いかにも初夏らしく澄み渡る空を穏やかな風が過ぎ去る。心地よい静寂の流れる、とある平日の昼下がり。夜とはまた違う顔を見せる談話室にて。眩しげに眉を寄せては身じろぎするその姿さえ、心から愛しく思う。



どうやら眠ってしまっていたらしい。仕方がないの一言に尽きる、何故ならここ数日徹夜続きだった。高校時代の私なら三徹くらいは余裕でこなせたというのに、こういうとき、嫌でも身体の衰えを感じてしまう。何日も寝ずに学校へ通い、あまつさえ夜通し遊び歩いていたあの頃がいっそ懐かしい。今だってまだまだ若いことに変わりはないが、しかし10代の活力には目を見張るものがある。一週間殆ど寝ずに脚本やら衣装を仕上げてくるスペシャルな中高生たちの顔を思い浮かべながらぼんやりとーー、目を開いて、驚いた。

「良かったろう?天才の膝の寝心地は」

残っている仕事を片付けなければ、なんて考えは一掃された。ぐるぐる。突きつけられた現実。頭はとうに冷静さを欠いていてしまっている。いっそ今すぐにでも夢の中に戻りたい。寝心地を問うた自称天才はにこにこと笑顔を浮かべながら小首を傾げていたが、知ったことか。煩く跳ねた心臓は脳みそよりも正直者だ。今声を出したら余計なことを言いかねないと、私は口をきつく噤んだ。兎にも角にもこの、あまり良くない体勢から脱出しないことにはーーと。僅かに上体を起こした私だったが、次の瞬間には膝の上に戻されていた。視界が悪いのは掌が額のあたりに添えられているためだ。

「…あの、」
「ん、待ちたまえ、いい言葉が浮かびそうだ。動いてはいけないよ」
「はぁ、」

長い指先の間から見えた。誉さんがこういう顔をしているときは話しかけてはいけないと、紬さんが言っていたのを思い出す。以前、丞さんが話しかけたら「輝かしい芸術が一つ失われた」だの何だのと取り乱し大変なことになったらしい。丞さんの言い方も悪かったと聞くが、稽古中に詩を書き始めた誉さんも誉さんだろう。そう率直な感想を口にしたら、紬さんは「芸術はいつ降ってくるかわからないから仕方がないよ」と言って笑っていた。多分あの人は聖人か何かだ。
触らぬ神に祟りなし。口の中で唱えつつ、贅沢にも天才の膝を借りたままの私は大人しく芸術とやらの完成を待つことにした。指先から伝わる温度は少し、ほんの少しひんやりしている。もう季節は夏へと移り変わるというのに、かっちりとしたシャツを着ている彼は暑さというものを感じない体質なのだろうか。そうして思考しながら上の方へと、徐ろに視線を投げて、私は酷く後悔した。

(目に毒、だ。)

なんて息苦しい。喉の奥が詰まる、そんな感覚に耐えかねて瞼を閉じた。
私の憂鬱など露知らず、額の上で遊んでいた指先が顎のあたりまで降りてきた。まるで猫を愛でるみたいにされてはたまったもんじゃない。むず痒さに耐えかねて掌を捕まえた私は、なんとも真剣そうな瞳を呼んだ。

「ちょっと、くすぐったい」
「あ…ああ、すまない、」
「密さんと間違えたでしょ」

どんな顔をしていいか決まらず、多分下手くそに笑った私を見て、誉さんはよく分からない表情を浮かべた。ほんの一瞬、赤い目が揺らぐ。邪魔をされたことに腹を立てている顔でもなければ、悲しんでいる顔でもない。どこが痛みを感じているときのような、そう、一種の息苦しさを孕んだーー。

「…失敬。あんまり可愛かったものだから」

目の前で起こった状況に頭がついていかない、とは正しく。唇にわずかに残る熱と、鼻先をくすぐる匂い。そっぽを向いてしまった誉さんの赤らんだ耳を目にした私が、食べ頃のトマトよろしく、顔を真っ赤にして飛び起きたのはそれからきっかり10秒数えた後だった。

20170619
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