何をしてるのかと。尋ねてみれば視線のみがチラリと返ってきた。机に向かうなまえはペンを握り直し、シンプルな白い便箋に文字を綴る。そこには綺麗に整った書体が並んでいるのだろう。何をしているのか。わかっていて尚尋ねた荒北は、なまえしか居ない教室に一歩足を踏み入れた。声は答える。

「荒北こそ。部活サボり?だめだぞ、インハイ前なんだからこんなところで油売ってちゃ」
「休憩だァヨ」
「わざわざ教室まで?」
「るっせ」

放課後の教室。日は落ちかけているというのに、空気はまだジメジメと蒸し暑い。すっかり放課後になった校庭からは野球部の金属音や、サッカー部の歓声が聞こえてくる。部活はどこもかしこも夏の大会に染まっている。荒北の所属する自転車競技部もそうであるように、本来なら、なまえも日差しの照りつけるグラウンドを走っている時期だった。焼けることも厭わずに真夏の陽に肌を晒して、スパイクを履き、地面を蹴る。その姿が綺麗な情景のようであることを知っている。それが実現しないことには多少の苛立ちを憶えたが、しかし、高校三年生はもう子供ではない。駄々を捏ねて地団駄を踏んだところでどうにもならないことはあるのだと、それくらいは理解しているつもりだった。仕方のないことた。彼女が二年間着たユニフォームを脱がねばならない事実も、卒業を待たずこの学校を去らねばならない真実も。

「わたし転校するんだ」
「知ってる」
「今の台詞、なんかベタな青春ドラマっぽくない?」

笑う。その表情は綺麗なものであるはずなのに、やはりどこか悲しかった。ペンケースを弄ったなまえが席を立つ。何かを企んでいるときの顔が荒北を覗き込んだ。

「ね、目瞑って手出して」
「キスでもしてくれンの?」
「しません」
「冗談だっつの」
「はいはい御託はいいから手を出しなさいな」

いつもなら下らないと言って跳ね除けている提案だ。柄にもなく乗ってやろうと思ったのは、もうこの時が訪れないかもしれないと思ったからだ。手のひらを滑るペン先は夏の気温に似つかわしくなく、ひんやりとしている。どうせまた下手な絵でも描いているに違いない。

「よし書けた。おっと、まだ目を開けてはいけないよ」

思い切り馬鹿にしてやろうと、瞼を押し上げようとした荒北をなまえが止める。気配が遠ざかっていく音がする。ぎゅっと握られた手のひらはまだ見れそうにない。

「荒北」
「…ンだよ」
「目開けていーよ」

目を開けて扉の方を振り返ったが、そこにはなまえの姿はなかった。走ってどこかへ行ったのだ。意味がわからない、一体何がしたかったのだろう。しかしそうして何となく手のひらに視線を落としてみて、――至極、驚かされた。
してやられた。荒北は舌打ちを一つして教室を飛び出した。嗚呼、何てベタな青春ドラマだ。楽しくも面白くもない、ただ苛々と苛立ちを募らせるだけだ。既になまえの背中は見えなくなっていたが、どちらに走って行ったかは不思議と分かる。階段を駆け下り、下駄箱を通りすぎ、グラウンドへ。普段陸上部が使っているグラウンドは、まるで閉鎖でもされてしまったかのような静寂を貫いていた。その中央に走り込んで行ったなまえが、自分の足に足を絡ませて転んだ。

「あっはっは!転んだー!やっぱり上履きじゃ全力でねー!」
「ふざ、けんな、てめ…!」
「ごめんごめん。さすがの荒北でも陸部のエースには追いつけないよなー、実力を見誤った」
「ちっげーよ!コレだボケナス!」

息を切らせながら目の前に翳した手のひらには、水性ペンで書かれた文字が滲んでいる。

「過去形にすンじゃねーよ」

――好きでした。

例えそれが過去形でなくとも、なまえは逃げただろうし、荒北は全力で追いかけただろう。グラウンドに座り込んだなまえが笑う。最早怒る気力も根こそぎ奪われて、荒北は溜め息を吐いた。

「なァに笑ってんのォ?」
「追い掛けてきてくれると思ってたー」
「なら無駄な体力使わせンな!!こんなとこまで全力で逃げやがって殺す気かてめっ!」
「安い青春ドラマみたいで何かいいじゃん」
「よくねーよ!!」

悪びれた様子もなく伸ばされた手。荒北はその手を取って、なまえを立ち上がらせる。

「わたしのシナリオだとここで荒北が告白する予定なんだけど」
「てめえおちょくるのもいい加減にしろよ…!」
「女の子の胸ぐら掴むのいくない」

走ったり何なりで乱れた制服を整えたなまえは、至極楽しげな顔で荒北を見た。迷いのない瞳に射られては思わず狼狽える。それさえも面白いものとしながら、流れる緊張感をものともせずに彼女は口を開くのだ。

「好きです荒北靖友くん」
「……おう、」
「まあ陸上の次くらいにだけどね」
「オイ」
「返事はー?」
「………オレも」

たっぷりと溜めて吐き出した言葉に、なまえは満足そうに笑った。

「いーね!青春ぽくて!」

ああ、クソ、何が青春だ。こんなに甘くて暑くて悩ましいものは二度と御免だ。荒北は思ったが、成る程この笑顔が見れるのなら悪くはないと、そう感じたのも確かだった。



20140120
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