「オフィーリア」で見た写真の男に、見覚えがあった。

赴任して間もなかったスモーカーは、何の気なしに、人を避けて歩いているうちに見つけたその店に入ったのだが、壁に飾られていた人や船の写真は、十分に彼の興味を引くものであった。

最初、どこでその人物を見たのかを思い出せなかった。nameが「幼いころに死んだ父の写真だ」と言い出すまでは、何処かですれ違ったのだろうと思っていた。見覚えのあるのはただの思い過ごしだと片付けることも出来たはずだが、スモーカーは自分の記憶が、勘が、正しいことを本能的に知っていた。元より頭のキレる男である。父について語るときの、nameのあの緩やかに傷ついているような表情に、穏やかでないものを嗅ぎつけたスモーカーは、その訳を、知ろうとせずにはいられなかった。


『火気厳禁!』


手書きのポスターの貼られた派出所の薄暗い資料室で、葉巻も吸わずにスモーカーは眉間に皺を寄せていた。手には一冊の古い報告書がある。『禁』と大きく表紙に書かれたそれは、簡単に手を触れられぬよう厳重にダイヤル式の金庫にしまわれていたが、スモーカーにとってそんなものは玩具も同然だった。

それは士官学校時代に、一つの事例として他の幾つかと並べて紹介された事件だった。いくら座学が嫌いだったとはいえ、この街で、かつて起こったことだというのに、今の今まで忘れてしまっていた自分に嫌気が差す。スモーカーは今にも千切れてしまいそうな表紙を慎重に開いた。几帳面とは言いがたい字が並んでいるのを目で追い、学舎で知ったその事件の概要と照らし合わせていく。

「……やはりな」

当時の報告書の他に、スモーカーの目の前の机には、綺麗な表紙の、他の報告書とともにファイリングされている、『同じ事件の』報告書があった。

スモーカーの疑念が確信に変わっていく。


nameの父親は貿易業に従事しており、その日も彼は船いっぱいに荷を積んで出港した。出港してすぐ、彼の船は、この島を襲うために向かっていた海賊に襲われることとなる。ここで、船長であるnameの父親は、自分が船長であること、島には海軍が常駐しておりここで事を荒立てるとすぐにでも海賊らを拿捕しに来るであろうことを頭へ告げ、積み荷・船を明け渡す代わりに、乗組員を解放し、島から離れることを提案した。だが、海賊らはその提案を却下すると乗組員の一部を見せしめ的意味合いで殺害、nameの父親にそのまま港へ引き返し、自分たちを引率するよう命じる。nameの父親並びに他の乗組員はそれに応じず、力及ばずここで先の者達と同じように惨殺される。

最悪だったのは、目撃報告が前日に街から上がってきていたのにも関わらず、「海軍が居る島に攻め込んでなど来ないだろう」などという根拠の無い楽観によって、それを当時の責任者が握りつぶしていたことに他ならない。海賊の頭領は、かねてから海軍にて要所ではないと考えられ人員の薄かったこの島を制圧するのは容易であろうと考えていたようである。

目論見通り、対応の遅れた支部は最終的に壊滅状態になり港町はほぼ制圧される。その後海軍本部より派遣された中将クラスの介入により敵は沈黙するも、街は蹂躙された後で住民の殆どが惨殺されていた。住民たちの中で生き残った数少ない者は殆どが島外へ移住し、数世帯だけが島へ残った。海軍は支部の責任者を処分し、この島を本部の管轄に置いた……


スモーカーは当時の報告書を閉じると、苛立ちを抑えるために溜息をつく。士官学校で資料として配られた、今机の上にある新しい報告書とは丸っきり内容が違っていた。新しい報告書では、目撃の報告は無く突然攻め込んできた、港が蹂躙されたことは残念だが海軍は全力を尽くした、とされている。当時の報告書が残されていたことを考えると、支部の中にも上の姿勢に反対する者が存在していたのだろうが、小さな声は組織の中では簡単に黙殺されてしまったようだった。

「nameは、その生き残りなのか」

呟いた。この港町の住民は今や移民だらけで古くからの人間は少ないようであったが、そういう経緯があってのことならばそれも無理はないだろう。多くの人間はそういった過去について口を閉ざしたがるし、そのような過去のある街にいつまでも住んでいたくはないだろう。しかし、nameは事件が起こってから20年を経た今も、この街に住み続けている。病気の母を助けながら、父を見殺しにした海軍の兵士たちを癒やしながら……


無性に、nameのコーヒーが飲みたくなった。


時計を見ると、「オフィーリア」の夜の営業時間だった。スモーカーは手早く資料を片付けると席を立つ。夜に赴くのは初めてだった。

スモーカーは、nameの華奢な肩を思い浮かべた。

『まあ、母にとっては、何もかも忘れてしまった方が良いのかもしれませんが……』

遠くを見ながら呟いた彼女の横顔が斜陽に眩しかった。端正な眉が自分と同じようにしかめられているのを見るのは、快いものではなかった。海兵たちと話しているのを見かけた時、何かに耐えているような表情を時折する理由が自分達にあることが、スモーカーは何より悔しかった。あの日彼女のハンバーグを食べてから、何も言わずとも出てきたコーヒーを飲んでから、自分をいつまでも見送る視線を背に受けてから、部下伝いに彼女の名を知ってから、スモーカーは、nameを、彼女の細い首筋を取り巻く暗い渦から、救い出してみせたかった。
 

 

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