※イベントストーリーネタバレ含

「へえ、そんなことが」

長い長い話のあと、私はただ一言そう溢してグラスの中の最後の一口を呷った。カクテルの甘ったるい味が広がる。苦い日本酒よりは幾分かマシだ。反応を予想していたらしい幼馴染はやっぱりと言わんばかりに笑って、冷蔵庫から冷たいお茶を持ってきてくれた。ナイスタイミング。そろそろお酒に飽きてきた頃合いだったと、軽く礼を言って、新しいグラスに氷とお茶を注いだ。
いづみが話してくれたのは私が留守中の出来事だった。仕事の関係で暫く東京を離れていた間、満を辞して冬組の第二回公演がとり行われた。題目は「主人はミステリにご執心」正真正銘のミステリーものだ。帰ってきて早々に千秋楽のビデオを観せられたが、冬組の落ち着きのあるイメージにマッチした素晴らしい公演だったと思う。しかしまぁ、毎度のことだが、今回の作品も完成するまでに一悶着あったそうで。壊れた懐中時計に纏わるあれこれを聞いた私は、先日の彼の言動の意味をぼんやりと理解した。

「突然あんなこと言いだすから何かと思ったら、そういうことだったの。なんか悪いことしちゃった気分」
「あはは、色々あったからね」

記憶を起こす。帰ってきた私を出迎えてくれたのは公演を終えたばかりの冬組のメンバーだった。「おかえりなさい」と笑顔の紬くんに続いて、丞くんは「お前がいればもっと簡単に解決してた」と開口一番理不尽な言葉を投げてきた。意味深な笑顔を浮かべる東さんの後ろ、例によって眠る密さんを引き摺りながらやってきたのは殆ど一か月ぶりに目にする恋人だった。彼は私の顔を見るなり目を輝かせ、抱えていた密さんを放り投げて両腕を広げてきた。「ありがとうなまえくん!今回の公演の成功はキミの支えあってこそだ!」云々。やはり訳の分からないことを叫びながら駆けてくるものだから、ついハグから逃れてしまったわけだ。人の目がある場所で抱き合うだなんて私の信条に反するがーー、そういうことがあったのならハグを許しても良かったかもしれないと、今更ながら少しばかりの罪悪感を抱いたりして。
グラスを傾けると、溶け出した氷同士がぶつかって涼しげな音を立てた。向かいに座るいづみは私を見て楽しげに笑う。頬が赤いのはお酒のせいだろう。あんまり飲ませて過保護なヤクザに小言を言われるのは御免だ。

「お祖母さん、誉さんにもお祖父さんみたいな人を見つけてほしいって願ってたんだよ、きっと」

もう一つのグラスに注がれるお茶に視線をやりながら、いづみは唐突に言った。

「なまえみたいに、ありのままの誉さんを愛してくれる人」
「……、いづみって、たまに途轍もなく恥ずかしいこと言いだすよね」
「照れてる?」
「照れてない。ただ…」

ただーー。言葉を続けようとした口を噤んで、私はちらりと扉の方を見やった。確かに揺れた。不思議そうに首を傾げるいづみに大した説明もせず、容赦なく扉を開けると焦ったように床に這いつくばる27歳が一人。

「盗み聞きなんて趣味あったの?」
「そ、そんなつもりはなかったんだが…」

大方紅茶でも取りに来ただけだろうけど。我ながら意地の悪いことを言ったと自覚しつつ、目を泳がせる彼に手を差し伸べた。大した話はしてないはずなのに、聞いてはいけないことを聞いてしまったとでも言うような動揺ぶりだ。「あとはごゆっくり」いづみは語尾にハートがつきそうなテンションで真横を駆けて行った。私は未だに目を合わせてくれない誉さんの腕を引き、明かりのついたままの談話室に戻った。
ソファに座らせて、目の前にお酒の入ったグラスを置き、さらに隣に腰を下ろす。「なまえくん、これはどういう…」と、不躾な質問に対して口元だけで笑ってみせれば、誉さんは半分諦めたような顔をしてグラスの酒に手をつけた。
同室で生活する密さんはそんな筈がないという顔をしていたが、誉さんは二人きりの空間というのがどうしようもなく苦手らしい。まぁ、ここから先はあくまでも希望的推測の話だ。自分の世界に入ってしまえば二人きりだろうが何だろうが気にも止めず詩興に耽る彼も、私の存在を認識すると途端に駄目になる。天才だって恋をすればポンコツになるのだ。私が何を考え、何を思い、どういう意図で行動しているのか、正解の見えない難解なパズルを読み解くのに必死なんだろう。つまり、言葉遊びをする余裕がないほどに彼の頭の中は今私で一杯だということだ。

「随分と楽しそうだが、」
「楽しいよ」
「、なまえくん」
「なあに」

頬杖をついて、じいっという効果音さながら。赤い瞳に映された私は至極楽しげだ。目を逸らしては負けだと悟ったのか、誉さんは負けじと私の目を見て口を開く。

「私は人の感情を読みとるのが苦手だ。それは恋人であるキミも例外じゃない」
「そうだね」
「キミは、今何を考えているんだい」
「答えを言っちゃったら詰まらないでしょ」
「そ、ういうものかい…?」

そういうものだよ、恋愛なんて。相手の考えが完全に理解できたら面白くも何ともない。探って探られて、本音なんていくら頭を悩ませたところで分からなくて、いくら頭のいい科学者にだって解けない命題。推し量って、触れて、やっとその鱗片を知る。男も女も凡人も天才も同じだ。きっと誉さんには私の視線の意味もわからないんだろうな。そう思った直後、おもむろに指先が頬を滑り、望んだ通りのキスが降って来た。珍しいこともあるもんだ。

「キミの前だとどうにも格好がつかないね」

彼は決まりが悪そうに、口元を軽く押さえて視線を逸らした。みんなの前だとあんなにも揚々としているくせに面白い人。真っ赤に染まった耳に触れたい衝動に駆られながら、愛おしいなぁなんて、今更何とも当たり前の感情を抱いた。

(ただ、そうなれたらいいって思っただけ)
20170621
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