その日は休日だというのに、わざわざこの前の礼をするためにガキ大将の母親が我が家を訪ねてきた。百歩譲って悪いのは私だというのに、私の母に向かって罵声を浴びせるとは卑怯な人間だ。ああ、できれば今すぐ煙草が吸いたい。生成された煙を思い切りヒステリックな顔に吹き掛けてやりたい。ベソ描くふりしてんじゃないよクソガキ。説教の最中、欠伸をしたら言葉と一緒に唾を飛ばされた。クソババア。母親が隣にいなければ、今頃殴っているところだ。

「最近学校行ってないと思ったら…この前も喧嘩騒ぎ起こしたばかりでしょ?今度は小学生に手を出すなんて、一体なに考えてるのよ」
「ムカついたから」

率直な意見を述べると溜息が降ってきた。最近母親は二酸化炭素ばかりを吐き出しているような気がする。それもこれも、人生の一つ目の山に差し掛かっているらしい馬鹿な娘のせいなのだが。

「東堂ちゃんともあんなに仲良かったじゃない。喧嘩したの?」
「別に」
「あんないい子他にいないんだから、仲直りしなさい」
「いや、喧嘩してないって」

喧嘩はしていない。会えばいつも通りに声を掛け合うし、約束さえすれば遊びもする。ただ、誰かと約束をするような気分ではないだけだ。
言葉を発しなくなった私を見て、母親がまた空気を吐き出した。その直後、インターホンが鈴と鳴った。

「あら、尽八くんじゃない!」

玄関先にいたのは東堂弟だった。何故か涙目になりながら泣くのを堪えている。よくよく見れば、ここに来るまでに転んだらしい、真新しい擦り傷が膝に出来ていた。

「なまえおねーちゃんは悪くないんだ!だからおこらないでくれ!」
「え、ええ?」
「おねーちゃんはあいつらに殴られそうになったオレを助けてくれただけなんだ!おねーちゃんは悪くないんだ!」

何をそんなに急いでいたんだろう。そう疑問に思いながら母親に言われた通り救急箱を持ってきた私は、部屋まで響く声を聞いて納得した。そうか。それで必死になって走ってきたなんて、馬鹿なやつだ。

「わかったわ。尽八くん、おばさんなまえのこと怒らないから安心して帰りなさい」
「ほんと…?よかったあ」

消毒液を塗って、絆創膏をつけて。まるで自分が許されたときのように、至極安堵した様子で笑った子供。やっぱり馬鹿なやつだ。

「なまえおねーちゃんの手は冷たいな!」
「悪かったな」
「心があったかいんだ」
「単なる冷え性なだけだよ」

赤とんぼの歌が似合う夕暮れの道を歩く。すると、嬉しそうにブンブンと手を振っていた子供が盛大にすっ転んだ。手をつないでいるというのに何でだ。小さく息をついた私は、しゃがみこんで、決して大きいとはいえない背中を向ける。

「だ、だいじょーぶだ!」
「ダメだろ。ガキはガキらしく甘えなさい」
「できんよ!男たるもの、じょしに負ぶさるなど…」
「さっさと乗らないといわすぞ」
「ごめんなさい!」

態と低い声で言うと、拒んでた身体がどこか遠慮気味におぶさった。立ち上がってみて実感した重さに、正直なところ驚いた。おもい。軽そうに見えて重いんだな、こいつも、それなりに色んなものを抱えてんのかな。私はこの子供の母親でも姉でもない。それなのに何故か母親や姉のような気持ちになって、それなりに大層なことを思ったりして。

「なまえおねーちゃん、」
「なに」
「オレ、つよくなる」

背中に音が伝わる。とくん、とくん。規則的なそれは何かとても大切な感情を伝えようとしていた。

「つよくなって、いつかなまえおねーちゃんを守ってやるからな!そうしたら、オレと…オレとけっこんしよう!」

真っ直ぐすぎるその言葉に、私はほんの一瞬だけ息を止めた。驚いた。驚いた私は何かとても大事なことを思い出したような気がして、気づけば下手な笑顔を浮かべていた。

「ガキだな」
「ガキではない!もう小学校4年生になる!」
「違う。わたしが」
「…どういうことだ?」
「姉貴は元気かー」
「げんきだぞ!この前もいっしょにマリカーした!」
「よかったね。私も明日遊びに行くかな…学校終わったら、久しぶりに」

久しぶりに笑ったからか、表情筋はうまいこと役割を果たしてくれなかったように思う。しかしここのところずっと引っかかっていた何かは確かに消え去り、そうしてじわりと心臓のあたりを熱くした。

「なまえおねーちゃんの好きなおかし、母にゆって用意しておいてもらおう!」
「そこまでしてくれんのか」

愛されてんな。冗談で呟くと「あいしてるぞ!」元気な返答がオウム返しでおかえりなさい。愛だなんて、やっぱり最近のクソガキはマセガキばかりだ。



20140201
背中に鼓動
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -