今日もわたしは文節を指でなぞる。物語は始まらない。輝く主人公になれるのは、ほんの一握りの人間だけである。

「さっきから何よ」

活字に視線を落としたまま、前の席に座る新開くんに尋ねた。彼は平凡なわたしの人生にイレギュラーな存在だ。強く平凡を望むわけでもないが、わたしにはとても似合わない。彼と幼馴染であるというだけで女の子たちから黄色い目で見られることは、決していい気分ではないのだ。

「じろじろ見ないで」
「だってシカトするだろ」
「本読んでるの。邪魔しないで」
「邪魔はしてねーよ?」

ああ言えばこう言う。わたしはキリのいいところで栞を挟み、机の上に本を置いた。

「せっかくの休み時間なのだし、つまらないのならどこかへ行けばいいじゃない。それともわたし、新開くんに何か恨みを買うようなことした?」

至って真面目に尋ねたところ、新開くんは耐えきれず噴き出した。失礼なひとだ。女の子たちの間ではいつもニコニコしている新開くんで有名なのに、そんな笑い方をしていいのかと少しだけ心配になる。

「さすがなまえ。返しが斜め上だな」
「馬鹿にしてるでしょ」
「怒るなよ。理由言ったらここにいてもいいか?」

そりゃあ、訳もなくここにいるなんてことはないのだし、答えによっては別に構わないけれど。わたしは手招きをする新開くんのほうに顔を寄せた。こんなに近付くのは小学校のとき以来かもしれない、なんて思いながら、その声に耳を傾けた。

「オレ、なまえのこと好きなんだ」

囁かれた言葉は、そう、予想だにしなかった告白だ。驚かなかったといえば嘘になる。もし物語のヒロインなら、顔を赤くして、可愛らしく照れてしまうのだろう。けれど可愛くもないわたしの口から出たのは、やはり可愛くない溜め息だった。

「溜め息、吐くと思った」
「新開くんにまともな答えを期待したのが間違いだったわ」
「でも本気だぞ?」
「気の迷いよ」
「…どーだろうな」

ああもう、こんなわたしを好きだなんて彼はどうかしている。そうやって真っ直ぐに真剣な目で見つめられたって、わたしの心臓はビクともしないのに。一抹の申し訳なさとともに瞳を伏せて、わたしは机の上の本に手をかける。と、新開くんはそこに手のひらを重ねた。こんな場面、見られたりしたら誤解を生んでしまいそうだ。しかし喧騒の中にあるクラスメイトたちはわたしたちを見向きもしない。新開くんが、少しだけ身を乗り出した。

「キスしていいか?」
「いいわけないでしょ」
「じゃあ名前で呼んでくれよ。また昔みたいに」

はやと。ただの一秒にも満たない三文字を仕方なく口にすると、新開くんは一瞬面食らったあとわたしの机に顔を伏せた。見ないでくれと呟いた彼は、もしかしたら顔を真っ赤にしているか、あるいは口元を緩くさせているのかもしれない。それはあくまで想像の域を出なかったが、確かにわたしの心臓はトクンと鳴った。物語はまだ始まらない。恋なんて、美しい文章の上でしか知らない。けれどもしかしたらこんなわたしでも鈍くても輝けるのかもしれないなんて、なんとも大それた考えを抱いたりした。



2013XXXX
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