どこにでも行けそうなその足のサイズが、わたしにはとても羨ましいものに思えて仕方が無い。

「行きたいところがあります」

自転車の部品を弄る寒咲さんはいつもの顔でこちらを見た。薄く笑みを貼り付けた表情。それを見るたびにわたしは気づかれないように奥歯を噛む。その笑みの後ろ側で何を考えているのだろう。近くにいるのに遠いような、よくわからないこの感覚はあまり好きじゃない。

「どこ?」
「ひみつです」
「そーかい。コレ終わらせたら付き合ってやるからよ、」

店先に佇むわたしに中で待ってるように言って、寒咲さんはまた目の前の自転車を弄り始めた。約束もしていないのに押しかけて、我儘なことを言っては仕事の邪魔をした。我儘な子供だと少しでも咎めてくれればいいのにと思う。きっと、わたしは今とても可愛くない顔をしている。
痛くなる優しさに甘えて、わたしは暫く店先に立っていた。一仕事を終えた寒咲さんはエプロンの代わりにコートを着て出てきてくれた。仕事はいいのだろうか。誘ったのはわたしだというのに変な心配をしていたら、「心配すんな」大きな手のひらが頭を撫でる。口にしていないのに返ってきた返事に、心臓のあたりがぎゅうと締め付けられた。それから二人で並んで歩いた。行き先は決まっていなかったが、足は自然と地下鉄の駅を目指していた。

「行っちまったなぁ」
「そう、ですね」

ホームに着くなり発車した電車が小さくなっていくのを見送りながら、寒咲さんは自然な動作でわたしの手を握った。大きくて暖かくて、優しい。その熱にはもう慣れたと思っていた。わたしの手は少しだけ震えている。

「食う?」

プリッツ、ではなく、チョコレートがたっぷりと塗られたポッキーが差し出される。横目で見つめてしまっていたから、食べたいのかと勘違いされたようだ。違うのに。しかし何故食べかけなんだと思う。チョコレートの先端が、口内の熱で溶かされてどろりとしていた。

「いりません」
「へえ。物欲しそうな顔してんのに」
「…あんまりそういう顔すると幹に言いつけます」
「バレたら多分、あいつオレと口利いてくれなくなるぜ」

にやりとした寒咲さんは、今度は眉を寄せて笑った。わたしは視線を別のところへやる。隣にいるのに、手は触れているのに、こんなにも胸が締め付けられて苦しいのはどうして。「なまえ」電車待ちをする高校生カップルをぼんやり見つめていると、急に名前を呼ばれた。どきりとしながらも振り向くと、整った顔が考えていたよりもすぐ近くにあった。鼻を掠めた甘い香りにくらりと目眩がする。

「寒咲さん、だめですって、」
「大丈夫だって」

唇が重なる。触れる直前、近くのカップルと目が合った気がした。寒咲さんの言う大丈夫がどういう意味かはわからなかった。ただ口の中に広がるチョコレートの味は、ゆるりゆるりとわたしを溶かしていく。
やってきた電車が地下鉄のホームに生ぬるい風を運ぶ。風に遊ばれては乱れた髪を、寒咲さんは笑いながら直してくれた。車内は仕事を終え帰宅する人たちで混み合っていた。人の波に埋もれ潰されないようにと、わたしと向き合うように立った寒咲さんの手が手すりを掴んだ。顔を持ちあげれば鼻先が触れ合う距離。何と無く寄りかかった肩から伝わるリズムは一定の速度を保っている。穏やかな鼓動はわたしのそれと重なって、何だがそれだけでひどく恋しいものに思えた。

快速電車の終着駅でわたしたちは下車した。初めて足を踏み入れた知らない街は、当たり前だが知らない人たちで溢れかえっていた。何かここに欲しいものがあったわけではなかった。求めるものが見つかるかもしれないなんて、大それたことを思ったわけでも。それなら何故こんな場所まで来てしまったのか。寒咲さんを連れて、わたしは一体何を求めていたのだろう。
わざとらしい自問自答の答えはとっくに知っている。きっと寒咲さんだって。声にはしたくないけど、わたしは、多分。
「気にすんな」わたしの髪を撫でたその人は笑った。まるで心の中を全て見透かされているようだった。俯いていた顔を少しだけ上げてみる。向こうの方まで続く真っ直ぐな道に伸びる二人分の影。橙色に染まった景色と一緒になって、やけに綺麗。そんな事を考え立ち竦んでいると、「帰るか」優しい声色が告げた。左手が差し出される。わたしは恐る恐る自分の手を伸ばしてみて、そして引っ込めた。しかし寒咲さんは呆れた様子もなく優しく笑う。繋がれた手と手は嬉しいはずなのに、何故かとても悲しかった。



20140211
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