「東堂さまー!最後に指差すやつやってー!」

正直言って煩い声が辺りに響いた。耐え兼ねて耳を塞いだわたしと荒北の横で、ファンの子たちのリクエストに応えた東堂はビシィッとポーズをキメる。正直言ってウザい。しかし、この光景が日常的に見られるのも今日が最後だと思うと少しだけ寂しく思う。

「美形というのも罪だな。あんなにたくさんのファンの子に背を向けねばならんというのは、オレとしても心苦しい」
「なまえ、おめさんコサージュ曲がってる」
「あ、ほんとだ。こんな感じ?」
「そんな感じィ。つか式終わったんだからンなもんとっちまえ」
「外すのは写真を撮ってからだ」
「はぁい」
「みんなして無視か!今日で最後だというのにおまえたちは変わらないな!」

盛大に式が催され、卒業証書を手にし、保護者席の親や友人たちの涙を見てもなお、この学校を去るという実感はそれほど湧かなかった。過ごしてきた毎日に慣れすぎてしまったのだろうか。確かに、明日また目を覚ましたら、三年間慣れ親しんだこの制服に無意識に袖を通してしまいそうな気がしなくもない。

寒い寒い、呪文のように呟きながら歩いていたら荒北に煩いと言われた。新開はポケットの中のカイロを貸してくれないし、福富はスタスタと撮影場所へ向かうばかり。東堂は最初から当てにしていないが、女子が寒いと言っているのだからそれなりの気遣いはしてくれたっていいんじゃないかと思う。
まあでもそれがわたしたちだ。支えられていたのか支えていたのか、どちらともわからないが、一つの目標に向かって走り続けてきた仲間。口にしたら確実に笑われるだろうけど、なかなかいい響きだ。まさに青春とも言えようこの三年間は驚くほどに濃かった。色々あった。今となってはどれも美しいばかりの思い出である。
この三年間を思い起こしていると、校門の方から白いロードバイクが近づいてきた。誰からともなく溜息を吐く。仮にも先輩であるわたしたちの門出の日によもや遅刻だなんて。ある意味期待を裏切らない困った後輩だと、おそらく全員がそう思った。

「よかったあ、間に合って」
「間に合ってないからね?んもう大遅刻」
「式はいいんですよ。今日はなまえさんに第二ボタンをもらいに来ました」

ロードバイクから降りた真波は唐突にそんなことを言った。本当にボタンだけのために来たというならそれはそれで問題だ。

「真波、ブレザーに第二ボタンも何もないだろう」
「え〜でも東堂さん既にボタンないじゃないですかぁ」
「ハッハッハ!シャツもスボンもあげられるものは全部ファンの子にあげたからな!こういうこともあろうかと服を持参してきて良かった」
「ハッ、ナルシストうっぜ」
「うざくはないな!」
「あげてもいいけど、ただのボタンだよ?」
「ただのボタンじゃないです。第二ボタンはその人の心臓なんだよ、なまえさん」

第二ボタンは心臓に一番近い位置にあるからと言って、卒業式に意中の男子からそれをもらう女子も少なくはない。学ランではない、ブレザーが指定の箱学にもそのジンクスは存在する。実際、自転車部レギュラー陣の制服の第二ボタンはきれいになくなっていた。あの荒北でさえも今朝隣のクラスの女子にネクタイを強請られていたから驚きだ。このネタは暫く使える。

余談はここまでにして、さしたる問題は目の前の後輩だ。なぜわたしの第二ボタンなんだろう。天然ちゃんと名高い真波の考えはよくわからない。

「オレ、なまえさんが好き」

やはり、よくわからないと思った。この場所とタイミングでの告白をあたかも自然にやってのけるのは真波くらいだろう。他人事のようにそんなことを思うわたしに、真波はさらに言葉を重ねる。

「なまえさんが近くにいればどこまでも行ける気がするんだ。でも卒業しちゃったら一番近くにはいられないし、毎日会うことも難しいから」

だから欲しいのだと真波は言った。わたしはぼんやりと思考しながらブレザーのボタンに触れる。ひんやりとしたそれは心臓のようにトンともドクンともしなかったが、これがあれば「走れる」と口にした真波がいうなら、不思議とそれは現実になるような気がした。
わたしは丁寧にボタンをとり、物好きな後輩の手に握らせる。等の本人は驚いたように大きな目をパチクリとさせていた。

「欲しいって言ったの真波でしょ。わたしはずっと真波のそばにいるって証拠。応援してる。頑張ってね」
「……、はい!」

心臓とやらの存在をじっと見つめていた瞳が揺らめく。揺らめいているくせにやけに真っ直ぐな瞳だと思った。寝癖のついた髪を無意識にわしゃわしゃとやっていると、横入りしてきた東堂が真波に何かを手渡した。

「この山神の心臓ももって走るといい。これでおまえは向かうところ敵なしだ!」
「東堂さん…女の子にあげたんじゃなかったんですか?」
「なに、なまえにやろうととっておいたのだ」
「わたしはいらないな?」
「いらないっていうな!!」

いらない、と真波もそう言って突っ返すかと思いきや、「ありがとうございます」律儀に腰を折って頭を下げた。わたしと東堂はちらりとアイコンタクトをとる。珍しいこともあるものだと思ったのは彼も一緒だろう。

「卒業おめでとうございます。みなさんと一緒に走れて、よかったです」

その声が少しだけ震えているように思えたのは気のせいだろうか。
「全員整列!!」という張り詰めた声が響いたのはそのときだ。ズラリと並んだのは二年、あるいは一年間をともに走ってきたチームメイトたち。自己主張の激しいこの大勢の名前と顔を一致させるのは、ある意味マネージャー業の中で一番大変だった仕事とも言える。

「先輩方!短い間でしたが、今まで本当にありがとうございました!」

泉田の声に連なるようにして、「ありがとうございました」と全員が言った。何とも運動部らしい光景だ。何だか色んなものが込み上げてきては鼻の奥がツンとしたが、隣にいる東堂が涙を堪えているのを知って我慢した。「なんかいいな」呟いた新開に福富が頷いた。荒北は面倒臭そうにしていたが、たぶん、嬉しいんだと思う。
近くで下を向いたままの真波の頭をかき撫でる。鼻を啜る音が聞こえたのは気のせいなんかじゃなくて、前髪に隠された瞳はきっと滲んでいる。わたしが、わたしたちが言わんとしたことはきっと伝わった。そういうふうに過ごしてきた。あえて言葉で語るなんて野暮なことはしない。「じゃあね」それだけ告げて、わたしたちは学び舎に背を向ける。勉強はからっきしだったけれど、たくさんの大切な思い出の詰まった真っ白い校舎。二年前、ここに立っていた頃と比べれば少なからず成長できたのだろうか。

「いーい後輩を持ったね。わたしマネージャーやっててよかった」
「まったく…良くできた後輩だな」
「尽八、泣いてるのか?」
「そういうおまえも涙目ではないか!フクは相変わらずだなオイ!」

変わったといえば変わった。しかし変わっていないといえば、わたしたちは何ら変わってはいない。三年間は長かったようであっという間だった。駆け抜けるように、吹き抜けるように、そうやって青春時代は気付けば終わりを迎えている。

「あれよかったのォ?」
「何が?」
「バァカ真波だよ」
「真波が走れるならいいんじゃん?」

答えらしくない答えを返すと、荒北はわけがわからないという顔をした。わたしだってその答えを明確に理解しているわけではない。ただ何となく、あっという間に終わる青春を誰かに縛られて過ごすなんてダメだと思った。自由に、何にも囚われずに走る方がよほど彼らしい。

さあ行ってこい。まるで背中を押すように、ひときわ強い風が吹いた。



20140310
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