XX / 理屈なんていらない

現在住んでいるマンションの最寄り駅から二つほど過ぎた駅、そこから数分歩いたところにとびきり美味しい和菓子屋がある。そこのくず餅プリンは何とも絶品で、有名なグルメ雑誌にもよく取り上げられているそうだ。
という話を金城くんから聞いたのだが、その記憶は何だがとても遠い昔のように思えて仕方ない。やはりあの一件があったからだろうか。あんな漫画やドラマの中にのみ起こりそうな出来事は二度とこの身に降りかからないだろうと確信しているものの、もしものときを考えるとどうにも背筋がゾッとする。忘れていたことを、覚えている。今でもたまに、後ろめたさ故に友人の目をまっすぐ見れないことがあるくらいだ。二度目はきっとあり得ない。しかし、もし二度目があるとしたら心底遠慮願いたい。ここのところは何となくそんな心境だったりする。

「あーんくらいしてくれたっていいじゃん。カップルの特権じゃん」
「ぜってーやだ」
「ケチ」
「奢ってやったろ」

ぱらぱらと疎らな通行人に紛れ、方を並べて歩く。右斜め上にある視線とわたしのそれが交わることはない。少し手を伸ばせば届く距離にある掌が重なることもまた然り。付き合う前と何ら代わり映えのない景色がそこにはある。けれど今更になって恋人らしくしようなんて、わたしも靖友も思ってない。冗談を言い合える、これくらいの距離が丁度いいのかもしれない。
どこへ向かうわけでもなく、かと言って自宅に戻ろうというわけでもなく。他愛のない会話を交わしながらぶらぶらと歩いていたら、「なまえ?」すれ違った女の人に声をかけられた。ぼんやりと記憶に残るその人は中学のときの先輩、であると思う。その人が見違えたスーツ姿だったからという理由もあるだろうが、そうでなくても同じ反応を示していた自信がある。さしたる興味のない人の顔と名前はすぐに薄れる。わたしに友達と呼べる友達が少ないのはそのせいもあるんだろう、なんて。

「お久しぶりです。卒業以来ですか?一瞬誰かと思いました」
「あんたは全然変わってないわね。先輩の顔くらい覚えておきなさいよ…で、なにしてるの?彼氏さんとデート?」
「まーそんなとこです」
「わー、むかつく。こっちなんて就活で男作ってる暇ないってのに」

先輩は時計の針を確認して、足早にその場を去って行った。軽い会釈をしながら思う。彼氏かと問われて咄嗟に肯定してしまったけど、当人は怒ってやしないだろうか。事実は事実で違いないと思うのだが、如何せん、靖友はあまり人前でそういうことをしたがらない性格だ。
ちらりと斜め後ろに視線をやる。そこにあったのは成る程予想外の表情だったからか、何故かギクっとした。

「どうしたの?固まって」
「…、別に」

蒼白とまではいかないが、どこかそれに近い顔をしていた靖友はすぐさま我にかえった様子だった。「なんでもねーよ」そう言ってわたしの手を掴み、歩き始める。こんなことをしてくるくらいだ。何でもないわけない。ぎゅうと締め付けられた掌から伝わる熱は、何時もに比べてひんやりとしている。

「おまえが敬語喋ってっと、何か色々思い出す」

聞こえるか聞こえないかの声が耳に届いて、ああ、と思った。先ほどギクっとしたのはそのせいだ。わたしはまた、知らない間にこの人を。
果たしてどんな言葉をかければ正解なのか、何といえば感情を伝えることができるのか、いくら考えたって的確な答えは見つからない。なんてもどかしいんだろう。いつだってそうだ。口から出るそれは半分にも満たなくて、本物の気持ちなんて言葉にできない。

「もう靖友のこと忘れないよ」

いつだって、そうだ。
そんなことを言ったって、そこにある不安や焦燥を取り除くことなんて、きっとできやしない。

「忘れないよ、絶対」
「おまえバカだし信用できねェ」
「赤信号飛び出さない」
「園児かよ」
「事故っても自転車までにする」
「事故んな」
「靖友のこと、忘れないから」
「…さっき言った」

だって、それしか思いつかない。どうしたらいいのか、いくら考えても辿り着く答えはたった一つ、それだけなのに。伝わらない、伝えられない、なら。「靖友」名前を呼んで、こちらを向いてくれない顔を振り向かせて、服が伸びたら怒られそうだと思いながら、勢い半分に自分の方へ引き寄せる。強く目を瞑る直前に見た表情は、驚愕やら動揺やらを含んだ色をしていた。けど、知ったことじゃない。めいっぱいに背伸びをして奪ったキスは、何もできやしないわたしの、きっと、精一杯。

「ば…っ、おまえここ何処だと思ってんの!?」
「だって、靖友がそんな顔するから」

肩をつかんでべりっと剥がされた。ここは人通りが少ないとはいえ公共の場であるし、当たり前だけど、そんな反応をされると少なからず傷つく。靖友の顔を見れずにいると、上の方から大きな溜息が降ってきた。
溜息、吐かせるなんて、何してるんだろう、わたし。
沈黙の中。どんよりと曇り空が広がり始めた日のような心情で、わたしは暫く口を閉ざしていた。駄目だ。と、そんな気持ちばかりが心を埋め尽くしていたから、もう一度、先ほどと同じように手を取られたときは驚いた。ただ、掌が感知する温度はさっきと大分違う。

「さっきの言葉忘れんなよ」
「……、」
「…シカトたァいい度胸じゃナァイ?」
「っ、忘れないってば」

右斜め上にある視線とわたしのそれが交わることは、やっぱりない。けれど右手を伝う温もりは、確かに。
永遠なんていう小恥ずかしい言葉はあまり好き好んで使いたくはないけれど。随分な遠回りをして繋がった掌の熱が、いつまでもここにあればいいと、そんなことを思ったりした。



20140221
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