あの日、酒の勢いでつけられた赤い痕は一週間と経たずして消えた。翌朝起きた尽八は、泣きそうな顔をして何度も私に謝った。責任を取るとか、そういう言葉を期待していた私はどうにかしていた。「気にしてないよ」いろんな感情を引っくるめて一言口にすれば、悲しさ7割、安心3割の表情が返ってきた。当たり前だが付き合っていた彼氏には即座に暴露た。潔く別れる覚悟は出来ていたのだが、彼側の妥協で和解し、現在もダラダラと付き合い続けている。
大学四年生。就職先はとっくに決まり卒業論文に追われる日々。最近の彼氏はというと結婚の話を持ち出してきそうな、どこかそわそわとした雰囲気を醸し出している。これでいいのだろうか。そう考えることがないと言ったら嘘になる。首筋の痕は跡形もなく消えた。胸のあたりに残ったあまり心地の良くない感情もサッパリ消えてさえくれれば、いっそ。

「なあ、結婚しないか?」

もやもやとした感情を抱えていたその矢先、旅行先で言われた言葉。旅行というよりはちょっとした遠出のつもりだったのだが、どうやら彼にとっては大きな意味をもつものだったらしい。けっこん。あまりはっきりとしないイメージを口の中で転がし、私は曖昧に答える。

「考えさせて」
「…だよなあ。うん、じっくり考えてくれよ。待ってるから」

何とも言えない沈黙が流れ、雰囲気に流されるままキスをされる。これでいいのだろうか。良くないだろう、何一つ。
不毛な自問自答を繰り返していたら、視界の端で何かが動いた。驚いたふうなその人物と目があった瞬間、私はどこか反射的に彼から身体を離した。「知り合いか?」何も知らない彼が問う。そこにいたのは尽八と、彼の友人たちだった。

「ぐ、偶然だななまえちゃん!ここの温泉は有名だろう?インターハイも終わって少し時間ができたのでな、部活仲間と、一緒に…」
「…尽八」
「っ、すまない、」

しどろもどろに言葉を並べていた尽八は私に背を向けた。そうして早足でその場を立ち去る彼を、仲間たちは焦ったように追いかける。新開くんと福富くんは軽く会釈を、元不良少年は一つ舌打ちを残して行った。キスを見られた。尽八の泣きそうな顔は久しぶりに見たと、どこか遠くの意識のほうで思った。

夕食前、頭を冷やしてくると告げて私は宿を出た。察しのいい彼はどこか悲しそうに笑っていた。繋ぎとめることもしなければ突き放すことだってしない。彼の好意に答えられないのならこんな関係は続けるべきではないのだ。分かっているのに行動が伴わない、優しさに甘えてばかりいる駄目な女だと思う。
河原に腰を下ろす。吹きぬける風は少し肌寒く感じられた。
こういうとき、尽八なら何も言わずに自分の上着をかけてくれるんだろう。寒いなんて文句の一つも垂れずに、さも当たり前のように。そういうことを他の女にもやっているのだと思うと心臓が締め付けられる。あの笑顔が私以外に向けられていると思うだけで、心中には何やら薄暗いものが渦巻く。病でも患ったかのように増す、痛み。もういい歳になる大人が顔も知らない女子高校生に嫉妬だなんて、とんだ笑い話じゃないか(それに、虫のいい話だ)

「なまえさん」

呼ばれてみて顔を上げると、新開くんがそこにいた。一言断って隣に座った彼の手には食べ物が握られている。近くで屋台でもやっているのだろうか。食べるかと聞かれた私は首を横に振った。

「さっきの、彼氏ですよね」
「まあ…そんなとこ。でもプロポーズされちゃったし、彼には悪いけど別れるつもり」
「尽八?」

小首を傾げ、私の顔を覗き込む。こんな図星の顔を見られては誤魔化すこともできやしない。
普段の私なら、最も信頼を置く親友にさえこんな話はしないだろう。弱点は決して見せないように、弱いところは自分だけが知っていればそれでいいのだ。そんな私がここにきて始めて誰かに弱音を吐いたのは、きっと、もう内にとどめておくのが限界だったのだと思う。

「笑えるでしょ。私みたいなのが4つも年下の、ましてやガキの頃から知ってる弟みたいな奴に惹かれてんの。でも、だめ。尽八はキレイすぎる。私みたいなやつとじゃ、到底釣り合わ――なッ」

一つ出ればまた一つ。ボロボロと零れ出る本音が途切れたのは、背中を足蹴りされたためだ。いつものように怒る気力はなかった。むしろストップをかけてくれたことに感謝しながら、私は苛立ちを露わにする元不良少年に振り返る。

「靖友…、おめさん、なまえさんに会いたくねえって、」
「あーそォだよ、会いたくねえよこんなやつ。でも聞こえちまったもんは仕方ねーだろが。一言言ってやらねーと気が収まらねーんだよ」
「あっ、おい!靖友!」
「っせ!おめーは黙っとけ新開!」

相当腹が立っているらしい。胸ぐらを掴み上げられているのにもかかわらず、頭は冷静にそんなことを思った。

「さっきの、東堂に対する親切のつもりか?さいっあくだなアンタ」
「……」
「てめーが自分で自分否定しようが知ったことじゃねーけどな、あいつの気持ちまで否定するなら許さねえぞ。好きなら逃げんなボケナス」

逃げるな。そう言われて、私は顔を上げた。きっと呆気に取られたような表情をしていたのだと思う。元不良少年は途端に狼狽えたような仕草を見せて、恐る恐る手を離した。「ありがとう…」殆ど無意識にポロっと出た感謝の言葉。素直な私が恐ろしかったのか、はたまたこの流れで殴られるとでも思ったのか、元不良少年は新開くんの後ろに素早く身を隠した。

「ガキだね、」
「ああ!?誰がガキだコラ!」
「私がだよ」

何かとそれらしい理由をつけては、向き合おうともせずに逃げていたのだ。正しいことであると疑わず、それが互いの幸せであると勝手に決めつけて。もう遅いだろうか。今からでも間に合うだろうか。この後に及んで過った甘い考えを振り払うように頭を振った。遅くても、間に合わなくてもいい。許されなくても構わない。ただ、ただ私は今すぐにでも尽八に会いたい。会ってどうするかは、それから考えればいい。私は携帯電話を手に、通話ボタンを押した。



20140209
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