その号哭が聞こえるように
その日はイベントの日でも入稿日でもなかったけれど、イベントは一ヶ月後に迫っていたし、その一週間前までには今書いているものを入稿しなくちゃいけなかった。だから潜書の予定を確認するために秋声さんとカレンダーを見ていた時にわたしが誰に聞かせるつもりもなくぽつりと「もうすぐ締切だ」と小さく言ってしまい、それに秋声さんは気が付いただけだった。
「君、作品を作っているの?」
「ええ、まあ。二次創作ですけど」
わざわざ隠すのも面倒くさくなり事実を述べると、二次創作?と秋声さんは首を傾げている。そこでわたしは気づいた。およそ百年間には二次創作という文化はなかったのだろう。では二次創作っていつからの文化だろう。そう考え始めそうになる思考を一度止めて、わたしは秋声さんに二次創作の説明をすることにした。
「二次創作っていうのは、なんていうんですかね……、ある作品に出てくるキャラクターをお借りして、さらにそのキャラクターで創作活動をすること、ですかね?」
「……それ、楽しいの?」
「はい、とても」
「……ふうん」
理解しているのかよくわからない顔で、秋声さんは頷いた。わからないだろうとは思った。あの頃の作家は皆、自分の話をしていたというのがわたしの意見だ。自分の話を自分の言葉でしていた。誰かから影響を受けても、その後に形成したものは間違いなく自分のものだろう。
その点、二次創作は違う。お借りしたキャラクターは自分のものではない。その人物とわたしには、何の関係もない。でも喋らせる言葉はわたしが決めるし、感情も行動も何もかも、わたしが決めないと生まれない。それはもしかしたら、すごく苦しくて辛いことなのかもしれない。
「二次創作?っていうのは、元々何かの作品にいる登場人物をさらに他の作家が書くってことでいいの?」
「はい、そういうことです」
「でも、誰かが考え出した登場人物を動かすのって、大変じゃない?」
「でも、わたしは、妊娠が嫌いなので」
秋声さんは「え?」と心底不思議そうな声を出している。わたしも失敗したなと思い慌てる。少し変な空気がわたしと秋声さんの間に流れる。「それって、どういうこと?」と秋声さんは助け舟のように問いかけてくれる。わたしは頭の中でこんがらがる思考をまっすぐにするために声をだす。
「わたしは、わたしのことが大っ嫌いなんです。だから、わたしは妊娠してこどもを産みたくないし、わたしはわたしとは関係のない架空の人間のことしか書けないんです」
わたしは、わたしの延長線上にいるキャラクターを生み出したくない。わたしから生まれたキャラクターを、きっとわたしは愛せない。わたしにとって、一次創作とは妊娠と同じだ。そして妊娠は、わたしが嫌悪しているものの一つでもある。わたしはこどもを産みたくない。
「秋声さん、自分のことが好きだったこと、ありますか?」
「……どうだろう。『どうせ僕なんか』って思ったことは何度もあったけれど、それが僕が嫌いだったことに繋がるのかは、よく、わからない」
秋声さんはそう言って少し黙った後、「ねえ、君の作品、読ませて」と言った。わたしは本職の人間に見せたくないと思ったと同時に、わたしの叫びがこの人に伝わるといい、と思ってしまい、「じゃあ、ちょっと持ってきます」と司書室から少し離れた自室へと駆け込んだ。
ベッドの下には、数個の段ボールがある。そこには初めて出した同人誌から今度のイベントで出す同人誌なんていう、わたしが今まで出してきた同人誌がすべてある。誰かにわたしの声が届くように、それが毒にも薬にも、あるいは何にならなくてもいい。ただわたしの声が誰かに届くために、わたしは同人誌を一度も切らしていない。いつも多めに刷るし、再販もしょっちゅう行う。
わたしの同人誌に出てくるキャラクターたちは、いつも何かに苦しんでいる。苦悩して、傷ついて、死にたがる。でもそこから、自分だけの答えを見つけ出す。それは、わたしがずっとやりたかったことなのかもしれない。自分という現実から逃げて、同人誌という安寧の地を見つけたけれど、わたしがフィクションのキャラクターたちにさせていることは、ただの傲慢かもしれない。でも、わたしは書くことで救われた。二次創作に、わたしは救われている。それは秋声さんが書くようなものとは相容れないのかもしれないけれど、それでいい。それで、いいんだ。



「はい、どうぞ」
「……こんなに書いたの?」
14冊。わたしが今まで出した同人誌の数だ。そして叫びの記録だ。
秋声さんが「薄いね」と言ったのに対して、「そうですね、本当に薄いです」と返した。
秋声さんにその14冊をすべて渡すと、彼は一番上の本、つまりわたしが一番はじめに書いた本を読みはじめた。
司書室のソファにわたしの同人誌を読む秋声さんがいる。わたしは数時間前までは考えたこともなかった情景から目を逸らすように、政府への報告書を片付けることにした。


「……ねえ、読み終わったよ」
数十分がして、彼が声を出した。報告書はあと数行で終わりそうだったので、少しだけその言葉を無視して、わたしはその数行を書き終えた。
「ごめんなさい。ありがとうございます」
「うん。…………感想を言ってもいい?」
「はい」
何を言われても傷つきたくない、と思った。それは秋声さんに対する感情だけじゃなくて、今までもらった手紙やDMを思い出してもそう思った。そこには好意的なものもたくさんあったけれど、わたしの傲慢さを責め立てるようなものもあった。二次創作に間違いはない、けれど、わたしの声が届いたところで、それが正しいと思われる確証なんてないのに、と思い、わたしはまた少し自分に対しての嫌悪を募らせた。
「すごく、眩しいな、って思ったよ」

「僕はこれの元になった作品のことは知らないけれど、司書さんが見たかったものをここに出てくる登場人物たちも見れて、幸せなんじゃないかな」

「君は妊娠が嫌いで、こどもが嫌いで、作品を一から作るのが嫌いで、でもそんな君が君なりの手法でこれを生み出せて、僕はよかったなって思うよ」

秋声さんはわたしの同人誌の表紙を優しく撫でていた。「他の物も、読んでいいかな」と彼は言うのをわたしは聞いて、報われた、と何故か思っていた。
褒められたかったから書いていたわけじゃない。認められたかったわけでもない。わたしは、書きたかったから書いただけだ。でも、それでも目の前の人がわたしの叫びに「よかった」と言ってくれたことが、わたしの二次創作活動の中で一番うれしかった。
「今まで書いていて、よかったです」
やがてゆっくりとわたしの口から出た言葉に、彼は「うん、よかったね」と優しく笑った。きっとこの感情を、秋声さんもいつかに感じたのかなとわたしはふと思った。

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