怨みのお話
怨みのお話
元猫で現少女である不思議な生物の名前は、ユエといった。
もちろんその名は、人間の家族に付けられたものだ。
ユエは自分の姓を名乗るのが苦手だった。どうしたって、社会集団を主張することが苦手だったのだ。
ユエは自分の学校名を言うことも苦手だった。理由は前述の通りである。
「ほら、ユエちゃん。学校名を言ってごらん」
「・・・しー」
「もうちょっと」
「しーてん」
「うーん、もうすこし頑張って!」
「しーてん!しーてんほーじ!」
「そう!よくできました!貴方は今日からそこに通うのよ」
「しーてんほーじ。うん、覚えたよ?」
「良い子ね」
「うん」
父親の仕事の都合による転居、それに伴う転校。
母親のコネクションで転校が認められたユエは、時期はずれの転校生として1年生へと編入することになった。
学力的に問題は無いが、如何せんコミュニケーション方面に不安が残るユエを大層心配する彼女の両親だが、学校に通わせないわけにもいかない。
周りがそういったところを補ってくれるような学校を探した結果、ユエの言う「しーてんほーじ」、四天宝寺中学に白羽の矢が立ったのだった。
「じゃあ、いってくるね」
「気をつけてね」
「うん」
そういって、ユエは家を出た。
一昨日届いたばかりの真新しい制服と鞄を持って、昨日確認しただけのあまり見覚えの無い道を辿って行く。迷うことに恐怖や焦りなど露ほども無かった。
彼女が丁度自宅から数えて三つ目の曲がり角を右に曲がると、一人の少年が塀にもたれて、気だるげに立っていた。
黒髪にスポーツバッグ、それから一般より多いんじゃないかと思われる色取り取りのピアス、というのがその少年の特筆すべき容姿であった。強いて言えば、顔の造形も整っているが。
しかしユエは、少年に特に注意を払うこともなく通り過ぎる。
細い道。彼の鼻先10センチ先ですれ違おうとすると、突然の頭痛がユエを襲った。
頭痛の後、強く殴られたような衝撃が腹に響いた。
「・・・いたい」
ユエは小さくうめいたが、少年は携帯の音楽に夢中で、気付かない。
彼女の痛みは治まらないどころか、その範囲が体中に広がり、もはやどうともならない状況となっていた。
「いたぁい!いたい!」
「・・・は?な、なんなん、お前」
ようやくユエの存在に気付いた少年が声を掛けるも、要領を得ない。
「痛い、痛い!そうだ、君が、お腹蹴ったんだ!」
「はぁ?何の被害妄想やねん。そういうの、他当たれや」
「そう、そうだ!君が殺した!君が、あたしを!猫の怨みは深く、暗く、執念深いんだぞ!」
「・・・」
困惑する少年と、好きにわめき散らすユエ。
実のところユエも、自分が何を言っているのか分かってはいなかった。
ただ心に浮かんだことをそのまま叫んでいるだけだった。心がそう思って、叫べといっているような気がしたから、そうしているまで。
彼女は基本的に、流される生き物なのだ。
「・・・もしかして。あんときの猫が、化けて出たんか?」
「化けてない!猫のあたしが死んだ!人間の女の子の魂食った!」
そんな気がする、とは、ユエはあえて言わなかった。
しかし間違っている気もしなかった。
「ああ、成り代わりか。ご苦労さん」
「呪う!あたしの一生掛けて、君を呪ってやる!」
「ふーん。ま、がんばれや」
「なんだと!謝れ!とりあえず謝れ!」
「殺してサーセンした」
「ムカつく!謝るな!」
「どないせーっちゅーねん」
「とりあえず呪う!覚悟しろ!」
「はいはい」
かくして、元猫で現少女の不思議生物は、怨みを晴らすべき対象を見つけたのである。
全くの余談であるが、怨みは何も猫だけのものではない。猫が喰らった少女の魂の、体を奪われた怨みもあるのだから、それはそれは深い怨みの復讐劇となるだろうことが思われる。
更にもう一つ余談をするなら、少年は気付かなかった。
ひらひらと適当に振って見せたその左手に、すでに呪いの印が付いていた事に。
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