いつかあなたを殺す者
ある日の夜中、マジカメのDMにメッセージが届いていたから、私の心臓は恐ろしくはやく動き始めた。そしてスマホを地面と平行にして、画面を出来るだけ見ないようにしてタップした。メッセージのすべてが善意に溢れているわけではない。誰かを傷つけようという明確な意思を持って送られてくるものもある。それに傷ついたことが、わたしは何度かあった。
恐る恐る、私はそのメッセージを読む。
そこには、インターネット上にある私の作品を読んだという事実、作品とそれを書いた私に対する賛美、そして本は出さないのかという質問が書かれていた。とりあえず、そこに私を傷つけようという意思は感じられなくて、まず最初に安心した。そして次に、喜びがあった。わざわざその気持ちを言葉にしてくれたことも嬉しかったけれど、私は作品と私が褒められたことよりも、私の作品が誰かに届いたことの方が嬉しかった。
私の二次創作に溢れている感情は、プラスのものばかりじゃない。嫌悪とか憎悪とか、希死念慮とかが溢れている。そしてそれは、私が今まで生きてきた中でずっと抱えてきたものでもあった。しかしそれを誰もが賛同するわけではない。この世界では生命讃美を歌っている生き物が多い。私はそんな同調圧力的本能が苦しくて、インターネットに逃げ込んだ。そこで私は、同じような人がいることも知った。私は、文字を綴って、自身の感情を既存の非存在のキャラクターにそれを載せた。それらはそこそこの人々の心臓に突き刺さったらしく、貴方の書いた作品に救われた、と言われたこともあった。救いとは何だろうか。その人が私の作品を読んで救われたことは、私の意志が離れたところで行われている。私は、誰かを救うために二次創作をしているわけじゃなくて、自分の気持ちを自分で確認するために書いている。だから、「救われた」と言われても、何も言えなかった。人は勝手に救われるだけだと、私の好きな作家(二次創作をしている人じゃなくて、一般的な書店に新刊が並ぶような人)が書いた本に出てきたとあるキャラクターは以前言っていた。
この人も、救われたのかな。
私はメッセージをもう一度読む。縦読みをしたら悪口になった、なんてこともなかった。





人が多くてざわざわとするところは苦手だ。学校の教室も公共交通機関も苦手で、ほとんど引きこもりみたいに生きていた。なのに私は本日、同人誌即売会が行われている灰色の壁が特徴的な大きなホールにいた。
本を出して欲しい、という顔も知らない他者からのメッセージは、いつからか重荷のように私にまとわりつくようになっていた。もはや強迫観念だった。私は、それを振り払うように、イベントの参加を申し込んで、同人誌を作っていた。
数ヶ月間、私は文を綴る度に、頭の中でまわる「貴方の本が欲しい」という言葉に魘されていた。ネット上にあげていた作品を本にした再録本と、今回のイベントのために書き上げた少し長めの新刊。私の祈りの結果であり、誰かからの呪いの結果でもある。
こういうイベントは初めてで、コミュニケーションが苦手な私には仲の良いインターネットにすら友人がいない。ひとりパイプ椅子に座り、行き交う人を眺めて、たまに来る私の同人誌を買いにきた人と会話をして、イベントが始まって二時間ほど経ってからだった。
「……あの…………、すみません。新刊と再録本を一冊ずつ、いただけますか?」
目の前に、一人の人間がいた。
黒いパーカーのフードを被っており、青い長髪が見え隠れしている。声的に男性だとわかる。私の活動しているジャンルは某女性向けソーシャルゲームで、男性のオタクは珍しい。こういう同人イベントに来るなんて、きっと尚更だ。
「あ、あの…………?」
「……あっ、一冊800マドルです!」
めずらしい、と思って一人で思考を回している私に戸惑った目の前の男性は、数枚のマドルを持っていた。
800×2、と脳内で計算する。男性は、500マドル札を4枚、私に渡した。2000引く1600、と脳内がまた計算を始める。
「400マドルのお返しです。こちら、新刊と再録本です」
「あ、ありがとうございます。えと、あと、これ……、よかったら」
「あ、わざわざありがとうございます!」
彼は、薄い水色の紙袋を私に渡してくれた。「じゃ、じゃあ、ありがとう、ございました……」とお辞儀をしてその場を去る男性に、私もお辞儀をし返す。ふう、と息を吐いて、紙袋を確認する。紙袋に入っていたのは手紙とザクロ味のチョコレートだった。





大きなトラブルもなく、イベントは無事終わり、数十冊作った新刊は六冊の余りを残して売れた。
家に無事戻り、私は貰った差し入れを確認していた。自室の床には、数個のお菓子と一通の手紙が並んでいる。お菓子は何でも食べることができるから、何を貰っても嬉しかった。けれど(という表現は失礼かもしれない)、私は、手紙に対して変に緊張を感じていた。
手紙をくれたのは、あの男性だ。結局、私の本を買った人の中で、男性は彼だけだった。
可愛らしい黒猫のシールをゆっくり剥がして、手紙を恐る恐る見る。便箋三枚の上には、本を出してくれたことの感謝から始まり、サンプルの感想、今まで書いてきた作品の感想、そしてこれからも応援していると賛辞が書かれていた。悪口じゃなかった、とまず安心する。
手紙の最後には、彼のハンドルネームと思われる名前と、それからマジカメのIDが書かれていた。
私は、そのIDをスマホで検索する。私のアカウントをフォローしている、と表示がされており、私は、そこでようやく、彼を思い出した。以前、DMを送ってくれた人だと、思い出した。そして私の指は、ちゃんと思考し始める前に、動いて文字を打っていた。

【本日は、新刊を買ってくださり、ありがとうございます。以前もメッセージをくださり、すごく嬉しかったです。】

テンプレートみたいで気持ち悪いかもしれない、と思いつつ、私はそれを送信する。ふう、と一息吐いて、マジカメのトレンド欄を見ようと指を少し動かしていると、10分もしないうちに返信はきた。

【こちらこそ、ずっと××さんの出した本が欲しかったため、今回手に入れることができて、感激です。
自分の話になりますが、全てが嫌になり、自暴自棄になっていた頃、××さんの作品に出会いました。××さんの書く作品はどれも暗くて不穏で冷たくて、けれどどこか優しく、読む度に救われた気持ちになります。素敵な作品を生んでくださり、ありがとうございます。これからも陰ながら、応援しています。】

救われた、とその言葉を見た瞬間、私は笑っていた。その場にはわたし以外いなかったけれど、もし他の人がいたら、わたしが急に狂ったように見えただろう。頭の中の冷静なわたしはそう考えたけれど、わたしは漏れ出すように笑い続けて、けれど少しだけ泣きそうになりながら、そのメッセージを眺めていた。
書いていてよかった、とはずっと思っている。
自分の感情と向き合う事は苦しいけれど楽しい部分もある。私のぐちゃぐちゃとした心の中の感情を言葉にすることは容易ではなくて、だから上手く文にできた時、私はいつも、書いて良かった、と思う。私は、私だけは、この感情を大切にしなければいけない、と作品を書き上げて読み返す度に思う。
それが評価されるのは普通に嬉しい。でも私の創作の根本には、自分のため、というものがある。だから、救われた、と言われても、いまいちピンとこなかった。
だけれど、私の作品で誰かが救われたと思えることは、きっととても良いことなのだと思う。私の作品が評価されているから、とかそういう理由じゃなくて、その人が私の書いた自己満足みたいな作品を読むことでその人自身が救われたと思う事は、その人が自分に向き合った結果だから、私はそれが嬉しい。
私は少しだけ泣きそうになりながら、スマホのメモアプリを開いた。頭の中で沸き続ける脈絡のない文字を文章にする。これも、私以外の誰かを救うのかもしれない、と冷静な私は言う。それでいい。勝手に救われて、勝手に幸せになってほしい。私は、私の作品で私が救われることを、誰よりも願っている。だから貴方も、私の作品で救われることを勝手に願って、それが上手くいかなかったら、自分で書けばいい。今日私に手紙を渡してくれて、そして救われたと言った彼も、いつか自分を救うためだけには文字を書ければいいと思う。みんな、そうあるべきだと、私の心臓は叫ぶ。
頭の中では、青い炎のような髪の毛が揺らめきらめく映像が浮かんでは消えた。







冥界に近いところで久しぶりに出会ったオルトに言われたことを、学園へ戻ったときに思い出して、そして、僕の脳内には一人の人間が、ふと思い浮かんだ。
その人の顔は知らない。きちんと話したこともない。とあるゲームの二次創作をネット上で書いている人だ。その人の書く作品は、読む度に昔別の理由で出来た胸の傷をさらに抉っているような痛みを感じる。けれど、それ以上に読んでよかった、という気持ちになれる。出会えてよかったと思える作品を、彼もしくは彼女は書く。(おそらく、普段の言動的には、彼女が正しいと思う)
彼女の本が、買いたい。
オルトに言われたことを反芻して、僕がまず思ったことはそれだった。
そこからは、全てがはやかった。
何を書くべきか、色々と考えて、メッセージを組み立てる。何度も読んだ彼女の作品についての感想、彼女に対しての賞賛。そして、彼女の同人誌の催促。プレッシャーは与えないように、圧はかけないように、でも自分の気持ちは伝わるように。
バクバクとうるさく動く心臓を無視して、送信をする。そして、すぐさまブラウザバックをする。既読とか返信とかは、今は考えたくない。とりあえず、と現実逃避的にはじめたネトゲのおかげ、あるいはせいで、彼女からの返信が来たことに気がついたのは、それから二時間後のことだった。





彼女が二次創作を書いている主なジャンルは、某女性向けゲームだ。本当は男性向けとか女性向けとかそういうラベリングは好きではないのだが、顧客のことだけを考えると、そのゲームのユーザーはおよそ九割が女性だろうから、そういう目線では女性向けだと言える。だから今日、賢者の島から遠く離れた場所で行われる同人誌即売会でも、周りの人は女の人がほとんどだった。ちなみに、たまに見かける男性には「同志!」と心の中で声をかけている。
死!と思いつつも、僕は今日、その同人誌即売会へ、船と電車を乗り継いで、やってきていた。
某DMを送った目当ての彼女と、あとはお品書きを見て気になった人が数人。合計は10サークルにも満たない。
マドルと彼女に渡すためのお菓子と手紙を入れた紙袋だけは忘れないように、と一週間前から用意していた。あとは渡すだけだが、どうにかなるだろうか。
机に貼られている紙に書かれた数字を見ながら、目当てのサークルを探す。地図は一応頭に入っているけど、間違えないように、自分の目でも見る。
行き交う「新刊ください!」や「ありがとうございます!」の声に圧倒されつつも、僕は、彼女のサークルへと辿り着いた。
ワンピースを着た女性、つまりは初めて見る彼女の姿を見て、僕の心臓は恐ろしいくらいはやく動いていた。
言いたいことも渡したいものもあるのに、その全てを忘れそうなくらい、僕は緊張していた。すう、と小さく息を吸って、歩みを進める。
ぐる、ぐる、ぐる、と頭がおかしくなりそうだ。一歩間違えたら気が狂ってしまいそうな緊張を抱えて、僕は口を開いた。





酷い失敗はしなかったけれど、一生分の緊張を使い果たした気持ちになった。
変に思われなかっただろうか、とか、間違えたことはしていないだろうか、とか、思うことがないわけではない。でもまあ無事本を買えて、なおかつ差し入れも渡せたんだから、拙者にしては上出来でしょ!と多少はポジティブに考える。学園での授業をタブレットで受けている自分にしては、相当頑張った方だと思う。
寮へと帰ってきて、自室のベッドに寝転がり、今日買った本をぺらり、と捲る。ツルツルとした表紙を触り、実物がある、と感動をしながら、文字を追いかける。
彼女の本は、やはり最高だった。サンプルだけでも最高かつ神だとはわかっていたけれど、全部読んだことでそれはさらに確信になる。
最高か……?最高だった……、と本を抱きしめて、感傷に浸る。彼女の本を読むと、泣きたくなる。終わり方はあまり幸せではなくて、けれど優しくなれるそんな話。痛くて、冷たくて、けれど何度も読みたくなるそんな話。今回も例に漏れず、そんな作品だった。
ちょっと落ち着いたら感想を送ろう……、スマホに手を伸ばすと、マジカメのDMにメッセージが届いていた。

【本日は、新刊を買ってくださり、ありがとうございます。以前もメッセージをくださり、すごく嬉しかったです。】

その文を目に入れた瞬間、「ひぇ」と情けない声が自分の口から出た。認知されてる。でも、うれしい。自分の言葉が、彼女に届いていたことが、素直に嬉しかった。
そのままの勢いでメッセージを送る。本を出してくれたことに対する感謝、内容が神だったこと、それから救われたこと。
救われた。少しだけ、生きていてよかったと、今日、本を手に入れることができた僕は思えた。
他の人から見たらくだらないようなことで、作者である本人からしてみれば小さなことかもしれない。けれど僕は、彼女の書く文章が好きで、それに救われていた。
もしまた彼女の本を現実で買うことがあった時、僕は何を思うだろうか。
救われたとまた思えるだろうか。それとも彼女の文章を嫌いになってしまっているだろうか。僕がそのゲームをやらなくなっているかもしれない。そもそも、サ終しているかもしれない。
それでも、今の僕が彼女に救われたと思ったことは決して嘘じゃない。嘘じゃないから僕は彼女の本を手に入れているわけだった。それだけで今はいいのだと、僕は少しだけ泣きたくなった。

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