暮れ六つ。校舎にはひと気がなく、昼間はあれほどまでに賑わっていた廊下はシンと静まり返っていた。嫌な静けさではない。しかし一人でこの場所に佇んでいるのも、決して良い気分ではない。
大きく開けた窓から差し込む光はオレンジ色をしている。季節はすっかり秋へと移り変わった。薄手のカーディガンが必要となってきたこの時期に、黄昏時の光は優しく、暖かみを帯びているように思う。思うのだが、しかし、そのオレンジ色はいつも淋しい。包み込む、その行為とは裏腹に、世界の脆さを暗に物語っているような、そんな気がしてならないのだ。だから人は、昼と夜が曖昧なそれを忌むべき時としたのだろうか。なんて。そんな堂々巡りを繰り返したところで、何の解決策も見つかりはしないのだけど。

部活動に精を出す学生の声を遠くに聞きながら自分の教室の扉を開けた。「おーす」へらりと薄く笑って右手を上げたのは、私のよく知るクラスメイトの一人だ。夏のインターハイ優勝を収めたことで、一層有名となった我が校自転車競技部の新部長。彼の手元にあるのは、おそらく今年度の練習計画やらメンバー表やら――彼が、手嶋が頭を悩ませている原因。万年帰宅部である私であっても、それらがとにかく大変な案件なんだということは分かる(そう同時に)(理解できないことがもどかしい、とも)

「手嶋くん」

前の席に腰掛け、意味もなく彼の名を口にしてみた。クルクルと回っていたシャーペンが長い指の上で静止した、かと思いきや、また思い出したかのように回転を再開。

「なに?今更改まって」
「ねえ、手嶋」
「なんだよ」
「…純太くん」
「何ですかなまえさん」

心地よい音が鼓膜を通り抜けて、心臓の奥のほうまで届いた。呼んで欲しくて呼んだわけじゃなかったんだけどな。私はただ、色々と、知りたかっただけなんだけど。
不覚にも熱を帯びた私に目を向けて、手嶋は可笑しそうに笑った。

「赤くなるなら言うなって。こっちまで照れるだろ」

――暮れ六つ。
帰り支度を終えた手嶋は、校門のところまで来ると西の方角を指差した。オレンジ色の太陽がやがて姿を隠すであろう方角。互いの帰り道は全くの逆方面だったが、たまにはこういう日があってもいい。そう思いながら一つ頷きを返した。
他愛のない話をしながら、こうして河川敷に足を運ぶのは初めてのことではなかった。私が憧れの先輩に失恋したときも、母親と大喧嘩したときも、はたまたテスト終わりの放課後も、私は手嶋に連れられてここに来たことがある。そういえば、ただ一度だけ私が手嶋を引っ張って来たこともあった。確か梅雨明け間近の7月のことだった。そう、遠い記憶じゃない。

「部長は大変?」
「まァそこそこな。オレに務まんのかね、こんな大役」

戯けたように手嶋は言ったけど、きっと、紛れもない本心なんだろう。7月のあの日もそうだった。「悔しいよ」と口にした彼は笑みこそ浮かべていた、けれど。泣き出してしまいそうなくらい、押し潰れてしまいそうなくらい堪らなかったのかもしれない。言えど、全ては憶測でしかない。私は私で、彼は彼で。私は彼の全てを理解することはできないし、感情の一粒でさえも共有することができない。私はそれが心苦しい。どうして私の流す涙と、彼の流す涙は全くの別物なんだろう。

「帰るか」

手嶋は身体を起こして大きく伸びをした。私たちを照らし、影を作っていたオレンジ色は殆ど隠れてしまっていて、代わりに、空にはぼんやりとした月が浮かんでいた。

「送ってくよ」
「一人で帰れるから大丈夫。手嶋の家遠いでしょ、私の家はここから近いし、」

言いかけた私の前に手のひらが差し出された。何を言うでもなく、さも当然のように。引かれるように伸ばした手は触れるより先に捕まって、グイと引き寄せられる。ああ、これじゃあまるで。浮かんだ感情を消すために頭を振ったが、高鳴り始めた鼓動は速度を増すばかりである。

「そういやさ、さっきコレ見つけたんだ。縁起良いだろ」

僅かな日の光に照らされ。所謂幸せの象徴は彼の指先でクルクルと回っている。「幸先いいね」思ったことを素直に口にすれば、植物特有の香りが鼻を掠めた。さっきと同様。しかし差し出されたのは手ではなく、四つ葉のクローバー。

「いる?」
「くれるの?」
「この場合、くれるのはお前のほうなんだけどなぁ」
「…どういうこと?」
「ま、いいや。帰ろーぜ」

淋しいなんて感情は何処へやら。単純だな、と自分自身に悪態を吐きながらも私は左手の温もりを握り返した。

受け取ってしまった幸福の意味を知るのは、もう少し後の話だ。



20140921
大遅刻!星野さんへ捧ぐ!
title by カカリア様
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