ラストロストエンドロール
特務司書である彼女に対して抱いているこの感情をなんて表現するのが一番正しいのか、僕は上手い言葉をまだ見つけられていない。文豪だというのに情けない限りだ。
けれどいつだって僕の目の前に彼女が現れて柔らかく笑うたびに、僕のことを呼ぶたびに、心臓ははやく脈打つのだ。
彼女の前にいる僕はいつも通りだろうか。彼女から僕はどう見られているのだろうか。彼女の瞳にはどんな風に映っているのだろうか。
そう思っている時点で、答えは出ているのだろう。
「…………それで、君は結局何が言いたいわけ。島崎」
そう言いながら眉をひそめて僕を見た秋声は、何だかんだ僕の話を聞いているようだった。先程までほつれていた秋声の手元にあるぬいぐるみは、既に綻び一つない形へと戻っていた。
「司書さんから頼まれたの?」
「うん」
「ふうん」
今更それに嫉妬なんて覚えない。僕は縫い物が特別できるわけでもないし、秋声と司書さんの間には今まで築き上げてきた二人なりの関係性がある。もちろんそれは僕と司書さん、そして僕と秋声の間にもあって、それは誰にも真似できないものだろう。
夜も更けてきたからか、談話室は僕らしかおらず、自分の声が反響するくらいに静まり返っていた。だから今、僕はこんな話をしている。
「想いを伝えるって、具体的に何をすればいいんだろうね」
「さあ……。でも司書さんは結構鈍感なところがあるから、きちんと言葉にしないと伝わらないとは思うよ」
秋声のそんな言葉に驚いたように僕が顔を上げると、「なに?」と怪訝そうな顔をされた。あれこれ言いながらも彼は僕の恋路を彼なりに心配しているのだろう。
「うん。じゃあ手紙にでもしてみようかな。一応、腐っても文豪なわけだし」
「別に腐ってはいないだろ」
彼のそんな呆れた声に、僕は思わず笑った。そんな僕の笑い声は室内に小さく響いていた。





それから、数週間が経った。
現在、僕の腕には文字で埋まった原稿用紙の束がある。そして、それを燃やすための場所を、探していた。館内は論外、自分の部屋も駄目。談話室も無理だろう。食堂……、と一瞬だけ考えたが、他の文豪の見つかる可能性を考慮して、結局僕は中庭の隅の方でこっそりと燃やすことにした。
中庭には数人の文豪がいたけれど、彼らから見えないところまで小走りで逃げるように足を進めた。人がすっかりいなくなったその場にしゃがんでしまうと、背の高い木々と草花が僕を隠してくれた。きっと、誰にも見つからない。見つからなければいい。
ポケットからマッチを取り出した。すう、と小さく息を吸う。柄にもなく緊張しているのかもしれない。どき、どき、どき、と僕の脈打つ鼓動が聞こえる。
ふう、吐息を吐いた。マッチの箱から一本取り出して、箱の側面へと押しつけて、それを思い切り────
「島崎!」
ばきり、とマッチは折れた。頭薬のついている棒の半分が、重力に従って地面へと落ちていく。火はまだ灯っていなかった。
背後からした声の主はわかる。僕は彼の声をよく知っている。僕はゆっくりと立ち上がって、振り向いた。腕には、原稿用紙を抱えたまま。
「秋声」
「君……、何してるの」
「何してると思う?」
そんな僕の言葉に、彼は「っ、君ねえ!」と大声を出した。僕よりも僕の感情を大事にしているみたいな、そんな顔だった。そんな顔しなくてもいいのに、とは思ったけれど伝えなかった。火に油を注ぐ結果になるのは目に見えている。流石にそれぐらいのことは僕にだってわかる。
「…………質問いいかい」
そんなふうに口を開いたのは秋声だった。その言葉をいつも吐いているのは僕だ。質問される側に回るのは新鮮だと考えながら「うん、どうぞ」と答えた。
「島崎、君は、」
秋声は一度、そこで言い淀んだ。僕に伝えるべきか迷っているのだろう。それでも彼は意を決したように口を開いた。
「司書さんに想いを伝える気が、ないんだろう」
沈黙が、僕らの間を襲う。秋声は僕から決して目を逸らさずに、次の言葉を待っているようだった。
「……………………ばれた?」
「……今の状況を見れば、誰だってわかるさ」
「それもそうだね」
そこで僕らは、また黙り込んだ。秋声は次に言う言葉に迷っているみたいだった。結局、彼が次の言葉を見つける前に、僕が口を開いた。
「僕はね、別に結ばれたい訳じゃないから」
「じゃあ、今までの君は何だったんだよ」
「…………。」
「島崎、君だって生半可な気持ちなわけじゃないだろ? その手に持っている手紙だって、何度も書き直していたのを僕は知っている。なのになんで、諦めるんだよ」
「……秋声、自分のことみたいに言うんだね」
「…………それくらい、応援してるんだよ。確かに島崎は転生文豪で、司書さんは現代を生きる人間だ。そこに大きな差がある。でも……」
彼はそこで言い淀んだ。そこから僕を気遣ってくれていることがありありとわかった。
「別に、僕が一度死んだ身だからってことは関係ないよ。ただ、」
僕はそこで少しだけ黙った。「ただ?」と秋声が僕の次の言葉を待っている。
いつの間にか、少しだけ風が吹いてることに気がついた。道理で、身体が冷えている気がした。僕は「司書さんが、」と続けた。
「司書さんが恋をしないだけの人間だって話だよ」
「……どういうこと?」
秋声の疑問は最もだ。僕だって未だにその事実をうまく飲み込めていない。でも彼女の生きている現代には、そういう考え方もあるということを、僕はついこの間彼女本人から聞いた。
「取材の一環っていう体でね、彼女に恋愛について聞いたんだ。恋愛に対する考えとか、恋人の条件とか、そういうことを聞こうと思ってたんだけど……、司書さんは自分は恋愛はしないんだって説明してくれた。図書館で借りれる本も、色々教えてくれたよ。何だっけな……、アロマンティックっていうんだって」
彼女への取材を終えた後、僕は彼女から教えてもらった本をいくつか読んだ。
アロマンティック。他者に対して恋愛感情を持たない人、または指向のこと。
その結果、僕の頭の中にはその一文が、ぐるぐるとこべりつくことになった。
「だから、思い続けるのをやめるわけじゃない。でも、伝えるのは、やめておこうと思うんだ」
「……そう」
秋声は静かにそう呟いた。そして、「わかった。止めて悪かったね」と僕を見て言うから、「秋声は悪くないよ」と僕は考える前にそう発していた。秋声は悪くない。司書さんだって、僕だって、誰だって悪くはない。そういう話なのだろう。それなのに、心はどうも落ち着かなかった。
「じゃあ、冷えないうちに戻るんだよ」
彼はそう言って去った。館内へ戻るのだろう。その途中、彼は何度も僕のいる方へと心配そうに振り返るから、その度に僕は手を軽く振った。そしてそんなことを何度か繰り返すうちに、秋声の姿は完全に見えなくなった。僕はそれを確認してから、しゃがみ込んだ。空を仰ぐ。それは僕の心を表すような曇天で────────まあ、そんなことはなく、真っ青だった。雲ひとつない、晴天だ。太陽の眩しさに、思わず目を細めた。
彼女のためとか、別にそんなことは考えてはいない。ただ、伝えて彼女との関係が変に変わるくらいなら、言わなければいいだけだと思っただけだ。全て、僕側の事情だ。
だから、いい。これでいい。
マッチを一本取り出す。躊躇いもせずに、箱に頭薬を擦り付ける。火は何事もなくついた。チリチリと音がする。日は風のせいでゆらゆらと揺れていた。消える前に早く終わらせようと思った。そして、僕は抱えていた手紙を地面へと置き、マッチを近づけた。瞬間、紙の端から広がる火を、僕はぼんやりと眺めた。煙が目に染みて、仕方がなかった。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -