今日も今日とて最後の一人を見送って、nameはドア掛けの看板を裏返す。その頃合いを見計らって訪れる奇妙な客に、今日は何を出そうか、と思案しながら。風が彼女の髪を撫でていく。潮風を避けて岩肌にへばりつくようにして生えた草花が、それでも風に艶々と輝いていた。少し慣れた葉巻の匂いを鼻先に捉えて、nameはいつも彼が来る街の方へ目を遣った。案の定そこに、つい最近常連となった強面を見つけた。

「いらっしゃいませ」

nameが微笑みかけると、彼は眉間に寄せた皺を少し緩ませるのだった。


nameはまだ、彼の名を知らなかった。タイミングが合わないというか、こちらが名を訊ねようとしたタイミングで彼が父や店について訊ねるので、なんとなく聞きそびれてしまっていた。彼もまた、人伝に聞いてでもいなければ、彼女の名を知らないだろう。不思議なくらい、nameに興味のない風に見える男だった。

キャベツを刻みながら、nameは彼がまた飽きずに店内を眺めているのに微笑んだ。彼もまたあの騒がしい連中と同じ海兵だというのに、何故だか彼に対する時は、海兵を受け入れてしまっている後ろめたさを忘れられた。そもそもnameには、海兵だの海賊だの、そういうものを嫌悪するつもりはなかった。騒がしいのは確かに苦手だが、嫌いではなかった。ただ、父が……父の死が母を頑なにしたことを、忘れてしまうわけにもいかなかった。

揚がったカツレツに千切りにしたキャベツを添えると、白飯を盛りつける。食欲をそそる匂いだとnameは思う。昼は次々に来るお客を捌くのに必死で、まだ食べていなかった。席に皿を並べていると、葉巻の男が席に戻ってきた。

「いつも思うんだが」

ランチタイムの食器を片付けていると、男がnameに話しかけてきた。思わず目線を上げると、そのままでいい、とジェスチャーで示されたので、遠慮せずに片付けを進めることにした。

「一人で切り盛りするのは大変じゃないのか」
「そうですね……まあ、皆さん、多少遅くなってもニコニコ待って下さるんで、甘えてしまってるところはあります」
「上客ばかりか?」
「とんでもない。みんな、スコッチ一杯で何時間も粘りますから」
「そりゃいけねェな、政府の犬が一般人煩わせてどうすんだか。……あァ、ここは酒も出すのか」
「夜ですよ。海兵さんには大事なお仕事がありますから、お昼にはねだられたって出しやしません」

たまの息抜きなんですからあんまり怒ってあげないでくださいね、と言えば、ニヤリと厳つい口の端が上がった。


乾いた皿を食器棚へ片付ける背中に漠然とした視線を受けながら、nameは、どうして彼の名前を知りたいと思ったのか自問していた。nameは自分から客に名を訊いたことがなかった。今までの客は、nameが訊ねなくても自ら名乗ってきたし、nameが名乗らなくても皆、彼女の名を知っていた。自分から客の名前を知りたいと思ったことなんてなかった。確かにちょっと変わってはいるけれど、彼も客の一人には変わりないというのに。

「おい、あんた」

ぼんやりしていたところに背後から掛けられた声。反応が遅れて、慌てて振り向くと、男が頬杖をついてなんとも言いがたい面白い表情をしていた。

「はい、何でしょうか」
「アンタ、ちゃんとメシ食ってんのか」
「ええ?」
「鳴ったぞ、腹」
「え、う、嘘!?」

顔を真赤にするnameを余所に、男は喉だけで笑う。

「店が忙しいのはわかるが、ちゃんと食わねえと身体壊すぞ」

実のところ、ランチタイムが終わった後にこうして姿を現すこの男を、この男こそを待っているが為にnameの昼食は遅れているのだが、それを本人に告げるわけにもいかず、彼女は顔を真っ赤にして、ひたすら面白そうな声に頷いているしか無かった。にしても、迂闊だった。最近まで、後片付けの時は一人であったので、油断してしまっていた。それは、nameにとって彼が違和感なく日常に溶け込んでいる証拠でもあった。

それにしても、正義を背負ったこの男が、海軍全体の休憩時間であるはずのランチタイムに来ず、本来勤務時間帯であるはずのこの昼下がりにやってくるのは何故なのだろう。どう見たって一筋縄で行くタイプの人間では無いのがわかるので、その辺の事情については、まあ、海軍でも色々とあるのだろうが、普段昼にやってくる海兵たちの上官ともあろう人間ならば、忙しそうなものなのに。忙しいからこそ、休憩がずれてしまうのだろうか?


その時、カウベルが鳴った。


「いらっしゃ……」
「失礼しますッ!」

威勢のよい声に葉巻から目を移せば、そこには敬礼をした小柄な女性が立っていた。途端に、入り口の彼女に背を向けたまま、男の表情が険しくなっていく。

「スモーカーさん、こんなところに居たんですね!探したんですよ!」

ああ、なるほど、この人は部下なんだな、とすんなり納得が行ったところで、彼の名前がスモーカーであることをうっかり知ってしまう。多少悩んだことを思うと呆気なさすぎるが、nameはその名をきちんと胸に留めた。

スモーカーは、肩を竦め、眉根を寄せて振り返った。無論そこには仁王立ちの、部下と思わしき眼鏡の女性が立っている。

「最近サボってばかりじゃないですか!今日こそは来てもらいますから!」
「やれやれ……」

頭をぽりぽりと掻くと、彼はちらりとnameを見て苦く笑う。

「見つかっちまった」
「そのようですね」
「明日から営業時間に来る」

懐から小銭を出すと、スモーカーはカウンターに置いて立ち上がった。その唇から、既に葉巻の煙が立ち昇っている。

「お嬢さん、大切な上官をお借りしちゃってごめんなさいね」
「あ、いえ!こちらこそご迷惑おかけしました!」
「さっさと行くぞ」
「なっ……スモーカーさん!」

nameは慌ててカウンターから出て、彼らのために店のドアを開けた。カウベルの軽やかな音と女性の可愛らしい声がとてもよく合う。今度は彼女にお客さんとして来てもらいたいくらいだ、とnameが思っていると、スモーカーが足を止めて振り返った。

「メシ食う時間を取り上げて悪かったな」
「あら、気にしてくださってたんですか?いいんですよ、次から営業時間に来てくださるんでしょう」
「そのつもりだが、まあ、休憩がずれることもあるからな」
「?」
「俺が居ようが気にせず食えばいいんだ、name」
「……!」
「また来る」

女性を従えてスモーカーの背中が遠くなっていく。nameは二人に向かって手を振りながら、食後のコーヒーを出し忘れたことを思い出す。それは次の来店時にサービスするとして……nameは、彼が自分の名を呼んだ時の何とも言えない表情を思い返していた。お互いの名を知ったからといって、どうということはないはずなのだけれど……どういうわけか赤面してしまっている自分に、nameはため息をついた。


 

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