんな…ただ選ぶのめんどくさかっただけなんですけどね。喜んでもらってよかったです!」
「……バカがおる。ここにバカが二人おるで。」
「つーか、酷くね?めんどくさいからフランスパンって…」
「俺、フランスパン貰ってこんなに喜ぶ人初めて見ました。」
「…理解出来ないC…」
「フランスと言えばフランスパンだと?どんな頭してんだ。」



フランスパンを受け取り、嬉しそうな二人を見て向日達はポカンとするしかない。
跡部に至っては愕然としていた。


「…にしても、修学旅行かぁ……懐かしいな。」


一段落ついたあと、忍足がポツリと呟いた。どうやら昨年の修学旅行を思い出したらしい。


「先輩達はドイツでしたっけ?」
「まぁな。」
「楽しかったですか?」


鳳の問いに、忍足と跡部の二人は遠い目をする。


「楽しかったっちゅーか…大変やった、な。」
「……だな。」
「「?」」


二人の苦笑いに、日吉と鳳は首を傾げた。
忍足と跡部が揃って後ろを振り向くと、さっきから黙っていた四人はばつが悪そうに目を反らした。


「…何かあったんですか?」


四人の反応に、日吉がいち早く気付く。


『な、何もないわよ!』
「そ、そうそう!」


焦る感じがまた怪しい。
日吉は疑わしい目線を美麗、宍戸、向日、ジローに向けたあと跡部と忍足の方に向き直る。


「…何かあったんですね。」
「「……」」


二人は無言で頷いた。



あれは、昨年の10月中旬の事。2年生だった跡部達は、ドイツに修学旅行に来ていた。


『ほー…ここがドイツか…すごいわね。』


ドイツに来た事のない美麗は、感嘆の声を上げた。前にいた跡部が振り返り、「迷子になるなよ。」と注意する。


「「「……すげー…」」」


宍戸、向日、ジローもドイツに来たのは今回が初めてである。
美麗同様、感嘆の声を上げていた。

最初は何事もなく過ぎて行ったのだが、修学旅行三日目に、事件は起こった。その日は有名観光地の自由行動となっていた。
クラスを越えて班を作ってもいいそうなので、A組の跡部、忍足、美麗とE組の向日とジロー、F組の宍戸の六人で観光地を巡る事になっていた。
先頭を歩く跡部と忍足の少し後ろから、美麗達四人がついていく。


『…なんか見た事ないのばっかりね。』
「だな。」
「…ん?あれなんだ?行ってみよーぜ!」
「おー!」


得体の知れないものを発見した向日とジローはそれめがけて一目散に駆けていく。


『あんまり勝手な行動してると景吾達と離れちゃうわよ?私達ドイツ語全く出来ないんだからこんな場所ではぐれたらおしまい……』


二人の後をついて来た美麗が言いかけた時、宍戸がそれを遮るように口を開いた。


「……なぁ美麗。」
『何?』
「………跡部達が見当たらねェ。」
『は!?』



宍戸の言葉に、美麗は焦って周りを見渡した。
しかし…跡部と忍足の姿はどこにもなかった。


「『……』」
「……あれ、もしかしてやっちゃった感じ?」
「……マジで?」



サーッと青ざめる美麗と宍戸を見て、事の重大さを思い知った向日とジローは顔を見合わせる。


「…な、何やってんだよ美麗!亮!しっかりしろよな!」
『「お前らのせいだろがァァァ!!」』



他人事のように言ってのける向日に、美麗と宍戸は額に青筋を浮かべて同時に怒鳴った。


『……どうすんのよ。完璧はぐれたわ。』


あれから、四人で辺りを回ってみたが跡部と忍足の姿は見つけられなかった。
せめて氷帝生がいたらいいのだが、なぜかこの辺りに氷帝生は一人もいない。
宿泊先のホテルも、この場所からけっこう離れているため戻ろうにも戻れない。


「あ!電話!電話すればいいんじゃね?」
『……私携帯ホテルの部屋に置いてきたわ。』
「…俺も持ってねーんだけど。」
「俺もー。」
「………ダメじゃん。」


美麗は携帯をホテルの部屋に荷物と一緒に置いてきた。
宍戸は携帯をホテルにうっかり忘れてきた。
ジローは電池が切れて今ホテルで充電中。
向日も宍戸同様うっかり忘れたとのこと。
最後の手段だったのに、望みは一瞬で絶たれてしまった。
どうやら皆、跡部と忍足がいるから大丈夫だろ!的な感じだったらしい。完璧他人任せである。


「…俺達このままここで死ぬんだ…短い人生だったなぁ……」
「…こんな事になるんだったら、もっと色々やっとけばよかったC…」
『暗い暗い暗い!もっとポジティブに考えられないの!?』
「「どうせ皆死ぬんだ…」」
『もうアンタ達だけ死ねば?私は生きるわよ!ね、亮。』
「……美麗、俺達はここで終わりなんだよ。無駄な抵抗はやめろ。」
『お前もか!!』



三人が壊れかかっている。
本格的にヤバくなってきて、途方に暮れていた時。


「hey you!(やぁ、君たち!)」


後ろから、聞き慣れない声。
四人はびっくぅ!と肩を揺らした。


『ちょ、ちょっと誰か話しかけてきたんだけど!』
「ヤバイヤバイ!」
「ど、どうするの?」
「む、無視だ!もしかしたら俺達じゃねーかもしれないだろ!」
『…そうよね!』


勝手に自己完結した四人だったが、例の人はまたしても「hey you!(君たち!)」と声を発する。


「…やっぱり俺達?」
「……なんか英語っぽかったよね、もしかしてアメリカ人かな?」
「…と、とにかくこれ以上無視は出来ねーし…」


四人は意を決して、恐る恐る振り向く。英語は四人とも出来るので、アメリカ人である事を願う。


『「「「……」」」』
「∽∂⊥Å∬≒∴〜!」


しかし……またしても四人の願いは叶う事がなかった。
先程から四人に声をかけていた人物はアメリカ人ではない。
れっきとした、ドイツ人男性だった。男性は笑顔でわけのわからない言葉を言う。


「…今なんて?」
「知らない。」
「未知の言葉だな。」



何を言っているのかさっぱりわからない四人は、ただただ固まるばかり。ドイツ人男性は気にせず話を続ける。
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