聖書の悩み
『今日もいい天気。』


カーテンを開けると、眩しいくらいの朝日が部屋を照らす。
美麗は部屋の窓を開け、風を通す。秋の涼やかな風が入り込み、蜂蜜色の髪がサラサラと靡く。

日曜日。休日の今日は、一日のんびりしようと決めていた。
自室で、猫のハルをお腹に乗せてうとうとしていた時、軽快なメロディーが鳴り響く。
うっすらと目を開け、枕元に置いてあった携帯を手に取りパカリと開く。表示されていた名前に、眠気はなくなった。


『なぁに蔵ノ介。』
《…あ、美麗ちゃん?》


電話の相手は大阪にいる、白石から。


《急にごめんな。ちょっと相談したい事があって……》
『…相談?』


受話器越しに聞こえる声は、なんだか少し元気がないように感じる。こんな白石の声は聞いたことがなく、どれだけ深刻な悩みを抱えているんだろう、と少し心配になった。


《謙也とかにも相談したんやけどな、真面目に聞いてくれへんくて…》
『…で、私に相談したいと?』
《聞いてくれる?》
『いいけど。』
《おおきに。けど…電話やとちょっと話しにくいんや。美麗ちゃん今日部活は?》
『休み。』
《なら、ちょお悪いんやけど…大阪まで来てくれへん?》
『はぁ!?悩み相談聞くだけなのにわざわざ大阪に来いと!この私が!?ふざけんなよテメェ、お前が東京に来いや!』


額に青筋を浮かばせ、携帯に向かって怒鳴る。


《そうしたいのは山々なんやけど、今日俺ら部活やねん。》


お願いします!とやけに必死な声。今頃電話向こうの白石は携帯に向かって懇願しているのだろう。容易に想像できた。


『……ったく…仕方ないわね、行けばいいんでしょ、行けば!』


携帯片手に、出掛ける準備をする。大阪駅に着いたら、迎えを寄越すらしい。それに着いて四天宝寺中まで来てくれとのこと。大阪には何回か行った事があるが、一人で四天宝寺までは行った事がない。確実に迷うとわかっているため、迎えを寄越してくれるのだ。
最初、一人でも大丈夫だと言ったのだが「あかん、美麗ちゃんの大丈夫は信用できん。」と一蹴された。前科がある美麗は、何も言い返せず。


《着いたら連絡してな。》
『はいはいわかりましたー。』


通話を終了させると、美麗は鞄の中に必要なものを詰めて、家を出た。ちなみに、大阪に行くと行った時に母、弟に「一人でいけるの!?大丈夫!?」「車で送るわ!」と大変心配されたとか。

大阪に向かう電車に乗りながら、美麗は白石の事を考えていた。あからさまに元気がない声。一体どんな悩みを抱えているのか…少し心配になった。
大阪駅に着くと、美麗は白石に電話をした。改札を抜けたところに、迎えの者がいるから、と言われ、人の流れに乗り改札を抜ける。


「やっと来たか。」
『……誰。』
「ええええ!?ちょ、ええええー!?」
『冗談よ。一氏でしょ。』



改札近くにいたのは、一氏ユウジ。どうやら迎えは一氏らしい。


「真顔で言うなや!」
『一人なの?小春は?』
「……小春は学校や。」
『あら珍しい。』
「行くで。」


スタスタと駅を出る一氏を追いかけ、四天宝寺中を目指す。
しかし、なぜ迎えが一氏なのか一氏とはあまり話したことがない。少し気まずい沈黙が流れたが、それはすぐに消えた。


『ねぇ、なんでアンタなの?』
「は?」
『私の迎え。なんで一氏なの?明らかにめんどくさそうな顔してるから気になって。』
「……あみだで決まった。」
『なるほど。にしてもアンタ目付き悪いわねー。』
「悪かったな。」
『うわ、態度も悪っ!』


そんなんじゃモテないわよー。
なんて言いながら笑う美麗に、一氏はたまらず怒鳴る。


「うるさい女やな!黙って歩け!いてこますぞ!」
『……おい。誰に向かって言ってんの?死ぬの?バカなの?』
「すいませんでした。」


さっきの発言を酷く後悔した一氏だった。


学校に向かう途中、美麗は一氏に尋ねる。


『蔵ノ介の悩みってなんなの?』
「………めっちゃ下らんで。こんな下らん事で呼びつけられて可哀想やなアンタも。」
『…帰るわ。』
「!?ちょお待てや!今更帰るはないやろ!」
『下らないんでしょ?だったら帰る。』
「いやもう着いたし!」


一氏の言う通り、もう学校の前まで来ていた。そびえ立つ鳥居を前に、美麗は大きくため息をつく。ここまで来たらもう行くしかない。下らない悩みと聞き、不安が募る中白石が待つ部室へと向かった。


「白石、連れてきたでー。」
「おー、ご苦労さん。」
「姉ちゃんー!久しぶりやなぁ!」
『金ちゃん。元気だった?』
「めっちゃ元気やで!」
『そう。』


人懐っこい笑顔を浮かべる金太郎に、美麗はクスッと微笑み優しく頭を撫でた。


「美麗ちゃんお久しぶりー!相変わらず綺麗やねぇ。」
『ふふっ……まぁね。』
「…そこは普通謙遜するとこやろ。」
『だって当然の事だもの。』


白石は、皆に囲まれていた美麗の名前を呼ぶと元気のない笑顔を向けて口を開いた。


「わざわざごめんな。」
『……あのさ、さっき一氏から聞いたんだけど。』
「何を?」
『アンタの悩み。下らないって聞いたのよね。それは本当?』
「く、下らんやて!?おいコラユウジ!人の悩みを下らんて……鬼!悪魔!不潔!」
「不潔ぅぅ!?俺のどこが不潔なんや!意味わからん!」



それに白石の悩みが下らんのは事実やんか!とキャンキャン吠える一氏。ラストの台詞に、白石以外の皆が同意していた。


『……』


どっちを信じればいいのかわからなくなった美麗はじと目で白石を見つめる。


『蔵ノ介。』
「…ん?」
『アンタの悩みは下らないの?』
「下らんくない!めっちゃ深刻な悩みなんや!」
『じゃあ話してみなさいよ。言っとくけど、もしそれが下らなかったらブン殴るから。
「大丈夫やて!」


自信満々に言い切る白石に、謙也達は「…あ、これはブン殴られるわ。」と揃って小さく呟いた。


「…今って何月か知っとる?」

『10月。』
「そう10月。10月って季節はなに?」
『は?秋に決まってるじゃない。』
「そう秋。……もう夏は終わってしもた…」
『え、何?アンタもしかして全国大会のこと言ってんの?まだ負けたこと根に持ってるって?
いつまでもウジウジしてんなよクソが。負けたのはこっちも同じだっつーの。でも負けた事を糧に次に向かって頑張ってんの。立ち止まってる暇ないんだから。いい?ウジウジしてたって、成長しないんだからね。そんな暇あるなら練習しろよ。』
「……うん、まぁそうやんな。励みになる言葉をありがとう。でもちゃうから。」
『じゃあなんなの!ハッキリ言いなさいよ!』


思わせ振りな言い方にイライラした美麗はさっさと言えと威嚇する。


「俺の…俺のカブリエルの季節が終わってしもたんや!カブリエルは夏の間しか生きられやん儚い子!そんな可愛い可愛いカブリエルが死ぬなんて嫌やぁぁあ!!」

おいおいと泣き出した白石。


『…………』
「「「「…………」」」」

『……え、悩みって…カブトムシのこと?…違うわよね?違うと言え。お願い、違うって言って。』
「なぁ美麗ちゃんカブリエルが冬を越えられる方法知らん?頼むカブリエルを助けて!俺を助けて!美麗ちゃ……あばぁ!!」



泣きながらすがってくる白石に、美麗は無言でボディーブローをお見舞いした。ドスッと綺麗に入ったボディーブローに、白石は悶える。


『ふざけんなよクソヤロォォォォォ!!』


ドカン!とまるで火山が噴火するように、美麗の怒りが爆発した。怒鳴り声は、部室をビリビリと震わせ、おそらく四天宝寺中全体に響き渡っただろう。
ちょうどグラウンドで部活中だった野球部、サッカー部、陸上部などは突然の怒声に震えあがり、なんだなんだ?とテニス部部室を見やった。
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