ふたりぶん
恋人と別れた。
たったそれだけのことだったし、彼とは一緒に暮らしていたから、荷物の片付けとかで忙しくて、別れたことに対してなにか思える余裕はなかった。
片付けも一通り終わって、彼の足跡が一つもなくなった部屋を見た。
ちょっと狭いなと思っていたリビングのソファは、一人で蹲ると隣にぽっかりと一人分のスペースが空いた。
彼に、仕事だから、とよく奪われたパソコン前のチェアは、私専用になった。
一緒に見るために大きくしたテレビを見ると、目がチカチカした。
彼の大きな靴が置いてあった玄関には、私のサンダルとスニーカーが、ぽつんと投げ出されている。
彼が邪魔だから捨てよう捨てようと騒いだヒーターは、広くなった部屋の角に置かれることになった。
たいしたことない、と強がった。
新しく恋でもすれば忘れられるよ、と笑ってみた。
私以外には誰もいないから、泣いたって良いのに。
そう思って、自分の意地っ張りな性格を自嘲して、電子レンジで暖めたホットミルクを一口飲んだ。ぽろり。びっくりするくらいあっさりと、涙が溢れた。
一度溢れた涙はなかなか止まってくれなくて、ふぇ、ふぇ、と、変な鳴き声でぼろぼろ泣いた。さっき飲んだホットミルクの分なんて、とっくに流し尽くして、それでもまだ止まらない涙に、枕を抱きしめた。
好きだよ、好きだよ。嫌いなんてうそだよ。
彼と別れるときに言った自分の言葉を否定した。
「ふぇ、ふぇぇえん。も、やだぁ、寂しい、さみしいよ、まさはるー」
彼に返された鍵は、彼が出て行く日に玄関の引き出しに投げ入れたまま。
それを思うと、ドアを開けた彼が振り返って「じゃあな」と苦笑した思い出も胸の奥底から引っ張り出されて、また涙が増した。
怒っても嬉しくても悲しくても泣く私のことを、彼はなんと言ったっけ。そうだ、平安人か、って笑ったんだ。そのときは怒って背中を叩いたけど、今はもう平安人でもなんでもいいから、とにかく彼にまた戻ってきて欲しかった。好きだったんだ。
―ピンポーン。
インターフォンが鳴る。
こんなに泣きはらした顔で人前に出るわけには行かないから、そっちを振り返りもしなかった。
―ピンポーン。
また鳴る。
しつこい宅配便だ、と思って、私はまた顔に枕を押し付けた。
―ピンポンピンポーン。
―ピピピピピピピンポーン。
妙にリズミカルなのに腹が立った。連打すんな。そういうものじゃないから、インターフォンって。
いっぱい泣いて、そのインターフォンの押し方に少し笑えたから、ちょっとくらい人に会っても良いかも、と思った私は、枕を脇に置いてガチャガチャとドアのチェーンを外した。今出ます。言ったつもりだったけど、喉と口がもごもご動いただけだったみたいだ。
ドアを開ける。
あ、はんこ忘れた。まあ、サインで良いかな。
「ハー・・い」
「なんじゃその顔。溶けとるぜよ」
「・・は、」
「あっはは、間抜け面じゃの。・・・ただいま、憐」
ドアを開けて、顔を上げた先には銀髪の見慣れた顔。
いつでも変わらない人を食ったような笑顔と、少し内に入り気味の肩。
数日前に見たのと変わらない、雅治の姿。
「寂しくて、やっぱムリじゃった。また、一緒にいさせて」
「・・・や、も・・」
「ダメか?」
「・・とりあえず、涙、返せー・・」
「俺も泣いたから、お互い様っちゅーことで。じゃ、ただいまー」
「ま、まさはる!」
「ん?」
「・・おかえり!」
部屋がまた狭くなったな、って、ソファにいっぱいいっぱいに座りながら、二人で笑った。
ふたりぶん
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