04 / 並木道の木々が秋の訪れを告げれば

気づけば季節は移り変わり、外を吹く風はなかなかに肌寒くなってきた。もう半袖一枚では外に出ることもままならない。行き交う人々は肌を露出した夏服の上にさらに数枚着込んで、やがて来るであろう冬の日に備えているかのようだった。みんなで海に遊びに行ったのはつい最近のことだとばかり思っていたのに、時間が過ぎ去るのは早いものだ。わたしが記憶を失った春から、もう半年以上が経過したのだ。日常にこれと言って変化はない。今日も当たり前のように隣に荒北さんがいて、互いにとりとめのない言葉を交わすだけである。
記憶喪失になってからというもの、わたしは暇さえあればアルバムを取り出しては眺めていた。まるで他人の記憶を弄るような行為。場所は知っていても、何時誰と行ったとか、そこで何をしたとか、そういうものは清々しいほどに覚えていない。写真に写る人たちのことは知っている。知っているけど在るのはここ半年間の記憶だけで、それより前の三年間、つまり高校時代の青春を彼らと過ごした記憶はない。ぽっかりと穴が空いたような感覚。他人の中にある記憶を全てこの脳みそに移すことができたなら、この嫌な感覚はすっかり消えてくれるのだろうか。なんて、柄にもないことを思ってしまうのは季節が秋だからだ。この季節は枯葉が落ちるのを見て鬱になる人も多いらしい。と、今朝のニュースでやってた。鬱病患者急増。彼らの心の病に比べたら、わたしの心情なんて可愛らしいものだと思う。

「そういえばこの季節、みんなで温泉旅行に行きましたね」
「覚えてんの?」
「福富さんから聞きました。写真があったので」

高校三年生の秋、インターハイの終わりにレギュラーメンバーで箱根温泉に二泊した(らしい)。男所帯だったにも関わらずついていくと駄々をこねたわたしを、彼らは渋々連れ行った(らしい)。ゆっくりと温泉に浸かって身体の疲れをとり、美味しいものを食べ、夜はみんなでまくら投げをした(らしい)。わざわざ女部屋をひとつとったというのに、わたしはまくら投げで騒ぎ疲れてそのまま男部屋で無防備に寝た(らしい)。福富さんからその話を聞いたとき、何やってんだと率直な感想を抱いたのは言うまでもない。福富さんをはじめ、写真に写るレギュラーメンバーたちは高校時代のわたしを面白おかしく語る。しかしそれは全て紛れもない事実らしいから困る。一番困っているのは、それらのうちの一つさえも思い出すことのできない自分自身だったりする。

「卓球で荒北さんに完勝しました」
「記憶捏造すンなボケナス」
「二日目の夜、二人で抜け出して花火見に行きましたね」
「……」
「わたし馬鹿だから慣れない草履で走って怪我して、荒北さん、おんぶして帰ったんでしょ。あの頃から迷惑かけっぱなしです、ね…?」

靖友と花火。決して綺麗とは言えない文字。写真の中で幸せそうに笑うわたしの隣で、荒北さんは照れ臭そうに視線を逸らしている。誰が撮ったとも分からないその写真から、何故、わたしはそこまでのことを語れたのか。驚いて顔を上げると、荒北さんも驚いたようにこちらを見ていた。その手に力なく握られたゲーム機から、カートに乗った某キャラクターの悲鳴が場違いにも響いた。

「ぼんやりとそこだけ思い出したんですけど、これも記憶捏造ですか」
「…ちげーよ、」

違うって、どういう意味ですか。わたしの記憶がやはり間違っているのか、それとも捏造なんかじゃないという意か。写真とは違う表情で目を逸らした荒北さんは、指を動かす仕草もなく、ただゲームオーバーと表示された画面に視線を落とした。沈黙が流れる。不安なのか何なのか、わたしの心臓はざわざわと音を立てる。

「部屋がどんよりしてます」
「おまえのせーだろ」
「荒北さんのせいです。似合わないし空気悪くなるんでその顔しないほうがいいですよ」
「したくてしてんじゃねーヨ」
「バァカ、って言わないんですか」
「マジ何なのおまえ」

荒北さんは悲しそうな顔をしていた。見たことがない表情のはずなのに、どこかで見たことがあると思った。記憶を失う前後どちらの話なのかはわたしにもわからない。わからなかったが、その横顔を見ているとわたしまで泣き出してしまいたくなるのは確かだった。

「おまえが記憶喪失になったの、オレのせーかもしんない」

それでも目を逸らすことのできなかったわたしに、荒北さんは、絞り出すような声で言った。

「衝撃的事実ですね」
「ふざけんなよ。真面目な話」
「…マジですか、」
「どう思う?」
「え…いや…」

会話が安定しない。荒北さんも自分が今何を言っているのか、わかっていないに違いない。しどろもどろと答えを探していると、荒北さんの手がわたしの頭に触れた。

「嘘だっつの」
「は、」
「んな顔すんなっつの。おまえこそ似合わねーよブス」

いつものように言い返せなかったのは、流れる空気が悲しい色をしていたからだ。心の奥深くにある何かが涙腺を刺激する。息を吐き出したら涙が零れてしまいそうな、そんな感覚がした。



20140125
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