多分いつか死ぬ運命だから
ガールフレンドと呼ばれるような立ち位置にいた女子が一人だけいる。ミドルスクールの頃の話だ。
そいつとはミドルスクールの最後の1年間だけ同じクラスになり、隣の席になった。そいつと話すようになったのも、ただ隣の席というだけであり、御伽噺的な運命も特になかった。話す、といっても友人同士の間で交わされるような気軽な会話はしたことがない。もともとクラス中、もしかしたら学校中から浮いていた(物理的にではない)奴なので、隣の席になったばかりの頃は授業中や日直になった日など業務的な会話しかしなかったし(今振り返れば挨拶すらしたことがなかったかもしれない)、付き合い始めてからもよくわからない部分にある彼女の地雷を踏まないように最低限の会話しかしてなかったように思える。ちなみに彼女から話題を振られたことはない。あいつは他人に対する興味をほとんど持ち合わせていなくて、それは悔しいことに恋人と呼べる間柄であった俺にも通用することだった。
ならばなぜ俺がそんな奴と付き合ったのかと問われると、以前彼女が飲んでいた薬が所詮「心の病院」、もしくは「メンタルクリニック」と呼ばれているような場所でしか処方されないと知ってしまったからだ。
それを知ったのは彼女から直接教えてもらったわけではなく、今振り返っても気持ち悪いことに、彼女が飲んでいた薬のシートに書かれている文字を隣の席からこっそりと閲覧させてもらい、家に帰ってからスマホで検索したからだった。聞き馴染みのないやけに短い名前をしたその薬は、過多と表現できるほどネット上に情報が転がっていた。そしてそれは、きっと俺がこのまま生きていれば生涯触れ合わないであろう情報ばかりだったのだ。
変なきっかけだと自分でも重々承知だが、それでも俺はそのことをきっかけにして、そいつがかなり気になってしまった。クラス中から浮いていたのは学校にほとんど来ず、来ても遅刻するし早退するし、授業中は眠ってばかりで、昼休みになると必ず薬を飲んでいたからだ。それは多分俺たちには全く想像もつかない事情が彼女にはあって、それに誰も触れたくなかったからだ。だから彼女は、学校中で空気のような女だった。
それでも俺はそいつが良い、と思ってしまったわけだ。
それで、そこからどうやって恋人にまで漕ぎ着けたんだっけか。そんなに難しくなかったはずなのにまったく思い出せない。引くほど他人に興味がないあいつと、俺はどうやって仲良くなったんだろう。うまく思い出せない。
共通の何かもなくて、性格も全然違って、そして抱えているものも違う。どうやって彼女と会話を続けたんだろうか、あの頃の俺は。






恋人関係だとか付き合っているだとか、偉そうにいってはいるが、俺たちの関係を知っているものは当事者である俺とあいつしか知らない。
俺は他人に彼女との関係を知られるのが嫌だったし、彼女には友達がいなかった。俺があの時抱いた「嫌」が嫉妬からくるものか、はたまた見栄からくるものか、今の俺でもうまく区別できない。
だからデートは交通費は嵩むけれどどこかの遠くの町か、もしくはあいつの家で行うことがほとんどだった。あいつはやけに繊細で、うるさい音と人が多いところが苦手だったから、映画館に行っても「観客が少なそう」という理由のみで見る映画を選ぶ奴だったし、ゲーセンに行こうとした時は顔を真っ青にして首を横に振っていたしその後綺麗に吐いた。それからのデートに俺はビニール袋を持参するようになった。
あいつの部屋でやったことと言えば、あいつが持っていたやけに薄い漫画を読んでいた記憶しかない。美少女二人が汚いおっさんの死体を埋める話を一番鮮明に覚えている。あいつはあいつで、別の本を読み始めるし。
不思議な距離感で俺たちは長らく付き合っていた。学校で話すことはほとんどなく、月に4、5回ほど、どこか遠くへ行くか、あいつのテリトリーに行く。そんな距離感で俺たちの関係は続いていて、そんな俺たちはキスの一つすらしたことがなかった。




それで、あいつと俺が今どういう関係にあるのかということを、多くの人は知りたいんだと思う。
それを話すには、俺とあいつの最後のデートについて話すのが一番手っ取り早いから、その話をしようと思う。デート、というよりはデート未満なんだけど、本当は。
「デート未満」という表現の方が正しいと俺が思うのは、そのデートが結局実現しなかったからに他ならない。
あの日、俺は初めて自分の家をあいつとのデート先に選んだ。その頃の俺はナイトレイブンカレッジへの入学が決まり、じゃあこいつとも離れるのかー遠距離恋愛って向いてないと思うんだけどなーと考えていた。別れるなんて少しも考えていなかったのが少し笑える。だから、これからしばらくは気軽にデートもできないだろうから、少し思い出が欲しくなった。キスとかセックスとか、つまりはそういう体験をしてみたいなーと考えていたわけだ。ちなみに、こちらの考えが伝わっているのかいないのか、俺が照れやら緊張やらで一時間かけて捻り出した誘いのメール(この場合の誘いはデートの誘いだ)に、あいつは3分で返信をしてきた。その内容は「いいよ」の3文字のみで、その時ばかりはあいつのことが心底羨ましくなった。
家族が家にいない瞬間を狙って、俺は昼頃にあいつと会うことを決めた。街の一番端のドラックストアで必要なものは買ったし、前日は柄にもなく眠れなかった。今回のデートは、キスやセックスに繋がれば良いな、と思って俺の部屋に呼んだので、そうならない可能性を俺は全く考えていなかった事を、今の俺には鼻で笑う余裕はあった。
それで、朝は集合時間の5時間前に目覚めて、待ち合わせ場所である駅前の広場には1時間前に着いてしまった。さすがに自分の浮かれ具合に引いたし、そして当たり前だが彼女はその時間にはまだいなかった。……違う、間違えた。「まだいなかった」わけじゃない。その日、あいつは俺の目の前に現れなかった。
あいつが今日どんな服を着てくるのかに考えを巡らせていたら約束の時間は過ぎていて、約束した時間に30分足した時間になっても彼女は現れなくて、俺はあいつ宛にメッセージを送りまくっていた。『まだー?』『準備終わってる?』『寝坊した?』『起きてる?俺、迎えに行こうか?』『なぁ』『なんかあった?』『怒らないから、何があったかくらい教えて』
そして俺は、少し悩んで『生きてる?』と送った。
送った後に後悔は当たり前の顔をして襲ってきたし、あいつは結局俺のメッセージのどれに対しても何かを返すことはしなくて、俺は約束の時間に4時間足してからようやく家に帰った。
その後、あいつが学校に来ることはもうなく、あいつが窓に鉄格子のある白い病院に入院したということを噂で知った。俺はあいつと会うことなく、ミドルスクールを卒業して、ナイトレイブンカレッジに入学した。









────だから、俺の元カノ兼元クラスメイトが今どうしているか、俺はまったく知らない。
……って、ずーっと思っていたはずなんだけど。




ハロウィーンのせいというかおかげというか、今日のナイトレイブンカレッジには人が溢れかえっている。マジカメモンスターもいい具合にいなくなって、それでも生徒である俺は多すぎる観光客に笑顔を振り撒いて、あー面倒くさいなーとか考えながらボランティア?接客?をしていた。
そんな時だった、俺のズボンのポケットに入れていた携帯が震えたのは。

『ナイトレイブンカレッジ、来たよ』
『人多いね』

ずる、と俺は手からスマホを落としそうになって、寸前のところで見事キャッチした。
驚きのあまり、口からは何の言葉も生み出されなかった。混乱しすぎな気もするが、それでも俺の頭の中は真っ白だった。
トーク画面を確認して、このメッセージが来る前に俺が送った何ヶ月も前のメッセージがあって、その相手は、何度確認しても元ガールフレンドのあいつで間違いなかった。




「……なんでいんの」
「いちゃダメなの?」
いや駄目じゃないけど。でもよく平然と来ることができたな、と俺は心の中だけで悪態をつく。
メインストリートのハートの女王の石像の裏に彼女はいた。メインストリートも当たり前に人が多く、彼女はそれから逃げてここにいるのだと、俺はすぐにわかった。わかってしまった。もう何ヶ月も会っていないのに。
俺はあいつがナイトレイブンカレッジいると頭がうまく認識した瞬間、走り出していた。あんな人間嫌いのあいつが、こんなに人の多い学園内でどうやって行動しているのか、まったくわからない。パニックになって、何かしらのこと(俺の想像力不足により、具体的な例は出てこなかった)が行われているかもしれない、と思っていたが、あいつはきちんと(言うほどきちんとか?)、人の少ないところに逃げていたようだった。
「ひさしぶり」
「……おう、久しぶり」
俺は隣にしゃがみ込んだ。久しぶりに会うこいつは、少し髪が伸びていた。わかる変化はそれくらいで、それ以外の変化は特になかった。
「元気だった?」
「うん、エースは?」
「俺も、元気だった」
会話は一度そこで途切れた。何を話せば良いのかわからず、俺はただひたすらに黙った。周りの雑音に耳を傾かせる。だからって何が変わるわけでもないけれど、家族連れやカップルや、あるいは学園の生徒が行き交うこの場所で二人、ひっそりとしているのがなんだか変に感じてしまう。
「ねえ」
次に言葉を発したのは、自分ではなかった。俺は少し遅れて、「あ、えっ、何?」と言葉を返す。彼女はまっすぐと俺を見つめていて、俺も目を離さなかった。
「たのしい?」
「『楽しい』……って、何が?」
「学校、とか、友達とか」
「……まあ、楽しいよ。大変なこととか、面倒くさいこともあるけど」
これまでにあったことをぐるぐると思い出す。授業とか、寮でのこととか部活のこととか、こいつと離れてから色々あったなあと思い出に浸っていると、こいつは平然とした顔で言った。
「エースが無事に生きていて、よかった」
「は、」
「わたしがいなくても、エースが幸せそうで、それがよかった」
すべての音が聞こえなくなるような感覚に陥る。ふざけるな、と感情が昂り、怒ってしまいそうになる。
お前がいない間の俺をお前が語るなよ。お前がいなくても俺は幸せになれるかもしれない。そうかもしれない。そしてお前もそうなのかもしれない。お前も、俺がいなくても生きていけるのかもしれない。でも、それでも、俺はお前がいても幸せになれる。それなら、俺はお前がいるところで幸せになりたい。
でも、結局俺はそれらを全部飲み込んで、違うことを言うことにした。
「なあ」
「なに?」
「また連絡してもいい?」
あの日買ったコンドームは捨てられなくて実家の方の俺の部屋のクローゼットの奥にあるし、あいつの連絡先も消せないまま動かないトーク履歴をごくたまに見ていた。それを知って、こいつは顔色一つくらい変えてくれるのだろうか。変わらなくてもいいのかもしれない。でも、少し変わってくれたら嬉しい。
「ブロックしてないからいいんじゃない」
マイペースで、過敏で、変わり者で、多分頭のどこかがおかしくて、そんな大好きなこいつがまだ生きていることに、俺はひどく安心して、彼女のひんやりとした手を緩く握った。

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