葬儀を終えて、nameはベッドに倒れこんだ。母はもう長いこと、誰の声にも反応を示さなくなっていた。それでも目を覚まして穏やかに海を眺めている彼女は、nameにとっては母であった。気が重くても、後ろめたさがあっても、優しい瞳を見られなくなった今より、それはずっと良かったのだ。

寝返りをうつ。自分を抱き寄せたあの日のスモーカーを思い出して、心をざわつかせた。こんな時なのに、と自分を責める。nameはスモーカーの、花屋から聞いて急いでバイクを出したと言ったその優しさに、幾分慰められた自分がいることを否定できなかった。

こんなことは、もう辞めよう。

nameは起き上がると、鋏を取り出して鏡台の前へ座る。
一呼吸置いて、決意し、唇を結んで、その黒髪へ刃を通した。

以前から貰っていた良い縁談がある。それを受けてこの街を出よう。父や、母や、海軍や……スモーカーのことを忘れよう。

nameは何かを断ち切るようにして長い黒髪を断っていく。父がかつて死んだ以上、母がかつて拒んだ以上、彼女は海軍のことを許せないし、それはスモーカーの正義を否定してしまうことになる。両親を否定することも、強く静謐で不器用に優しいスモーカーのことを否定することも、どちらもnameには選べなかった。此処にいたらいずれどちらかを選ばなければならなくなる。そもそもこの店は、母の店なのだ。母が戻ってこない以上、もうここにいる理由もない。

髪を切り終えると、nameはクローゼットを開けて、かつて母が父との結婚式で着たウエディングドレスを取り出した。

「似合うかしら」

鏡台の前で、nameは自分の胸にドレスを当て、痛々しく微笑んだ。



スモーカーは葬儀に列席はしなかったが、花を持って「オフィーリア」への道を歩いていた。珍しく海兵としての正装をし、葉巻も咥えなかった。直接関わりはなかったが、かつて海軍がしたことに対する償いの気持ちと、想いを寄せる女性の母親への労りの気持ちとがその胸にあった。遠目に「オフィーリア」を眺められる距離になった時、その店先で、白い影が風に踊っているのが見えた。スモーカーは一瞬立ち止まると、革靴が汚れるのを承知で走りだした。


nameはそこにいた。白いドレスを身に纏って、草原を素足で歩いていた。それだけでも美しさが随分と目を引いたが、スモーカーが最も驚いたのは、長く艷やかだった黒髪が、短く不格好に切り揃えられていたところだった。

彼女はぼんやりと、崖の方へ足を進めていた。そのまま飛び込みそうな雰囲気さえあったので、スモーカーは慌ててその細い手首を掴んだ。

「おい、name」
「スモーカーさん。どうしたんです?今日は畏まって」
「見りゃ分かるだろう。分からねェのは……」

苦い顔をしたスモーカーを、nameがクスクスと笑った。

「似合います?」
「似合うって答えると思ってんのか」
「きっと、言ってくれないんでしょうね」

nameは崖の淵から水平線を見つめ、目を細めた。

スモーカーは、彼女を抱きしめたいと思った。守ってやろうと思い、救ってやろうと思い、しかし、一体何から彼女を守れば良いのか、救ってやればいいのか、わからなかった。

「お店、閉めるんです」

厚い雲から降りる幾本もの天使の梯子が、彼女を絵のようにしていく。

「それで、私もこの街を出ます」
「……」
「色々ありすぎたから……私のことを妻にしたいっておっしゃる奇特な方が、都会にいるので、そこへ行きます」


きっとお互いに知っていた。気持ちくらい、向き合ったその表情を見れば一目瞭然だった。伝えようとしなかったのは、nameもスモーカーも、お互いの抱えているものを尊重していたからだ。

いつまでも待つつもりだった。全てのわだかまりが解けるまで、死の方が先に訪れようとも、それを受け入れるつもりだった。それが正しかったのかどうかわからぬまま、彼女は、自分から離れていこうとしている。スモーカーは暫く彼女の横顔を見つめ、やがて、細くて白い手首を離す。彼女は、見た目上は晴れやかな顔をしていた。決意の強さは、聡いスモーカーにありありとわかってしまった。彼には、彼女を引き止められなかった。


「花を親御さんに」
「はい」
「達者でやれ」
「はい」
「……最後にコーヒーを入れてくれ」
「ごめんなさい」

nameはスモーカーを見ることなく、微笑んだまま謝った。

「ごめんなさい、大佐」

背中の正義をnameへ向けて、スモーカーは派出所へ歩き出した。nameはそれを見送ることなく、いつまでも海を見ていた。


 

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