雨が降ってきた。いつもなら近くのコンビニにでも寄って傘を買うところだが、生憎そんな気分ではない。シャッターの閉まった店の屋根を借り暫しの雨宿りをする。暫し、そう思ったが立ち込めた雨雲を見る限り雨は止みそうになかった。隠し持っていた煙草を手に取り火を付けようとした。ライターの火はなかなかそれに移ってはくれず、私は盛大に舌打ちをした。何が私をこんなにも苛立たせるのか。原因が明白であるだけ笑える。恋だの愛だの、そういうものに捕らわれて生きているという自覚はなかった。私は自分でも知らないうちに、こんなに面倒な女になっていたというわけだ。

「なまえちゃん?」

忌々しい雨め。そうして空を睨みつけていた私を呼んだのは、学校帰りの中学生だ。私のことを馴れ馴れしく呼ぶやつとなると彼を除いて他にはいない。
尽八の横にはこの前とは違う女子中学生が、可愛らしいピンク色の傘を持って立っていた。このクソガキ、まさか女で遊んでいるんじゃないだろうな。数日前の出来事が出来事なだけに腹立ちを覚える。しかし尽八は私のジトリとした視線など気にも止めていない様子で一言二言適当なことを述べ、女子中学生を先に帰した。「すまない。用事ができた」という台詞が女子中学生にどう聞こえたかのかは想像に容易い。透明なビニール傘が差し伸べられる。

「とりあえずウチに来てくれなまえちゃん。そのままじゃ風邪を引く」
「やだよ。煙草吸いたい」
「制服のままで吸ったらまずいだろう」
「どうでもいい」
「良くないな」

思わず舌打ち。知っている。普段はおちゃらけているくせに、こういう時は馬鹿みたいに真面目な顔をするのだ。尽八は自分の着ていたブレザーを私の肩にかけた。何だと思って格好を改めて見れば、白いワイシャツに下着が透けていた。

「そういえば彼女、すっごい顔でわたしのこと睨んでたんだけど」
「ああ、どうやらオレは思いを寄せられているみたいだからな。ここ最近告白ばかりで困る」
「自慢かコラ」
「好きな人がいると言っているのだがな」

4つも年の離れた彼は、私の知らないところでいつの間にか成長していたらしい。下着が透けているとあえて知らせず上着を貸すところ然り、自分の肩が濡れることも構わず傘を傾けるところ然り。知らなかったことが見え隠れする。歩道側を歩くなんて技、どこで覚えてきたんだ。まるで女の子をエスコートするみたいに私を扱うのはやめて貰いたい。それとも彼は、失恋した女は落ちやすいことを知っているのだろうか。知っていてやっているとしたらタチが悪い。

「じゃその子と付き合いなさいよ。そんなにモテるんなら、女の一人や二人簡単に落とせるだろ」
「相手に恋人がいてもか?」

だから、そんな目で見るな。私は逃げるように視線を逸らした。

「なまえちゃん、どうして泣いていたんだ」

まるで誘導尋問のようだと思った。私は湿った咥え煙草に火をつけようと試みたが、点火しないどころかライターさえ使い物にならなかった。舌打ちの代わりに大きく息を吐き、絶えず向けられる真剣な目に視線を合わせる。

「知ってんでしょ。下手くそ」
「…姉貴から聞いたんだ」
「あいつ…」

弟と何て話をしてるんだと思ったが、仕方のないことだったのかもしれない。私が親友の前で泣いたのはあれが初めてのことだったから。
しかし私にとっても初めてだったのだ。こんなにも人を好きになって、こんなにも触れたいと思ったのは。こんなに痛くて悲しいのも初めてだった。生まれてしまったこのどうしようもない感情を消す方法を、私はまだ知らない。消えてくれるものなのか、あるいはずっと在るものなのか、それさえも。

「浮気されたのだろう?そんな男、嫌いになってしまえばいいじゃないか」
「簡単に言うなよ。それができたら泣いてなんかない」
「……なんで」
「いやなんでって」
「なんで、なんでそんな奴のことが好きなんだよ。オレにしとけよ。オレならなまえちゃんを泣かせたりしない」

私の目を真っ直ぐに見据えた尽八は躊躇いもなく言った。生意気を言うなクソガキ、とは思わなかった。不思議なことに私の心を支配したのは一種の安心感にも似た感覚だった。心を刺すような痛みはなくならなかったが、確かに和らいだ。何故だろう。何故かは分からなかったが、確かに心臓のあたりが温かみを帯びたのだ。
眩い光に目を細める。止みそうにないと思っていた雨が止んでいた。切れることはないと思っていた雨雲が緩やかに晴れていく。

「うざいな」
「うざ…!?そんなにオレの気持ちは迷惑なのか!?」
「ドラマの見過ぎだクソガキ」
「違うよなまえちゃん!オレはちゃんと本気だ!本気でなまえちゃんことが好きなんだ!」
「そーかそーか。可愛い弟分に愛されて私は幸せだなー」
「どうしたら信じてくれるんだ!」

晴れた空に対し、まるで私の心みたいだ、なんてポエマーなことは思ったりしない。そんな恥ずかしいことは心の中でだって言いたくはない。私は一つ伸びをして歩き出す。家に帰るのは面倒だから、東堂家でシャワーでも借りようか。すたすたと歩く私を追いかける尽八は、まだ何か伝えたりないことがあるようで煩く騒いでいる。私の下手な照れ隠しにさえ気付くことができないのだから、まだまだ彼にはクソガキという言葉が似合うと思った。



20140206
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テーマ「人外ファンタジー」
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