畳の匂い。角が削れた家具。無造作に置かれた雑貨。低い棚には何やら本が陳列していて、壁には、風化して茶色く色褪せたメモ書きやら写真やらがやたらと画鋲で止められている。ちらりと見えた奥の部屋には、恐らく仏壇のようなものも見える。淋しく置かれた写真立てには仏頂面のじいちゃんの写真が飾られているんだろう。ここは如何にも日本建築と言ったふうな造りの古い家だ。部屋に埋もれるようにして配置された薄型のテレビだけがやけに周りの風景から浮いて見えた。
特別やることもなければ、何かしようという気も起きない現状。ささくれた畳の上は然程寝心地の良いものではなかったが、今この場所を動くことすら億劫に思えた。暇潰しにと思い持ってきたゲーム機には一度たりとも手をつけていない。映るテレビといえば、見たこともないキャスターが下手なリポートを繰り広げるローカルチャンネルのみ――。
蝉の声がする。夏の音が鼓膜を通過し、脳みその中で暴れ出す。何て鬱陶しい。本来風物詩であるはずのそれらは全て、喉の先まで込み上げた苛立ちを更に掻き立てる要素でしかない。

「靖友!起きて!」

――そう。この女だって。
ズカズカと部屋に上がり込んで来たそいつ、なまえは、背を向けるオレに向かって滑り込むようにして正座した。仮にも男の部屋だというのに危機感ってもんがまるでない(ばーちゃん、何でこんなやつ通したんだ)

「川行こう!川!ザリガニと魚釣り!夏と言ったらやっぱりこれだよねー」
「ヤダ」

間髪入れずに返してやる。背中でむっすと頬を膨らましたのがわかったが、拗ねたって無駄だ。
そういえば昔も似たようなことがあった。相手は妹だったか。一緒にキャッチボールがしたいと言ってブスくれた妹を突っぱねて、確かオレはこの家を飛び出して行った。そのあと妹はギャンギャンと泣き喚いたらしい。後に母親にこっぴどく怒鳴られたのを覚えている。夏休み。グローブと白球を手に、田舎の中学生に混じって野球に明け暮れていた。ただ純粋に野球が楽しかったんだろうと思う。居間に飾ってある家族写真、そこに映る自分の姿が何よりの証拠だ。

「やじゃないよ」
「…めんどくせェから行かねェつってんのォ。何でオレまで行くことになってんだヨ」
「そんなの決まってんじゃん。わたしが靖友と行きたいから」

いや意味わかんねェよ。何勝手に決めてんの。そう口にする気すら失せて呆れ果てる。
流れる沈黙を物ともせず、唐突に立ち上がったなまえはやはり唐突に顔を寄せて来た。近い。完全に距離の取り方を履き違えている気がしてならないのだが。

「わたし、もっと靖友のこと知りたいし、わたしたちのことも知ってほしい」
「だからァ!オレは別に…!」
「会ったときペプシ飲んでた」
「は?」
「昨日の晩ごはんのときはお肉が好きって言ってた。あとは?」

食い気味に投げられた質問に頭が追いつかない。脈絡のない言葉の筋、突拍子もなく飛び出るそれには、ここ数日、不本意にも振り回されてばかりだ。

「好きなものは?嫌いなものは?わたしはね、楽しいことが好き。嫌なことは全部笑って吹き飛ばせるような、楽しいことが好きなの」

まるで世界は美しいもので溢れているとでも言いたげに、でかい黒目を輝かせながら、唱うように。
何だ、何なんだ。磔にでもされた気分だ。馬鹿らしいと目を逸らすことくらい簡単にできるはずなのに。何故か、ジッと向けられる真っ直ぐな視線から逃れることが出来なかった。
そんなとき現れたのはあの男だ。新開はオレの間近まで迫ったなまえの首根っこを掴むと、その顔に薄く笑みを称えてやんわりと口を開いた。

「おめさん、その何でも知りたい癖どうにかならねェのか?」
「気になるものは気になるの!そういえば隼人、ウサ子は元気?」
「ウサ吉。ホラ困ってるだろ、彼」

ふと、撫で下ろした胸のあたりの違和感が強くなった。新開の言ったことは何一つ間違ってない。好奇心旺盛な予測不可能生物をどう躱すべきか確かに困っていた、はずだ。

「どこ行くの?」

濁りのない瞳が問う。
ンなこと、こっちが知りてェよ。一体何だって言うんだ。首を傾げたいのはオレのほうだっつの、このクソ暑い中誰が好き好んで外になんぞ、ましてやこんな奴らと。

「ネコ」
「え?」
「好きなもん、ネコだっつってんだヨ。嫌いなもんは煩いヤツ」
「…あれ?わたし遠回しに嫌いって言われた?」
「ハッ、自覚あんのか」

変なとこ素直な奴。思わず口から空気が漏れるとともに、胸のあたりに絡まっていた突っかかりが緩んだ気がした。

「行くんだろ、どこだヨ」
「あ…川!隼人!尽八と寿一にメール!」
「はいはい」

何故かは分からない。理解しようとも思わないが、ただ、見ていて飽きないやつだとは思う。誘いに乗るのも悪くないだろう。
少し、ほんの僅か、少しだけなら。
ジリジリ。外は灼熱。足の裏から地熱がじわじわと伝わってくる。玄関の前には太陽の熱を帯びた鉄の塊が2台、歩道のど真ん中に無造作に止められていた。

「あのね、自転車ですこーしかかるんだけど靖友自転車ないでしょ?だからわたしの後ろ乗って、」
「いや、」
「なまえの自転車貸してやれよ。サドル上げれば乗れるだろ。な、靖友くん」

どうせ断るつもりだったのだ。言葉を遮られようが何だろうが、いずれにせよ同じ結果だ。オレはそう思って軽い返事を返した。でもまァ、ほんの一瞬だけ流れた威圧的な空気は気のせいではないと断言できる。さっきから、否、ハジメマシテのときから何処と無く確信はしていたが。

「なまえはオレの後ろ」
「めっずらしー…隼人が漕ぐなんて何年ぶり?いつもわたしか誰かの後ろ乗って食べてばっかいるくせに」
「たまには、な」
「そっかそっか、隼人も少しはダイエットする気になったか」
「おめさんもその腹、どうにかしたほうがいいぜ。嫁の貰い手がなくなるからさ」

――靖友くんもそう思うだろ?
事あるごとに向けられる敵意。決していい気分でないことは確かだった。



20140718
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