飽和した愛は甘いのですか
「すき」
「俺もすき」
ずっと言い合ったって何が変わるわけではない。知っている。
知っているけれど言わずにはいられない私たちは大変な臆病者である。
いつか心変わりしてしまうのではないかと怯え、まるで世界に互いしか存在しないかのように依存し合っている。
そしてまた相手が同じ様に怯え、依存していることに安心と優越と一握りの愛を感じて、また離れられなくなるのだ。
そんなメカニズム、もうとっくの昔から知っていた。
「仁王、私が別れたいって言ったらどうするー?」
「?言わんじゃろ?」
「・・うん、まぁ、言わないんだけどね?」
彼にはもしもの話も通じない。彼にとってありえないことは所詮ありえないことで、話す価値などまったくないのだ。
そんな仁王は、つまらない、と口を尖らせた私に、何を思ったのかいきなりキスをしてきた。
「なにすんの」
「だって、唇突き出してるから。キス顔かと」
「ばーか」
「憐ちゃんは口が悪いのう」
「ばーか仁王。好きだー」
「俺もじゃー」
こうしてまた繰り返す、私たちのスパイラル
飽和した愛は甘いのですか
(イエスとしか答えられない、答えたくない私たち)
11/12/11 2010年仁王生誕祭より移動
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