影の見えないスペクタクル
そいつの母親は、ボーダーの上層部の人間一人で、SEの研究をしている人だ。そして、というか、だからと言うべきか、SEのことが好きで、SEを持っている奴のことが好きな人だった。好きというか、熱を上げて研究しているというか、魅了されているというか、あれはもう依存に近いと俺は密かに思っている。
そして、そいつの母親の娘──つまりは「そいつ」に当たる人間──は、ボーダーに所属している隊員なのだが、SEを持っていない。この辺りの事情のせいで、そいつら親子はボーダー内で、変に悪目立ちしており有名だった。
ボーダー内にあるカフェテリアで、その母娘はボックス席に向かい合わせになりながら、話しているところを、俺は何度か見かけた。話しているといっても、それはもう説教みたいなものだ。一方的に母親が話しているのがほとんどで、そいつは泣くこともせず下を向き、一点を見つめている。
机の上には何も置かれておらず、食事中というわけではなく、ならばここにいる理由は説教するため/されるためだと、いやでも理解できる。いつものことだ。二人揃って食事をしているところを、俺は見たことがない。
「どうして、そんなこともできないの」
偶然聞こえたその言葉を、俺はよく覚えている。母親が娘に向けて放つ言葉としては語気も強く、針のようだった。実の娘にそう吐ける母親も、それに対して何も言わない娘も、俺には全く理解できない。
今日もその言葉が何度も空気を振るわせ、周りの人間は彼女たちの存在を無視したかのように過ごしている。
それから母親の方は自身の休憩時間を使い切るまで娘の方に説教をし続け、そして一時間ちょうどが過ぎてようやく席から立ち上がった。母親は娘の方を一度も振り向かずにカフェテリアから立ち去った。そして、立ち去る前に俺を見つけて、軽い挨拶だけをした。
「こんにちは、影浦くん」
そいつから突き刺さる好意がどこまでいっても純粋で嘘ではないからこそ、いつまで経っても俺は黙って頭を下げることしかできない。





母親が完全に去っても動かない彼女の目の前に、俺は座った。
「よう」
「……あ、影浦くんか」
彼女はすぐに顔を上げた。目が腫れているとか鼻水が出ているとかそんなことはなく、普通の顔だった。人畜無害そうな涼しい顔をしていた。
「お母さん、もう行ったんだ」
「気づいてなかったのかよ」
「うん、まあ、お母さんのお説教中は考えごとしてるから」
「何考えてんだよ」
彼女は少し黙り込み、「誰にも言わないでね」と言った後に、顔色ひとつ変えず、
「お母さんなんて死んじゃえなんてわたしが思いませんように、ってずっと思ってるよ」
と先程よりも少しだけ小さな声で言った。それを聞いて、俺はなんて返すべきかかなり迷い、結果、俺たちの間には気まずい沈黙が流れ続けた。
「……まあ」
「うん」
「そん時はそん時だろ」
「あははっ!」
何が面白いのか、彼女は俺の言葉を笑い飛ばした。そして、「その言葉、お守りにしておくね」と言った。
「航海のための道標、いつかの運命、人生という名の本の栞、辿り着きたい舞台への憧憬。そんな存在として、わたしの心の中で留めておくね」
そう言い切った時の彼女の表情を、多分あの母親は一度も見たことがないだろう。それに対して俺はざまあみろとただ素直に思った。

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