奈落で星を見上げている
「なんで、今それを言ったの?」
「だって、いつも太宰さん言うじゃないですか。『全部言いなさい』って」
これが、女と太宰のいつものやりとりだった。
女は壊滅的だ。性格とか性質とか、様々が破綻している。それは太宰の主観だけではなく、他者から見た主観でも同じことが言えた。少女だからという理由で比較的女に甘い森も、女のことを如何にかしてあげるべきだと一番真面目に考えている尾崎も、そして太宰の次くらいに女と共に任務を行う中原も、同じ意見だった。女の頭は可笑しい、と、誰もが口を揃えて言う。
太宰は一度、女に問いを投げたことがある。
「君の頭のおかしさは、生まれつき?それともわざと?」
女は顔色ひとつ変えず、少しだけ悩んだ後に「月が割れて、星が落ちて、花が散って、そして空が青いからわたしはこうなりました。なので、生まれつきではないでしょうか」と口にした。やはり頭が可笑しい、と太宰は口にすることなく思った。
今の女は余計なことまで全て言う。言うべきこと、言ってはいけないこと、言いたいこと、言いたくないこと。女が心の中で考えていることの全てを女は太宰に言う必要があり、女はそれを真面目に守っている。そしてそれは、太宰が命令していることであった。昔の女──それこそポートマフィアに来たばかりで太宰の部下になりたての頃──は無口だった。無口のまま、奇行に走る女だった。与えたチョコレートを食べているかと思えばそのチョコレートを全て吐いたり、任務中に突然太宰の頭を殴ったり、書き上げた報告書を口に含み飲み込んだり。そしてもっと厄介なのは、其れ等を何の説明も無しに急に行うところだった。そんな女の頭の可笑しさに嫌気がさした太宰はある日、「君は、全部僕に言って」と女に告げた。
「全部とは?」
「全部は全部。君の心の中にある全てを、余すことなく僕に伝えて。君に拒否権はない。君のプライバシーは今日から無くなったも同然だ」
女は太宰の言葉に、「わかりました。全部話さないとわからないのは、人間らしいですね。だから全員死ぬべきで、全員墜落すべきです」と、訳の分からないことを言った。
──そこから、女は太宰の言う通りにし続けた。
森から貰ったワンピースを「フリルの纏っている空気感が嫌いだから」と言って燃やしたり、太宰と中原が喧嘩していた時に「五月蝿いので、殴りますね」と言いながら二人を殴ったり、星が瞬く夜に「輝いているのが、気持ち悪い」と言い放ち夜空に向かって銃を撃ったり、説明をされても奇行は行われていた。
逆に言うならば、奇行の理由を全て口にしているから、ほんの少しだけ女のことを把握できる────と少しだけ前向きに太宰は考える。前向き的な思想や思考は自分の趣味ではないが、女の奇行に振り回されることよりは幾分ましだというのが現在の太宰の考えだった。





その日も、女はいつも通りだった。いつも通り、可笑しかった。
まず、昨日と髪色が違った。昨日は烏の濡れ羽の様な漆黒だったのに、今日になっていきなり血液の様に真っ赤に染まっていた。敵に気付かれやすくなる、と太宰は思うが、面倒くさくなりそうなので口にはしなかった。
次に女は、自身の背中に母親が赤子を背負うように、企鵝(ペンギン)のぬいぐるみを括り付けていた。これに関しても太宰は何も言わなかった。何故?とは一瞬思ったが、理解できないことに頭を使う必要はない、とそれ以上は何も考えずに無視した。
無視したけれど、気になって太宰は思わず聞いた。何度も何度も彼女に尋ねた問いを、彼はいつも通りに。
「君、今何考えてるの」
一呼吸、彼女は黙り、そして顔色ひとつ変えずに口を開いた。
「べつに、わたしの上司は、太宰さんじゃなくてもよかったな、って、そういうことを」
太宰は思い出す。
「わたしのことで、太宰さんだからよかったことなんて、ひとつもなかったです」
隣にいる女は、常にこんな目をしていた。
空虚で、燃え滓で、灰燼で、深海で、真夜中で、無機物の瞳を、太宰にいつも向けていた。
女の瞳に、喜びや怒り、妬みや悲しみ、興奮や苦しみが映ったことは、太宰の知る限りでは一度もなかった。
呆然と、太宰が女を見る。女は平然とした顔をして、言葉を続ける。その瞳に、太宰は映っている。
「太宰さんがわたしのことを『気狂い』だとか『気違い』だとか言葉にしているのは知っていました太宰さんだけじゃなくて首領や尾崎さんや中原さんとかも思っているのは知っていました太宰さんが見知らぬ誰かが見知っている誰かがこの世界の誰かが『頭が可笑しい』とわたしを指差す時わたしがどう思うか考えなかったでしょうそれが答えですそれが理由ですそれか真相ですそれが真実ですそれが全てです太宰さんに対してわたしが思っているのはそういうことですだからと言って太宰さんを嫌っているわけでも恨んでいるわけでも憎んでいるわけでも殺したいわけでもないですそれは誰に対しても同じでわたしの上司が太宰さん以外だったとしても『よかった』なんてわたしは思えていなかったと思いますわたしはずっと死ぬべきだったいなくなるべきだったそれは卑下や自虐ではなくて純然たる事実でわたしはずっと死ぬべきで死にたかったわたしの頭が可笑しいのはわたしのせいでわたしの頭が可笑しいと認識されているのは誰かのせいでわたしが生きているのはわたしのせいですわたしはここにいるべきではなくてわたしはどこにいるべきでもないわたしは死ぬべきですだからわたしは死にたかったですわたしは死にたかったですだからわたしは死ぬべきです頭が可笑しいわたしは死ぬべきでだからわたしの頭を可笑しいと認識している全ての人間も死ぬべきですだから、死んでください。全員、今すぐこの場で。それすらもできないなら、……………………やっぱり死んでください」
言葉を吐き終えた女は、変わらず太宰を見据えている。
太宰は、左手で自身のコートの裾を掴んでいた。爪を立てて、歯を食いしばるように、掴んでいた。こうでもしていないと、女を殴ってしまいそうになるから。いや、別に今女を殴ってもいいかもしれない。むしろ殴るべきかもしれない。どうするのが正しいのか、太宰にはもうわからなかった。
「……………………いま、それを言う必要はあった?」
漸くして、ようやく口を開くことができた太宰が言う。お決まりのようにその言葉を言うと、女はやはりお決まりのように平然と言った。


「太宰さんがいつも言うじゃないですか。『全部言いなさい』って」

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