小さい身体を力一杯抱きしめて、あの日伝えられなかったたった二文字の言葉を告げるまで、あとわずか数時間の猶予を。





「巻島くんが留学かあ」
「どういう意味っショ、それ」
「心配だなって」

どこか小馬鹿にしたような言い草でみょうじは笑う。人とのコミュニケーションがあまり得意じゃないオレだから、右も左も分からない外国なんかに行ったりしたら大変なことになるとでも言いたいんショ。失礼なやつだ。けどまあ確かに、その辺を歩いている他人に道を聞くとか、入学予定の語学学校で自己紹介をするとか、ましてや新しい友人を作るなんてオレには到底出来そうにない。そう断言するくらいのマイナスの自覚はある。

「それに、イギリスのごはんって美味しくないって聞くし」
「醤油持ってく」
「プライドが高くて頑固で計算高い国民性だって言うし」
「ココもそういう奴らばっかだけどなァ」
「日本人殆どいないって話も」
「外国に留学するんだからそりゃ…さっきから何ショ」
「何って?」
「だってそれじゃまるで――」

言いかけてみて慌てて口をつぐむ。何を言おうとしてるんだ。こんな大それたこと、言える立場じゃないだろ。オレはみょうじの恋人でも何でもねーんだから、そんなこと。

「そんなわけないでしょ。わたし、巻島くんのこと応援してるよ」

しかしオレの動揺をも包み込むようにみょうじは笑う。下手な取り繕いは、そうだ、察しのいいこいつにはやっぱり通用しないのだ。
みょうじの隣が居心地いいのはそのせいだと思う。みょうじは、口下手なオレの感情をいち早く読み取ることがやけに上手い。それに比べてオレは、と思わざるをえなかったのは帰り際に掴まれた服の裾のせいだった。らしくもない、控えめな掴み方しやがって。いつものノリで抱きついてきてくれたら、いっそ勢いに任せて抱きしめることだってできたのに。

「ごめんね。うそついた」
「そうか、」
「本当は少し寂しいのかも。この先二度と会えないわけじゃないのに、なんだか。…頑張ってね」

笑ったみょうじの顔は見ることができなかった。これで最後なんだって、柄にもなくそんなことを思ってしまったから。気が利いた言葉はやっぱり見つからなかった。互いに何か言いたげな顔を残して別れた。その姿ははたから見ればかなり滑稽だったに違いなかったが、思い浮かんだ言葉は何れもしっくりこなかった。おまえも頑張れ、達者でな、なんて、何れも笑えるくらいに的外れでそぐわない気がしてならなかった。
なら、オレは結局あいつに何を言いたかったんだ?
顔を伏せたまましばらく十字路で立ちすくんでいたオレだったが、重たい一歩を踏み出してみれば、これがまた不思議と、次の二歩目は案外簡単に。どっかの誰かが得意げに語っていた初めの一歩が肝心、なんつー言葉は強ち間違いじゃあなかったらしい。「みょうじ!」呼び止めた黒髪が振り返る。ドラマのワンシーンみたいに抱きしめてやるなんて芸当はできやしなかったが、驚いたふうに振り返ったみょうじはいつもよりもキレイに見えた。

「これ、受け取ってくれ」

渡すか渡さないか、迷いながらもショップで買ったそれ。レジで金を払ってる最中だって、重いと、そう思いながら結局は買ってしまった銀色のリング。アクセサリーなんてものを選んだ自分の本音は知れている。なあ。察しのいいおまえならこの意味、わかるっショ。渡されたそれをまじまじと見つめるみょうじに、オレは何とも身勝手な期待を抱いたりした。
「巻島くん」その声にやっと顔を上げたオレは言葉を詰まらせた。泣き出しそうな、しかし嬉しそうな、器用な表情がこちらを向いていたからだ。

「ありがとう。ねえ、巻島くんが帰ってくるの待っててもいい?」

重いって言われる覚悟はできてたんだ。オレたちはそんな関係じゃないだろう、そう跳ね除けられる覚悟だって。だというのに。それなのにみょうじは押し付けがましいシルバーリングを細い指に通して、それでいて、「待ってるね」返事も聞かずに話を進めるもんだから。
動揺のあまり開けた口を閉じれないでいると、それを見たみょうじは面白そうに笑い出した(ああ、やっぱり好きだ)
空気はまだ夏の匂いの残る道の上。オレは情けなくもまだ言えそうにない言葉を飲み込んで、つられて笑みを浮かべた。



20140214
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