放課後の教室の雰囲気は嫌いじゃない。静寂の中に溶け込む、校庭から聞こえる部活中の生徒の声、カチリカチリと時を刻む秒針。さながら小説の中にいるようなこの感覚は、むしろ好きの部類に属する。
好きといえば。わたしは白黒はっきりつけないと気に入らない人間なのだが、最近、わたしの中で唯一灰色を貫いている存在がいる。一人の後輩の存在だ。彼はいとも簡単にテリトリー内に踏み込んできては何かしらを残して去って行く。遠慮気味に、しかし強引に。おかげでわたしの毎日は詰まらなくはないが、心穏やかではない。好きにも嫌いにも属さない灰色。わたしは心の何処かで、いつか彼がプラス側に入り込んでくるのではないかと冷や冷やしている。
――などと考えながら。いつもお世話になっている教室の隅を掃き終えたところで、スライド式の扉がガラリと開いた。

「あ、おかえり…って、黒田くんか」

先ほど急ぎ足で出て行ったクラスメイトかと思い「おかえり」と口にしてしまったが、そこに立っていたのは指定ジャージを羽織った後輩だった。噂をすれば影あり。顔を赤らめて口元を隠している彼こそが、ここ最近の悩みの種である。

「あの、今のもう一回いっすか」
「言わないよ?」

あえて言葉にはしないけど、黒田くんが何を思ったかは想像に容易い。間髪入れずに断ると「ちぇっ」と口を尖らせて近くの椅子に腰を下ろした。そういうところは可愛いんだけどな。机に頬杖をつく黒田くんを一瞥し、わたしは苦笑いを零す。

「あとどんぐらいで終わりますか」
「もう少しかなあ。日誌つけたら終わり」
「なまえさんひとりなんですか?」
「日直の子二人とも休みで」
「えっ、わざわざ引き受けたのかよ」
「うん」

日直の子がふたりとも休みだったため、明日担当する予定だったわたしが前倒しでやることになったのだ。そうは言っても席替えの予定だとかそういうものがあるから、明日もわたしが日直をすることが決まっている。ちなみに、隣の席の女の子は病欠気味なので必然的に一人で。けれど、そのことを特に億劫には思わない。先にも記したとおり、わたしは放課後のこの雰囲気が好きだったりする。家に帰ったところで、本を読むか、映画を見るか、それくらいしかやることがないような人間だ。面倒ごとにならない程度に(誰かが味を占めない程度に)、日直や委員会の仕事を手伝ったりすることも稀にある。
ゴミをゴミ箱に放り込んだわたしは、自分の席に座って日誌を開いた。「前失礼します」一言断った黒田くんが前の席に座る。こちらを向いて。今日の天気は清々しいほどの快晴。記入者はみょうじ、と。

「なまえさんってお人好しですよね」
「ケンカ売らないの」
「優しいってことですよ。そういうところも好きです」

心臓が疼く、という感覚を知ったのは最近のことだ。誰かを好きになって、アプローチして、それから告白する。そのプロセスの中では決して味わうことのなかった感覚。

「黒田くん、」
「なんですか」
「部活はいいの?」
「自主練なんです。でも、ノルマは終わらせて来たんで。なまえさんのこと見送ったら戻りますよ」

その感覚が示す結論を、わたしはまだ、歩数にするならばあと一歩だろうか、まだ認められずにいる。
黒田くんはこちらを向いているような気がしたが、わたしは日誌から目をそらさなかった。「なまえさん」強請るような声に、また心臓が疼く。白い紙の上に滑らせていたシャープペンの芯が、力を入れすぎたせいかポキリと折れた。

「オレ、本気で好きなんですけど」
「…うん、前も聞いた」
「デートしたりして、最近ちょっといい感じだって思ってたの、オレだけですか?」

年下には興味がない。あのときのように言いきってしまえばいいだけの話だ。そうすればこの、白黒つかない関係は終わるだろうか。終わるかもしれない。いくら彼でも、そこまでされてまで頑張り続けるとも限らない。そう思うと、わたしの口は頑なに動こうとはしなかった。意識に反して。だって、言ってしまえば、言ってしまえば物語はそこで終結してしまうから、なんて。そうしてわたしの口は、やっぱり狡い言葉を吐き出してしまう。自分でも笑えるくらい、なんて狡い距離の詰め方だろうと思う。

「わたしも、ここのところ自分でもびっくりするくらい黒田くんのこと考えてるんだよね」

びっくりしたように目を丸くする黒田くんに対して、「付き合ってみる?」首を傾げてみたのは、年上としての余裕を見せつけたかったからに他ならない。それにしても、どうだろう。躊躇っていた一歩を踏みこんでみたら、心に詰まっていた何かはすんなりと溶けていった気がした。
――さて。漸く結論が出たところで、まずは目の前で固まったまま動かない後輩をどうにかするとしよう。日誌を書き終えたわたしは、初めて自分から彼のほうに手を伸ばした。



20140302
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