勝手に息する
たぶん、人間というものが嫌いだ。
小説の表紙に人物の写真があったら選ばないし、ソシャゲのキャラクターの音声は基本聞けない。実写映画やドラマなんて、見たら寒気がする。
私は、生身の人間の存在が耐えられない。
「『つまり、中二病ってことかな』」
「死んでしまえ」
思わず滑り出た言葉に、禊くんは顔色ひとつ変えなかった。それは言われ慣れているからで、傷ついていないことにはならない。「ごめんなさい、禊くん」と謝ると、「『なにが?』」と返ってきた。
「『別に××ちゃんが僕に「死ね」と言ったことに関して、僕は何とも思っていないよ』」
「うん。だからわたしが、自意識過剰なだけのかな」
私は生身の人間は嫌いだ。でも、だからと言って、生身の人間を傷つけることが平気なわけではない。私の行動に他の人間が嫌悪したら。私の言葉に他の人間が傷つけられたら。私の存在に他の人間が苛立ったら。その瞬間に、わたしは消えてしまいたいと思ってしまう。それはずっと昔から付き合ってきた祈りと願いであり、でもきっと一生慣れるものではない。一日何回も思うけれど、それを思うたびに、私の心は鉛のように重く沈む。
「『それで××ちゃんが傷つくんだったら、本末転倒じゃない?』」
「うん、そうなんだけどね……」
「あの、すみません……」
「あっ、はい!」
お客さんがくると、禊くんは何も言わずにお釣り用の小銭が入った透明のケースを開けてくれていた。私は、お客さんであるお姉さんの顔を見て、次の言葉を待つ。
「新刊と……、こっちの既刊を、一冊ずつください」
「はい、ありがとうございます。えっと……、1200円になります」
お姉さんが出した千円札二枚は禊くんが受け取って、お釣りの800円を渡してくれる。私は、新刊と一つ前のイベントで出した本の二冊、お姉さんに手渡す。するとお姉さんが「あと、これ、差し入れです」と薄い水色の紙袋を渡してくれた。
「あ、ありがとうございます!」
「いえ、あの……、いつも楽しく、作品を拝見しています。これからも陰ながら応援してます」
そうしてお姉さんはぺこりとお辞儀をして、去っていった。私はお姉さんからもらった薄い水色の紙袋の中身を見る。そこには手紙とお菓子が入っていた。
「あ、禊くん、ラスクだ、ラスクだよ!」
「『うん、よかったね』『××ちゃん、ラスク好きだもんね』」
「あとで一緒に食べよう」
「『××ちゃんが貰ったんだから、××ちゃんが食べなよ』」
私がラスクにはしゃいでいると、禊くんは「『……本当に人間が嫌いなの?』」と声をかけてきた。私はなんとなく聞かれるかもしれないと思っていたから、テンプレートになぞるように声を出した。
「嫌いだよ。でも差し入れを貰えれば嬉しいし、新刊が全く買われなかったら悲しいし、禊くんを傷つけると死にたくなるよ」
だから私は、二次創作を続けられている。原作の漫画を読んで、そこから話を勝手に広げている。生身の人間が嫌いで、線と点だけの人間は愛せるから。
さっきのお姉さんは、持っていたバッグにこの間アニメ化された少年ジャンプの有名作品の主人公のアクリルキーホルダーをつけていた。そういうグッズのほとんどはアニメの画風で出ることがほとんどで、SNSに蔓延る人間たちはそのアニメを見て毎週感想を呟いている。私はそのグッズを買っていないし、そのアニメを見れていない。
そんな自分が嫌だなあ、死ねばなあ、と思うことは多々あるけれど、大体の終着点は「まあ、いいか」になる。そしてそれがまた嫌悪の対象になる。堂々巡りで、キリがない。
「禊くんは、アニメ見た?」
「『これの?』」
禊くんは私の新刊に視線をうつす。描かれているのは一人の少年。少年ジャンプで現在連載中の某有名漫画の主人公。私の新刊の表紙。原作の絵柄に全く似ていない、私の二次創作。
禊くんは少年ジャンプが好きで、私も少年ジャンプが好きで、多分あのお姉さんも少年ジャンプが好きで、この辺りにいるサークルの人間は皆少年ジャンプが好きだろう。
ざわざわと、いつだって同人誌即売会は五月蝿い。禊くんの声も、私のサークルに来てくれた人の声も、全部が聞き取りづらくなる。誰かの声と声が重なって、それがいくつも起こる。みんな、何かが大好きでこの場に訪れる。売る側も買う側も、もしかしたら運営側も、何かが好きでここに集う。
じゃあいったい、二次創作は誰のために、何のために、生まれ出ているのだろうか。
原作が好きで好きなのに、そこからさらに自分が勝手に広げようと思うのは、一種の傲慢だろう、とひっそり私は思う。
「『見てないよ』『原作が至高だからね』」
「禊くんらしいね」
しんどいなあ、何かを好きでいることは。でも、何かを嫌いでいることのほうが、何倍もつらい。
【大嘘憑き】を使ったら、原作もアニメ化も作者も二次創作も同人誌も解釈もファンアートもSNSも考察も捏造もキャラ崩壊もR18も、そして私も、全部が消えて無くならないかな。
「『……例えば僕が、この同人誌を【大嘘憑き】で“なかったこと”にしても××ちゃんは何も変わらないよ』」
「……………………うん」
「『きっとこの本と同じように』『たいして上手くもない絵で』『たいして上手くもないコマ割りで』『たいして上手くもないセリフ使いで』『たいして上手くもないストーリーで』『君の大切な本は生まれるよ』」
「…………しんどいねぇ」
「『でも止められないんだろ?』」
禊くんは机の上に山になっている私の新刊を手に取る。「お金払ってね」と言うと、「『一冊700円って、少年ジャンプより高いじゃないか』」と笑っていた。
「『僕は君の言葉を借りると、原作至上主義に値するわけで』『君の創作の無意味さを知っているけれど、それでもやめないんだろう?』『いっそのこと、羨ましいくらいだよ』」
禊くんは、私の同人誌を読んでいる。私は、なんとなく手持ち無沙汰で先程貰った手紙を開封して読んだ。「いつも拝読しています」「好きです」「あそこの表現が」「あそこの展開が」「あそこの台詞が」「あそこの表情が」「ずっと」「これからも」「拝読」「応援」。言葉が、溢れている。あの人からの想いの言葉が、たくさん詰まっている。私の中にあるのは、歓喜と嫌悪と安堵としんどさとプレッシャーと、どうでもいい、だった。
嬉しい、嬉しいんだよ、本当に、本当なのに、嬉しいのに、嬉しいけど!
そこから続く本音の言葉が、いつまでも私を苦しめる。
「『羨ましい』『本当に、羨ましいよ』」
禊くんは私の同人誌を読み終わって、ぽつりとそう言った。黙れ、とも思った。死ね、とも思った。でも、私の口からは「……じゃあ、禊くんも作ればいいのに」とこぼれていた。
「『無理だよ』『君のそれはもはや崇拝だろ』『僕にはそんなものないからね』」
禊くんは平然と答える。それに私は苦笑する。苦い笑みしか、浮かべられない。
崇拝。歓喜よりずっと不健全で、嫌悪よりずっと綺麗な感情。私の二次創作は、崇拝だ。好きなものと嫌いなものに対する、崇拝の結果だ。
「ねえ、禊くん」
「『なんだい、××ちゃん』」
「……また売り子してね」
「『……そうだね』『××ちゃんの嫌悪に対する崇拝を、一番近くで見ていてあげるよ』」』
禊くんの言葉はある意味で神からの救いのことばよりも救済めいていて、私はそれに身勝手ながら救われなかったけれど、ひどく安心してしまったのだった。

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