斜め前の席の東堂くんはいつも女の子に囲まれている。やや癖のある性格の持ち主だけれど、顔は文句のつけようがなく端正であるし、誰にでも隔たりなく優しいから当然なのかもしれない。

彼の隣の席はいつだって争奪戦だ。特に、先生の気まぐれでグループメンバーの変わる科学実験の授業は凄まじい。きっと、今日一限目の授業を見てもらえばわかる。気だるそうな先生の「はいはい、じゃあ適当に四人組になってくださいよ」という声を皮切りに、クラスの女の子たちの間でじゃんけん大会が開かれるのだろう。残りの三つの席を勝ち取るのは誰か。それは傍観席にいるわたしの密かな賭け事だったりする。先日くじ運良く、毎日東堂くんの横顔が眺められる特等席を手にしたサクラさんに一票。彼女はじゃんけんにとても強いのだ。
しかし、今日はそのサクラさんがお休みなのだという。登校早々担任に呼び止められたわたしは、なんともまあ大役を任された。劇で例えるならばヒロイン役と言っても過言ではない。

「東堂くん。サクラさんがインフルエンザで休みだから、今週は繰り上がってわたしが週番やることになりました」
「え、」
「よろしくね」

わたしにはとても演じきれないであろう大役だが、しかし断れる話でもなかった。わたしは先生の頼みを断れるほど、気の強い人間でもないのだ。たかが週番されど週番だ。一週間、人気者の彼と何かと行動を共にすることを考えると、なるほど女の子の視線が痛い。

たかが週番、されど週番。しかし週番なんてそんなに気負うものでもないことに気づいたのは、二日ほど仕事を遂行してみてからだった。
思っていたほど東堂くんとの絡みは少なかった。気がつけば東堂くんは一人で仕事に取り組んでいたから、わたしはというと、申し訳程度に足りない部分を補うだけだ。安堵したのも確かだ。けれど、もう少し頼ってくれてもいいのに、とも。機会やタイミングを探って歩み寄ってはみるものの、クラスメイトとの距離は一向に縮まりそうにない。女の子に睨まれないに越したことはないが、クラスに少し気まずい人がいるというのも如何なものかと思うわけだ。
密かに溜息をつく。今日も今日とて東堂くんは黙って日誌を書き始めてしまった。仕方がないので、わたしは黒板を綺麗に掃除する。

「みょうじさん、」

ぐぐぐ、と黒板の上の方に手を伸ばしていたら、東堂くんが話しかけてきた。東堂くんのほうから。クラスメイトなのだから仲良くしようという誠意が伝わったのだろうか。月曜日、火曜日には見られなかった進歩である。わたしは椅子から降りて、上履きにつま先を引っ掛けた。

「どうしたの?」
「その、だな。オレが黒板消しを掃除するから、みょうじさんは日誌を書いてくれないか」
「いいけど、…どうしたの?」
「か、顔が赤いか!?」
「え、いや、そんなことない…と思う」

熱でもあるのだろうか。そう思ってしまうくらいには赤みを帯びている。わたしは首を横に振った。何故だと聞いてはいけない気がした。
そういえば、東堂くんはあまりわたしと目を合わせようとしない。今だって、身体はこちらに向いているものの、顔は角度にして90度黒板の方を見ている。もしかして嫌われているのだろうか、いや、それはないはずだ。以前尋ねたときに「そんなことは断じてありえん!!」と叫ばれたから多分、大丈夫。
まあいいや。性格上あまり深く思考することのないわたしは、そう結論づけて、宙ぶらりん状態の上履きを履き直す。

「じゃあこれお願いします」
「ああ、」

黒板消しを手渡した。そのとき、指先がこつんと触れてしまったのがいけなかったのかもしれない。吃驚したように手を引いた東堂くんのおかげで、黒板消しが床に落下した。
沈黙。気まずい空気が流れる。弾け飛んだ白い粉が舞うのを見ながら、わたしは呆気に取られるしかなかった。

「は…ハッハッハ、すまんね、手が滑ってしまった」
「なんかごめんね」
「みょうじさんが謝る必要はないぞ!?」
「あ、はい」

思わず謝れば、東堂くんは黒板消しを拾い上げながら勢い良く言った。流されるように返事をしたわたしは、もやもやとした何かをお腹のあたりに抱えながら席につく。また、沈黙がやってきた。
登れる上にトークも切れると日頃から豪語する東堂くんだが、現状、わたしたちの間に会話はなし。教室や廊下で見かける彼は、まるで舞台の上の役者のように堂々としているというのに、見る影も無いとはまさにこのことで。わたしとは話したくないという意思の現れだろうか。東堂くんは黙々と黒板を綺麗にし、黙々と黒板消しクリーナーをかけている。しかし、ここで諦めるわたしではない。最早ここにあるのは意地以外の何物でもないが、何より、時計の音だけが鳴る静寂に耐えられる自信もなかった。

「東堂くんてさ」
「な、なんだね!?」
「…えっと、いつから自転車やってるのかなって思って」
「……」
「それだけなんだけど、ごめん。馴れ馴れしかったよね」

黒板消しを持つ手を止め、黙ってしまった東堂くんにわたしはまた謝罪の言葉を投げてしまった。それしか言葉が見つからなかったのだから、仕方がない。やはり嫌われているのかもしれない。あるいは苦手意識を持たれているのか、何なのか。
そうしてわたしが小さく息を吐き出したとき、どもり気味の声が聞こえてきた。

「オレがロードをやっていること知っていたのか」
「え?」

声が返ってきたことにも驚いたが、それよりも、その質問の内容に吃驚だ。東堂くんが自転車部であることを知らないモグリはいない、と断言したっていい。

「試合も見に行ったことあるよ」
「え!?自転車部に誰か想い人でもいるのか!?」
「え、いないけど」
「…試合、来てたのか」
「うん、何度か。東堂くんかっこよかったし、人気なのもわかるなって思った」

会話らしい会話が初めて続いていることを内心喜びながら、そう口にしたとき、先ほどと同じ音が教室に響いた。すっかり綺麗になった黒板消しから白い粉が溢れることこそなかったが、それは東堂くんの手から滑り落ちて床に転がっている。名前を呼んでみても反応はない。まるでリモコンの一時停止ボタンを押したかのように、ピクリともしない。
わたしは仕方なく席を立ち、黒板消しを拾い上げた。「大丈夫?」尋ねながらそれを手渡すと、――ガシリと。男の子らしい大きな手がわたしの右手を包みこんだ。

「こ、今度の土曜日なんだが!」

手を握られるという想定外の出来事に目を丸くする。きっと驚きの色を見せているであろうわたしを、東堂くんはじっと見つめる。ゆらりと揺らぐことも、フイと逸らされることもない。ただ、じっと。

「試合、あるんだ。良ければ見に来てくれ。みょうじさんが見ているとわかれば、どんなレースだってブッチギリで勝てる気がする」

かああ、と頭の方に血液が押し上がっていくような感覚。冗談ともとれないような真剣な顔で、そんな台詞を吐かれてなお平然でいろというほうが無理だ。東堂くんの顔が赤い、その理由を聞くなんて野暮なことはしないから、だから、その目に映るこの表情のワケも聞かないで欲しい。手の先から伝わる鼓動はわたしのものか、はたまた。
早くスケジュール帳を確認したい。土曜日は確か、何も予定が入っていなかったように思うけど。そんなことを思いながら、視線に耐えきれず顔を逸らしたわたしを、彼は果たしてどう思っただろうか。



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