深い群青に染まった空にぽつりと浮かぶ。周りにはいくつもの星が散りばめられているのだろうが、此処から見える月はいつも一人暗闇を照らしている。手を伸ばしたところで意味はない。ただ空気を掻くだけ、決して私のものになりはしないのだ。

誰もいないバルコニーは、そこだけが世界から切り離されたかのようにシンと静まり返っていた。雑に放り投げた白い靴は柵に当たって二方向に散らばる。八月ーー季節は夏だというのに肌に触れる空気は冷気を帯びている。羽織りの一枚でも持ってくるべきだった。ほんの少しだけ後悔を覚えながらも、私はひんやりと冷たいベンチに項垂れた。
視界の端、オレンジ色の灯る室内は賑やかな音楽に包まれている。高級そうなドレスやスーツに身を包み笑顔を交わす人々を眺めながら思うことは、幼い頃から少しも変わらない。なんて薄気味悪い光景だろう。腹の中では黒い感情が渦巻いているくせに、思ってもいない言葉を口にして、笑いたくもないのに笑って。しかし悲しいことに、今や私も立派に“薄気味悪い光景”の一部だ。なりたくもない大人になってしまった理由は一つ、そうするしかなかった、それだけだ。膝を抱えてタバコの煙を燻らす。溜息と共に吐き出された紫煙は、ゆらゆらと漂いながら夜の闇に消えて行った。

「そんな所にいては風邪を引くよ」

ふと耳に届いた声。視線だけをそちらにやると、やはり思った通りの人物が窓際に立っていた。

「窮屈なんだもの。高いヒールも肩がこるドレスも嫌い」
「我儘なお姫様だ」
「奥様方の相手はもういいの?」
「ああ、これ以上恋人の機嫌を損ねるわけにはいかないからね」

彼は悪戯っぽく笑んで、無造作に散らばった白い靴を拾い集め足元に置いた。そうして隣に腰掛けると、短く息を吐きながら首元のネクタイを緩める。成程、マダム達相手に愛想を振りまくのも楽じゃないらしい。
タバコの匂いに混じって、知らない匂いが鼻を掠めたのはその時だ。フゼア系の香り。いつもと違う、

「…香水、」
「これかい?ファンからの贈り物だよ」

何か問題でも?とでも言いたげな瞳がこちらを向く。激怒とまではいかないが、お腹のあたりをモヤモヤとした感情が渦巻き始めた。私の嫉妬深さを知っているくせに。完全に機嫌を損ねた私は、これっぽっちも悪いなどとは思っていない顔に向かって煙を吹きかけた。

「!な、何を…っ、げほっ、」

咳き込む彼の、緩んだネクタイを思い切り引っ張って引き寄せる。強引に唇を押し付ければ、一瞬驚いたかのように上体がビクついた。タバコの灰が落ちそうだとか、窓際にいた何人かが見ているとか、そんなことはどうだっていい。(自分が誰のものなのか、もっと、ちゃんと思い知るべきなのだ)

「ど、どうしたんだい突然…!」
「他の女の匂いつけてるみたいで嫌。誉さんは私のでしょう?」

口を尖らせ捲し立てると、彼は目を丸くしたあと可笑しそうに笑い声をもらした。

「キミは本当に我儘を言う」
「仕方ないじゃない。好きなんだから」
「そんなところも愛しいと思ってしまうあたり、ワタシも手遅れだね」

20170809
誉さんタバコの匂い嫌いそう!解釈違い!
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