早朝、淹れてもらったコーヒーの湯気を凝視したまま動かない私をいづみが心配そうに見つめる。鷺島に連れられ、カンパニーに戻って来た私はそのままいづみの部屋に泊まらせてもらった。頭の中はぐちゃぐちゃで、とても家に帰れる状態ではなかったから、快く部屋に招いてくれた彼女には感謝してもしきれない。時刻は六時。「いつもなら起きてくる頃だね」東さんの呟きにドキリだかギクリだか、胸のあたりがあんまり良くない音を立てた。このまま誉さんが元に戻らず、ずっと鷺島のままだったらどうしよう。そんな馬鹿げた話があってたまるかと左京さんは一蹴したが、私が昨日一日を過ごした誉さんは全くの別人だった。信じたくないけど、あんなの、別人格が乗り移ってるとしか考えられない。
私の思考をさらに掻き乱すかのように、談話室の扉が開いた。赤味がかった紫の髪が揺れる。ごくり、思わず息を呑み込んだ。

「今日はどっちだ…?」

左京さんが仰々しく呟く。表情は皆無。彼は真っ先に私を視界に捉えると一つ二つ瞬きをしてこちらに近づいて来た。フローリングの軋む音が遠くに聞こえる。誉さんか、鷺島か。どっち、ーーと。堪え兼ねて問おうとした口は、しかし次の瞬間には文字通り塞がれてしまっていた。当の私を含めその場にいた全員が驚いたに違いない。それが当然のことであるかのように、キスを落とした男はニッコリと、これまた清々しいほどに綺麗な顔で笑った。

「おはようなまえくん。やはりキミのお馬鹿さんな顔はワタシの脳細胞へのいい刺激だ」

自分の台詞に大きく頷き、誉さんは楽しげに詩を詠み始めた。くるくる、芸術の舞いとやらを踊る彼はどうやら昨日のことを覚えていないらしい。カンパニーにいつもの朝が戻って来たと喜ぶ東さんといづみ。一方で私は複雑な感情を抱きながら溜息を吐いた。

「……昨日の方が良かった」
「賛成だ。何とかしろ、お前の男だろ」
「殴ったら戻るかな」
「確かに戻って欲しいような気もするけど、そんな物騒な…」

不機嫌を露わにして近づいたにも関わらず、誉さんは私の髪を弄びながら言葉遊びに耽っている。まったくこの男は人の気も知らないで。本当に殴ってやりたい衝動に駆られたが、怒りを込めたはずの掌は力なく誉さんの胸元に当たった。

「よかった、戻って」
「…まさか泣いているのかい?」
「泣いてない!」
「まったく、お馬鹿さんだと言ったことは取り消すから泣き止みたまえ」

誉さんは私と視線を合わせるように腰を折ると、鷺島がしたように指で涙を拭った。色々とツッコミたい気持ちを抑えて、私は愛しい彼に問いかける。

「誉さん私のこと好き?」
「何だ、君への愛なら毎日詩にして囁いてあげているだろう。もしかして足りないのかい?まぁ、少し我儘なところも含めて愛しいことに変わりはないのだが」
「私も好き」
「ははっ、ワタシもキミのことが………、ん?今何と!?」

こんなにも素直に愛の言葉が出てくるななんて自分でも驚いた。好きだなんて、たった二文字じゃこの気持ちは半分も伝わらないだろうけど。どうやら私はまだ暫く彼と一緒に居られるみたいだから、少しずつ、少しずつ伝えていけばいい。
温かい気持ちに包まれていると、左京さんが咳込みのあと私を呼びつけた。嫌な予感が頭を過ぎったのはおそらく気のせいではない。

「水を差すようで悪いが、お前昨日ストリートアクトやったらしいな」

真顔が逆に恐ろしさを増長させる。視線を合わせられない私に、何も知らないいづみは純粋な瞳で問うた。

「なまえ、演劇経験あったっけ?」
「いや…演劇っていうか……」
「丁度いい。昨日の動画だ。バラされたくなかったら暇な時は団員の練習付き合え」

この男には良心というものがないのだろうか。インステで拡散されかけていたらしいこの動画を全て削除してくれたことには感謝するが、それを取引のネタにして揺するなんてあんまりだ。不特定多数の人たちに見られるより、知り合いに知られる方が些か心苦しい。私はどこにもやれない感情を押し込め、「うむ、よく撮れているね」などと感心してる誉さんの脚をとりあえず踏んでおいた。

触れることができたなら fin.
(あなたの全てになりたいと願った、)
20170623
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