久しぶりに会ったばーちゃんは以前と何ら変わっちゃいなかった。こんなことを言ったら怒られるに違いないが、しわくちゃの顔に穏和な笑みを浮かべてたった一言、「おかえり」と口にするあたりも変わっていない。ただいま、と返してしまったのはガキの頃からの癖だ。母親も父親も妹も、ここではそれが当たり前のようにそうしていた。
大きくなったとか、元気だったかとか、ゆるりゆるりと問うてくるばーちゃんに二つ返事を返す。これと言って特に変わったことはない。中学生になろうとする妹が最近色気付いてきたとか、会話の種といえばそれくらいだった。
弾まない会話を開くように「あ、おばーちゃん!これ靖友くん?」と、声が聞こえてきたのはそのときだ。どこか嬉々としたそれに振り向けば、そいつは写真立てを天井のほうに掲げて「はー」だの「ほー」だのと大袈裟なリアクションを見せていた。年季の入った写真立てに飾られているのは所謂家族写真というもの。一瞬、見えた。写真に写る生傷だらけのガキは確かに自分であるはずなのに、オレにはそれが赤の他人のように思えた。

「昔は髪短かったの?」
「…関係ねェだろ」
「黒髪、ただでさえ暑いからこの季節は大変だよね。わたしも染めたいんだけど多分似合わないしなあ」

知るかと腹の中で悪態をつきながらも、その黒を視界に入れてみて気付いたことがある。日の光に照らされていたときは気づかなかった。漆のような、それでいて重たい印象を与えない黒。外国製の日本人形のようなそれは、まるで視線を絡め取るようにして揺れた。
――と、まあ。そんな感じで、なんの理由もなく押し黙って凝視してしまっていたと、自覚したのはそいつがこっちを振り向いてからのことである。バチリと被さった視線に情けなくも肩を揺らしたオレに、そいつはまた惜しげも無く笑顔を振りまいて。

「荒北くん!友達紹介したいから荷物置いたら隣来て!わたしの家右隣だから間違えないでねー!」

言い終わるや否やのところで背を向け、玄関へ走って行った。

「まあまあ、元気だねえ」
「…そうだネ、」

どこか楽しげに言ったばーちゃんは至極落ち着いた動作で立ち上がった。そして台所へ消えたかと思いきや、大きめの紙袋を手にこちらに戻ってきて「挨拶がてら、届けてちょうだいな」中身を覗くと、旨そうな匂いのするタッパーがいくつか積み重なっていた。
またあの女の顔を見なくてはならないのか、と少しばかり気が引けたのは確かだった。そしてこのクソ暑い気温。外になんて出たくもなかったが、しかしばーちゃんの頼みを断るわけにもいかない。たかだか隣の家だ。適当に行って、さっさと帰ってくればいい。そう思って、オレは紙袋を手に戸をくぐった。

「おまえが噂のアラキタだな!」

あー、また暑苦しいのが。
あからさまに溜息を吐き出す。面倒だ。こっちは心底嫌な顔をしているというのに、オレを指差したままのそいつは後に引く様子もなく口を開いた。

「いくつだ?オレたちと同じくらいか?おっとすまない、まずは自己紹介からだな!オレの名前は東堂尽八!美形と言えばこのオレ、東堂尽八と覚えておけ!」

自画自賛も甚だしいカチューシャの男は、どうだと言わんばかりに胸を張った。ウッぜ。どうだも何もあるか。あークソ、あの女然り、こういう暑ぐるしい奴はどうにもいけ好かねえ。

「なまえのところに行くのか?」
「あー、そーだけど…」
「ここから歩くと30分はかかる。乗っていけ」

さして表情を変えず自転車を指差したそいつは福富寿一と名乗った。この暑い中、よくもまァ涼しげな顔をしていられるなと思う。カチューシャとは対照的な、まるで変化のない表情筋。黄色い頭のおかげで厳つさが増している。ふと鉄仮面なんつー単語が脳裏に過った。
自転車は2台。じゃんけんで負けたオレはカチューシャを後ろに乗せ、サドルに跨った。
そうしてペダルを踏むこと数十分。

「どんだけ遠いんだよ…!」
「もう少しだ」
「わァってんよ!何回も言うな!」
「遅いぞ荒北!もっと威勢良く漕いだらどうだ!」
「だァ!うっぜーなてめェは!!」
「うざくはないな!」

ギャーギャーと声を荒げながら坂道を超えたせいだろう。目的地に着いたときにはすっかり息が切れてしまっていた。ままならない呼吸を整えながら、一足先に自転車を降りた二人に続いて敷居を跨ぐ。真新しい畳の匂いが嗅覚を柔く刺激した。
カチューシャが大声で名前を呼ぶと、騒々しい返事とともにバタバタと廊下を走る音が聞こえてきた。人間を背中にくっ付けたそいつは、鉄仮面やカチューシャへの挨拶もそこそこに、オレを視界に入れて「さっきぶりだね」と笑った。セーラー服にエプロンという何ともミスマッチな姿はさておき。何より気になるのは、警戒するかのようにこちらを見詰める背の高い男である。

「それなに?」
「アー、ばーちゃんからおまえに」

長めの赤がかった前髪の下。鋭く光る眼球を不審に思いながらも、預かってきた紙袋をそいつに手渡した。
ジッと、こちらに向かう視線が一つから二つになる。頬がピクリと引き攣るのがわかった。

「なまえ」
「…な、なんだよ、」
「なまえって呼んでよ。みんなそう呼んでくれるし…あっ、そうだわたしも靖友って呼ぶから!ね!」

ぐいと一気に距離を詰められ、思わず後退する。動揺は隠し切れていなかったと思う。生返事を返すと、「よし」そいつは満足げに腰に手を当てた。

「なまえ」

未だ、負ぶさるように女の背中にくっついていた男が口を開いた。
話しかけられたそいつは思い立ったように手を打ち、意気揚々とオレや幼馴染の紹介を始めた。

「じゃじゃーん!前にも話しましたが、この人がおばあちゃんのお孫さんの荒北靖友くんです。で、荒北くん、この派手な頭してるのが隼人ね。寿一とわたしの幼馴染。尽八は小学校のときこっちに引っ越してきたんだけど――」

その間、オレはずっとその赤い髪の男に睨まれていたわけだが。しっかりと回された両腕が、“これはオレのモノだ”と、“おまえには渡さない”と、そう主張しているように思えてならなかった。

「よろしく、靖友くん」
「…よろしくゥ」

なるほど、食えない男だというのが正直なところの第一印象だった。

「あいつも凝りんな」
「あ?」
「わかりやすいだろう?クラスメイトにせよ、あまつさえ幼馴染であるオレたちにせよ、ああして近づく男には敵意むき出しなのだ」
「…何でオレに言うわけ」
「気にするなということだ。悪い奴ではないからな」

つまり何だ、大好きななまえチャンが絡むと人が変わるってことかヨ。めんどくせェ奴。そいつがおまえのだって言うならそれで良い。オレには関係のない話だろーが。

「オレも靖友と呼ばせてもらおう!おまえも気軽に尽八と呼ぶがいい!」
「ヤダヨ」
「何故だ!!」

面倒な奴らと顔見知りになってしまった。容赦ない力で握られたおかげで若干の痺れを残す右手を摩りながら、オレは短く息を吐き出した。



20140717
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