ここが桃源郷ならよかったのに
わたしの父方のおじいちゃんは、電話で必ず「ともだちはいるか」と絶対に聞いてくる人だった。わたしにとってそれは憂鬱になる理由のひとつで、父方の実家に電話をした後はただひたすらに「疲れた」という感想が頭の中を埋め尽くす。
ともだちなんてもう長らくいたことがない。物心つく前はいたことを覚えているけれど、思春期と呼ばれる時期に入ってから少しして、人と行動することが苦手なことに気がつき、それ以来、人との交流をずっと避けていた。
それでも人との交流を完全に断絶できるわけではなくて、小学校から三人、中学で二人、高校では五人と、わたしは連絡先を交換してしまった。別に、特別その子たちと仲が良くなりたかったわけではない。きっかけも、隣の席になっただけとか、同じ授業を選んだからとか、たしか、その程度のことだ。
「愛されてンじゃねえか」
と中也さんは無責任にも言う。
中也さんにわたしの愚痴をこぼすのは、ベッドの上だけのことだ。眠くなると頭がぼんやりとしてうまく回らなくなるから、わたしは大嫌いなことも憎んでいることも恨んでいることも、そして自分の心の中にずっとある憂鬱たちのことも、全部を中也さんにこぼすことができる。
「俺にはそもそも、そういう存在すらいないからな」
そこまで言われると、返す言葉もない。
わたしは世間一般的な恋人同士がする会話があまり好きではない(中也さんは知らない。あの人はああ見えてかなりのロマンチストだから、好きというか憧れというか、そういうのはありそう)。セックスをした後だというのに、その雰囲気は微塵もない。わたしの通っている病院で新しい薬をもらったこととか、この間インターネット上でバズった漫画がいけ好かないとか、小学校の頃のあんまり教え方が上手くなかった担任のこととか、あとは、わたしが憂鬱に感じることについて。
「ちなみに、中也さん。さっきはどっちのこと言ってたの?」
「両方。遠方にいても手前を気遣う祖父さんも、人間嫌いの手前の友人になりたいって思った奴等も、手前のことが好きなんだろ」
俺みたいに、と中也さんは付け足した。
わたしは、恋愛というものを信用していない。したいやつはすればいいと思うけど、わたしは別にしたいとは思わない。でも、いま、わたしは中也さんとキスをして、セックスをして、いつのまにか毎日休み時間になったらトイレで泣いていた仕事を辞めていて、中也さんの住むマンションに居た。キスもセックスも仕事も結婚も愛も恋も友情も暴力も病気も、わたしはその辺りのことが全部大嫌いだ。多分、その辺りのことを理由づけたら、わたしは中也さんの側から離れる選択ができた。でも、わたしは、それをしなかった。それはきっと、ベッドの上でこぼすわたしの憂鬱を、中也さんが否定しなかったからだ。そんなこと言うな、とか、病院に行け、とか、人を愛せ、とか、そういう普通でありきたりでわたしにとっては吐き気がするようなことを中也さんは言わなかった。
「隣人愛は綺麗事だよね」
「まあ、そうかもな」
中也さんは肯定に近い意見を述べた。「路上にゴミが落ちていたら、悩まず拾って捨てられる人間になってほしい」と幼少期のわたし言ったのは父だったが、それを言った数年後に父は浮気をしていたことが判明した。それがわかった瞬間、死ね!とわたしは思ったし、今後この先の人生で父に何を言われても「この人浮気したんだよな」と思ってしまうだろうと確信した。
中也さんだって、誰かを殺した手でわたしに触れる。それをゆるしているのはわたしで、それを改めて認識しようとすると頭がおかしくなりそうになる。
でも何もかもがそうできている。わたしだって、何かを殺して今を生きている。わたしにとってそれが道端で踏み殺してきた数のわからない蟻や昨日の夕食の豚なんてものだし、中也さんはそこにさらにプラスされて他の人間の命が追加される。誰もが間違っていて、それでも生きていかなくちゃいけない。わたしはそれが耐えられない。それが希死念慮に繋がっているのだろうか。
「何の命も摂取せずに生きていきたいなあ」
「……これは俺の意見だが」
「うん」
「息をする時点で自分の命を削ってるよな」
「……あはは」

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