古びた外観に錆びた階段の安アパート。その二階が自分の部屋だ。

 赤い錆びの付着した手すりに触れぬよう一段一段足を進める。カンカンと靴音を響かせ登り切った先にはドアが二つ。その奥の扉が私のプライベートを守ってくれる。


 守ってくれる・・・その筈だった。


美雪
「は!?」

祐樹
「ただいまー♪」


 私を押しのけて私のための空間に入っていく馬鹿がいる。

 貴様の住まいはもう一つ手前のドアだろうが。信じられない。

 いったい何の真似なのか。玄関から入ってすぐのキッチンにある、小さな食卓で寛ぎ始めた。最悪だ。


祐樹
「ねえなんか飯作ってぇ〜」

美雪
「なんで私が」

祐樹
「ラーメン付き合ってくんなかったじゃん」

美雪
「意味がわからない」

祐樹
「いいからぁ、まぁじ腹減りなんだってぇ〜」


 私のためだけに用意されている椅子に座り、無駄に長い脚を放り出して、横柄な態度で背もたれに寄り掛かりながら指図してくるこの状況。

 果てしなくムカツク。


美雪
「・・・・」

祐樹
「美雪ちゃんの手料理が食べたいな♪」

美雪
「・・・・あっそ」


 とにかく荷物をキッチンの隅に放って、上着を脱ぎ捨て、長そでシャツの袖をまくりあげる。

 この際エプロンなんかどうでもいい。そのままシンクに向かい手を洗い、フライパンに火を点けた。


祐樹
「うおっ!やった♪」

美雪
「・・・」


 冷蔵庫を物色しても、普段から食が細い方だから何もない。

 とりあえずある物で適当に作ってやれば満足するのだろうということで調理開始だ。


 仕方がない。

 無理やり追い出そうにも、私がコイツに力で敵うとは到底思えないのだから、餌付けでもして出来た隙に追い出すしか方法は無いのだろう。


 僅かな食材でただの間に合わせでしかない料理。

 小気味よくフライパンを振る私の背中には、期待に満ちた視線が刺さる。


美雪
「普段からそんなに食べないから大したものは作れないから」

祐樹
「い〜いのいいの!美雪が作ってくれるってとこがポイントだから!」

美雪
「・・・へぇ〜」

祐樹
「ねえねえそれよかさ?」

美雪
「・・・なに」


 口調が変わった。と思ったら、いつの間にか私の傍らでシンクに寄しかかり、調理している私の顔を覗きこんでいる。

 なるほど。そういう目的だったわけね。


祐樹
「美雪さぁ・・・ほんっと綺麗になったよね。いや昔から可愛いかったけどさぁ」

美雪
「・・・」


 なるほど。こうやって口説くわけだ。


祐樹
「美雪の学校って女子校だっけ?私立?」

美雪
「公立だよ。わがまま言って独り暮らししてるのにそこまで親に迷惑かけられないでしょうが」

祐樹
「そかー・・・でもたぶんだけどー、その制服ってアレじゃん?美人揃いで有名なとこじゃん」

美雪
「・・・さぁ。知らない」

祐樹
「ねえねえ今度さぁ、美雪のお友達と俺んとこの奴らとでコンパやんね?」

美雪
「・・・は?馬鹿じゃないの」

祐樹
「せっかくこんなとこで再会できたんだからもっと友好深めようよ」

美雪
「ハァ・・・悪くない提案かもしれないけど無理だね」

祐樹
「なんで〜?」

美雪
「私に友達なんていない」

祐樹
「は?は?なぁに?新しい!ふはははっ!そういう断り方もあんのかぁ〜」

美雪
「・・・邪魔」

祐樹
「あ。ごめんね。え?でもさぁ、アレなの?もしかして彼氏いるから無理ぃとか?」

美雪
「はぁ?」

祐樹
「だぁってこんな美形なら男が放っとかないべ」

美雪
「知らねっての」

祐樹
「ねね、彼氏イケメン?俺より?」

美雪
「・・・自分をイケメンだと思ってるんだ?」

祐樹
「イケメンだよ俺」

美雪
「あーはいはい」

祐樹
「ねえ」

美雪
「・・・」

祐樹
「・・・」


 今度はそういう作戦か。

 たぶん今まで見た事が無いであろう表情で、珍しく口を閉じて此方を見つめている。

 心なしか少し顔が近い。

 他の女子ならこれで落ちるんだろうけど、残念。あー寒気がするわ。


祐樹
「彼氏よりも俺、優しくできるよ?」

美雪
「・・・」

祐樹
「・・・」

美雪
「・・・で?」

祐樹
「・・え?」

美雪
「だったら何だっての?」

祐樹
「・・・えー・・・っと」

美雪
「どうでもいいけどお皿」

祐樹
「え、あ、はい」

美雪
「焼けたフライパン押し付けられたくなかったらどいてくれる?」

祐樹
「うぇ!?」


 この私がこんな安い口説きに酔うとでも思ったのか。浅はかな。

 私の態度が変わらないことに驚いているようだけど、甘すぎる。


美雪
「簡単なチャーハンくらいしか作れなかったけどいいよね」

祐樹
「え、う、うん」

美雪
「ラップとって」

祐樹
「え?」

美雪
「冷蔵庫の横にあるでしょ」

祐樹
「あ、これ・・・はい」


 ホカホカと湯気を立ち上らせる熱々の炒飯。其れをふわりとラップで覆い、ナンパに失敗した間抜けな男の腹部に押し付けて渡す。


美雪
「作った」

祐樹
「・・・うん」

美雪
「お皿ごとあげるから出て行ってくれる?」

祐樹
「・・・え、でも・・」

美雪
「さっきも言ったけど私には友達なんかいないし、彼氏なんてものももちろんいない」

祐樹
「まぁた・・」

美雪
「冗談でも断りの口実でもなく、これが事実だから」

祐樹
「・・・」

美雪
「なんでって?アンタのせいだよ」

祐樹
「・・・は」

美雪
「アンタは本当に・・・記憶でも失ったのかと思うくらい頭おかしいよね。仲良くする義理なんか無い。吐き気がするから出て行って」

祐樹
「え・・?え?」



 困惑の表情で慌てふためく大きな身体を玄関へ向かって押していく。こんな弱々しい力にも抵抗できないほどに混乱している様子だ。

 馬鹿みたいに口を開けたまま、手には熱い皿を持ったまま、されるがまま。

 玄関扉を開け放ち、まずはこの男を外へ押し出す。そして履き忘れている靴と置き忘れた荷物も投げつけるように放り出し、作業終了。


祐樹
「・・・美雪」

美雪
「思い出さなくてもいいから、今後馴れ馴れしくしないでね」


 一言だけそう言って、扉を閉める直前に見えたヤツの顔は、これまた珍しいものだった。

 あんな顔ができる脳みそがあったのね。



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