05 / その指先に冬の淋しさを知る

あの日を境に荒北さんはわたしに会いにこなくなった。
秋というものは確かに存在したように思うが、今年はやけに短かったようにも思う。クローゼットに眠っていた厚手のコートを取り出したのはいつだったか。兎にも角にも寒くなった季節、悴む手を摩りながら街を歩く。寄り添うカップルたちはやがて来るイエスキリストの誕生日を心待ちにしているのだろう。舌打ちをしたくなるあたり、やはりわたしの精神年齢は中高生止まりか、あるいはそれ以下だ。あと3か月も経てば記憶を失ってから一年になる。兆しはない。そんなことよりも、わたしの無能な頭はたったひとりのことを考えるのに必死だ。

「あ」
「なまえか」

ぼんやりと歩いていると、駅前の人ごみの中、大きな荷物を持った福富さんとばったり会った。聞けば地方の小さな大会に出ていたのだという。寒い中お疲れ様です。

「元気がないな」
「そうですかね」
「荒北と喧嘩でもしたのか」
「ぎくうっ」

普通だったら出ない声が出てしまった。図星を突いた福富さんは表情を変えずに近くのカフェを指差した。つまり、話しを聞いてくれるということらしかった。

「記憶ってそんなに大事ですか」

ホカホカのホットケーキにナイフを滑らせながら問う。意味がわからない問いかけだと自分でも思った。
記憶喪失になってみて思ったことがある。確かに記憶がないのは苦しい。みんなが知っている三年間を思い出せないことは失礼に値すると思うし、それがときに人を傷付けることだってあった。けれどそれ以上に楽しかった。記憶喪失だということも忘れて幸せを感じていた。何故か。理由はひとつだ。それもこれも、荒北さんが近くにいてくれたからだ。きっと記憶を失う前のわたしは荒北さんが好きだった。だから、記憶を失ったわたしは同じように荒北さんに惹かれたんだと思う。記憶があるかないか、相違点はそれのみで、結局わたしはわたしだった。

「なまえにとっての荒北はどんな存在なんだ」
「まさか質問に質問を返されるとは思ってませんでした。福富さんって我が道行きますよね」
「どんな存在なんだ」

荒北さんが来なくなって、その姿を遠くから見るようになって。わたしは、わたしの中の荒北さんの存在がいかに大きなものだったかに気付いた。

「認めたくないけど好きですよ」

何をどう足掻いても好きなのだ。ぶっきらぼうな優しさが、時折見せる不器用な笑顔が。認めたくないけど、なんてせめてもの抗いをくっつけて言えば福富さんは薄く笑った。

「つい一年前と同じだな」
「え、」
「荒北なら家にいるそうだ。どうせやることもないのなら、行ってくるといい」
「居留守とか…酷いですね」
「信号は青になってから渡るんだぞ」

福富さんはまるで子供に言いきかせるように言って、ここに来て初めてココアに口をつけた。席を立ったわたしは頭を下げる。ホットケーキとドリンクのお代をおいて、駆け足で家に向かった。

ピンポン。ピンポンピンポン。一度押しても出ない家主に痺れを切らして、わたしはインターホンを連打する。近所迷惑とかそんなの知ったことか。いつまでも居留守を使う荒北さんが全面的に悪い。指がつったらどうしてくれる。理不尽なことを考えつつもボタンを押し続けていると、扉の向こうからドタバタ騒がしい音が聞こえてきた。きっと荒北さんのことだ。般若も大負けの血相で歯茎をむき出しにして、勢い良く扉を開けてくるに違いない。数歩後ずさったわたしは正解だった。勢い良く開いた扉、そのドアノブを壊れてしまいそうなくらいに握る荒北さんは、額に青筋を浮かべていた。

「うるッッせェんだよボケナス!!今おまえの顔は見たくねーの!さっさと帰れ!」
「お邪魔します」
「誰が入れるか!!」
「お、じゃ、ま、し、ま、す!!」

無理矢理ドアの間に足を、そして身体を滑り込ませて押し入る。ふざけんなと怒鳴りつける荒北さんの横をすり抜けてリビングへ。初めて来たとはいえ、家の構造は同じだから戸惑いはなかった。

「お茶くださいよお茶」
「勝手に入ってきていいご身分だなてめえ」
「寒いので熱々がいいです」
「勝手にやれ。火傷しろ」

適当なところに荷物を置き、コートとマフラーをとってキッチンへ足を踏みいれる。きれいに整頓された棚のあたりにコーヒーを見つけたが、お湯が沸いていないのなら話にならない。わたしは勝手にポットの沸騰スイッチを入れて、その音をぼんやりと聞きながら、静寂の中に言葉を投げた。

「荒北さんはわたしに記憶取り戻してほしいですか」
「はァ?」

荒北さんは今までに見たことがないくらいに嫌そうな顔をした。

「何を知ってるんですか」

それがどうした。わたしは負けじと視線を返して尋ねた。再び訪れた沈黙。答える様子もなく、荒北さんはやっぱり気まずそうに目を逸らすだけだった。

「答えたくないならいいです。それより牛乳ありますか、わたしブラック飲めません」
「…れーぞーこ」

どんだけわたしと喋りたくないんだ。もうホント最高に苛々しながら、わたしは冷蔵庫を開けた。なんで冷蔵庫の中までこんなにキレイなんだ女子力高いというよりいっそ主婦でも名乗れそうな気がする。牛乳パックを手に取ったわたしは、ふと、冷蔵庫の上段にあるものに目を奪われた。ひとつだけ色彩を彩るプレゼントボックス。そっと手に取ったそれには、――何故だろう。やけに整った、おそらく荒北さんの字で、わたしの名前が綴られていた。
首を傾げた瞬間、リビングにいたはずの荒北さんがわたしの手から箱を取り上げた。リボンのついた可愛らしいそれは再度、冷蔵庫の奥に押し込まれる。

「見たな」
「冷蔵庫開けるって許可とったじゃないですか…わたしの誕生日ならとっくに終わりましたよ。それとも来年のですか腐ったの寄越す気ですか」
「……帰れ」
「は、なんですか突然」
「いーから帰れ。もう、来んな」
「いやいや意味がわかりませんってば…て、荒北さん!」

背中をグイグイと押され、わたしは部屋を締め出された。ガチャリとかけられた鍵音がいっそう虚しさを掻き立てる。意味がわからなかった。偶然とはいえ勝手に見たことは謝ります。だから、――もう来るなとか、言わないでくださいよ、そんな悲しいこと。



20140125
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