泥のダンス
「────お前、ふざけんなよ」
息を吸おうとして動かしたはずの口は、うまく呼吸を行えなかった。
現在の彼女の服は葬儀の際にも着ていた黒いワンピースだ。そしてそこから露出している首や脚や腕なんていう彼女の肌はツギハギだらけで、そういえば彼女の死因は飛び降りだった、と今更思い出した。なるほど、こういう形で死者蘇生は行われるのか、と半ば現実逃避のように思った。
だがそんなこと考えたところで現実は変わりはしない。低い声で僕を呼び、僕の襟首を掴んで睨みつけている彼女を見て、僕は一瞬間違えたのかと思った。だがそんなことはない。魔法陣に間違いはなかったし、現に彼女の声質や髪型や服装、顔自体は彼女そのものだ。異なっているのは、僕に対する対応だけだ。あの頃は、あの頃はもっと────────。
彼女は、一体誰だ。
「────一郎っ!」
その声が響いた瞬間、目の前の彼女が消えた。違う、吹っ飛んだ。その衝撃で、その辺に積んであった本がばさばさと落ちた。壁へと身体が打ち付けられても、彼女は一言も発さずにふらふらとしながら立ち上がった。
自分を呼んだ声には覚えがある。そして彼女が自分の目の前から消え、壁まで吹っ飛んだのは、その声の主の仕業だろうとすぐに理解した。水晶からでも様子を見ていて、僕が危なくなったように見えたから研究所に来たのだろう。
「クソ親父」
「…………お久しぶりです、真吾さん」
「……××ちゃん?」
「はい、××です」
お久しぶりです、と彼女はもう一度クソ親父にお辞儀をした。まるで何事も起こらなかったみたいな顔をして、そこにいる。
彼女の親は、クソ親父の使い魔だった。そして、僕が魔界にいた頃の世話係が彼女だった。だからクソ親父も、彼女のことはよく知っている。勿論、彼女が死んだことだって知っている。
「一郎」
「……なんだ」
「死者蘇生の魔術を使ったね」
「…………。」
「そのことについてはあとでお説教するとして……」
そう言うとクソ親父は、彼女の方を見た。彼女の瞳は空洞のようなその瞳に僕とクソ親父を映してそこに立っていた。
「……本当に、××ちゃん?」
「はい、××です」
「…………。」
クソ親父は怪訝そうに彼女のことを見ている。どれだけ疑おうと、彼女は××だ。数年前に自殺した少女だ。それを僕が蘇らせた。だから今ここにいる。
「息子が、すまないことをしたね」
「いえ……。もう起こったことなので」
彼女はふらふらとした足取りで僕に近付いた。クソ親父は警戒を解かない。今の彼女が何をしでかすのかがわからないからだろう。僕も、彼女が今から何を言うのか、何をするのか、予想できなかった。
「一郎くん、ひとつだけ聞くね」
彼女の声は、あの頃聴いていたような柔らかいものになっていた。諭すような、撫でるような、そんな声だ。その声のまま、彼女は言葉を続けた。
「どうして、こんなことしたの?」
「……わからない。ただ、もう一度会いたかった」
「……なにそれ、わたしのこと好きなの?」
好き、なのだろうか。それもわからない。あの頃みたいに笑いかけてほしいとは思った。
まだ魔界にいた頃。優しく頭を撫で、「一郎くん」と柔らかな笑顔を僕に向けていた彼女は、いつだって僕の姉のようで、友人のようで、あるいは別の何かだった。
────だからあの日。彼女が飛び降りた日。いつも隣にいた彼女が「ここを動かずに待っててね」とそれだけを言い残して、部屋を出て行き、そしてそれから少し経って彼女と目が合った。窓越しに、ビー玉のような瞳と一瞬だけ目が合った。瞳、靡く髪、はためくワンピース、足。何故彼女が窓の外にいるのか、何故彼女の頭の方が下にあるのか。そしてその答えが僕の中から出てくる前に、外から何かがぶつかるような音がした。
あの日のことが、頭から離れない。あの日見た瞳が、忘れられなかった。
簡単に頷くことはできなかった。僕にもその感情が何と言うのかわからなかったからだ。だが、否定もできなかった。それが僕の答えだと、彼女は悟ったのだろう。彼女は昔の僕をよく知っている。
「……あはは」
聞こえてきたその声を、彼女のものだとは僕は思えなかった。
この場には不釣り合いの軽いその笑い声は、声質的に彼女のもので間違いなかった。それでも、僕にはその部屋に響いた声が、彼女のものだとどうしても理解できなかった。
「あははははははっ!あははははははっははははははは、あっはははははははは!」
呆然とした。彼女は笑っている。僕を見て、僕の言葉に対して、狂ったように笑い声を上げている。彼女がなぜ笑っているのか、僕には理解できなかった。何がおかしいのか、何が楽しいのか、全くわからない。
踊るように笑って、歌うように笑う彼女を、クソ親父も呆然と見ている。何を言うべきかすらもわからないといった顔をしている。
そうした長い笑い声の後、彼女は僕に笑みを向けた。おかしい。僕はこれが欲しかったはずなのに。呼吸が荒くなる。何故だろう。今すぐにでも彼女から目を逸らしたかった。けれど身体は上手く反応せず、僕はその場で固まっていた。
「気持ち悪っ!」
そして吐き捨てるように、笑顔のまま、彼女は僕にその言葉を浴びせた。

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