廻る周るわたしたち
「殺した方が、いいですか?」
初めてその言葉を言われた時に、僕が何て答えるべきだったのかは、今でもわからない。
ただ喪失状態で朦朧とする頭の中、彼女の笑っていない顔を見て、やけに真剣なその声を聞いたことは、今でも鮮明覚えている。



特務司書である彼女に、特別目立つ欠点はない。真面目に仕事をこなし、必要以上のことは言わず、感情を露わにすることはほとんどなく、僕たち文豪にはあまり踏み込まない。いつも静かにその場にいて、いつの間にか消えているような人だった。
だからあの日、補修室で僕が聞いた声が、見た姿が、本物の彼女だったのか、僕にはわからなかった。朦朧とした頭が見せた幻覚や幻聴だと、半分くらい本気で思っていた。
けれど何度だって、彼女は喪失状態の僕の前に現れて同じことを言う。
今日だって、ベッドの上でぼんやりとする視界のまま、彼女を見上げる。ひっそりと現れた彼女は、感情の読めない瞳で僕を見ていた。
そして、淡々と、静かな声で、顔色ひとつ変えず、冗談じゃないみたいに、彼女は言う。このあと起こることを、僕はわかっている。
「殺した方がいいですか?」
それに対して僕が返事をしたことはなかった。



「ねえ」
と口にしたのは僕だった。
その日も僕は補修室のベッドの上に寝転んでいて、そして彼女もいつのまにか僕の枕元へと立っていた。いつも通りで、でも僕の行動はいつも通りではなかった。
彼女が口を開く前に僕が声を出したことに対して、彼女は呆気に取られたような顔を一瞬だけして、でもすぐに「はい」と返答をした。
「なんで、いつも同じことを僕に言うの?」
彼女は少し首を傾けて、「……どれのことですか?」と言った。
「殺しましょうか?、って」
「……ああ、はい」
彼女はそう返事をして、放つべき言葉を選んでいるのか、少し黙った。気まずい沈黙が場を漂う。
そして何分が経ったのか、彼女はようやく口を開いた。
「芥川先生が、わたしと同じように見えたので」
え?、とも、は?、とも声には出なかった。僕の内心的にはそんな感じだったのだけれど、僕が言葉を声にするよりもはやく、彼女が補足のように説明を足していった。
「母親に、言ってほしかったんです。わたしを産んだのにわたしが生きていることに責任をとって欲しくて。わたしはずっと、死にたかったので」
それは彼女の本心だった。言葉足らずに見えてしまうけれど、間違えようのない、勘違いしようのない、彼女の心の奥底からの声だった。それはかつての僕が、薄らと常に考えていたことでもある。
「だから、先生と同じです」
彼女の本意を聞いた僕の口からは、軽く笑みが溢れていた。「あは、あはは……」と頼りなく笑う僕を、彼女は首を傾げて見ていた。
神様のようで、母親のようで、天使のようで、悪魔のようだ。もしかしたら、それ以外の何かなのかもしれない。目の前の彼女は、今の僕にとってそういう生き物だ。
彼女の事情を全て無視した上で、僕は自分勝手ながらそう思った。
「──もしいつか、」
「はい」
僕は言葉を紡ぐ。彼女に、伝えるべき言葉を。彼女は遮ることなく、僕の言葉を待っている。それだけで救われた気になってしまう。
「もしいつか、それを心の底から望む日が来たら、君が、僕の首を絞めてくれるかな」
彼女は一度だけ瞬きをして、つかさずに「はい」と答えた。その瞬間、僕は目の前の彼女を抱きしめたくてたまらなくなったけれど、その欲望を無視して、僕は目を閉じた。

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