次の駅へ、そろそろ着く頃
電車に乗ることが苦手だし大嫌いだ。
基本的に駅構内や列車内は人が多くて息苦しいし、敷かれた線路に飛び込めと言わんばかりの高さのプラットホームは希死念慮を煽られている気持ちになるし、そしてなにより、電車に乗ることが怖い。
次の駅に本当に辿り着くのか、次の駅に必ず止まるのか、わたしは間違った電車に乗っていないか。
全部がストレスだ。
「でも、だから引きこもりなわけじゃないんだよね?」
「……うん、まあ、わたしが今こうなってるのは、成り行きみたいなものだから…………」
「……見かけない内に、随分と大変そうなことになっていたんだね」
鶴喰くんは、わたしのかつての友人だった。わたしの高校時代の友人だった。おんなじクラスで、隣の席で、漫画の話とか、そういうことをしていた記憶がある。でもわたしが精神を病んで箱庭学園を退学してから、彼と直接会ったことはなかった。連絡先は交換していたからメールか、もしくは季節の挨拶として手紙を送っていた。そういう交流しかしていなかった。
「わたしが大変なのは、今に始まったことじゃないよ。鶴喰くんだって覚えているよね。隣の席で急にわたしが自分の腕をカッターで切り付けたこと」
「…………忘れられないよ、あんなこと。あれがあったから、私は君を病院に勧めたわけだし」
別に、鶴喰くんに勧められる前から病院は通っていた。退学するずっと前から、わたしは通院していた。中学校の頃に酷くなった精神をなんとか正常に戻そうとして、良いところまでいったけれど、結局高校には馴染めなくて、退学した。
「鶴喰くんは、電車が怖くないの?」
「ない。君を目の前にして直接は言いにくいけれど」
わたしと鶴喰くんは、列車に乗っている。ボックス席に、向かい合う形で、座っている。
鶴喰くんは彼の所属している会社からの施し(という表現は正しくないかも)みたいなもので、旅行券を頂いたらしい。それはペアチケットだったらしく、彼はわたしを誘った。
鶴喰くんに友人はいる。人吉くんとかその辺りの人たち。わたしはその辺りの人たちと関わりはないのだけれど、そんなわたしでもその辺りの人を誘うべきだとは思う。
でも鶴喰くんはわたしを誘った。わたしは、それを断らなかった。好意や善意を無下にするのが怖かったからだ。そしてわたしは、鶴喰くんの真意を知らない。
「列車は必ず次の駅に辿り着くなんて、鶴喰くんは本気で思ってる?」
「本気かどうかはわからないけれど、ある程度は信じているよ。私はそこまで捻くれているつもりはないし」
変わってしまった。鶴喰くんは。
それは多分とても良いことで、だからこそわたしは彼を直視できずにいる。
「列車は、次の駅へ。それは殆どの場合、必ず、絶対に変わらない。そしてそれは人も同じで、貴方は、……貴方も、次の駅に向かった。それがどんなに難しいことか」
鶴喰くんは、社会人になっていた。
真面目で、しっかりしていて、真っ当で、ちゃんとしていて、大人になっていた。卒業して、就活して、髪を切り、スーツを着て、ただしい人になっていた。
わたしは、箱庭学園を中退して、心療内科に通院しつつ引きこもりをしている。
鶴喰くん本人がどう思うかというよりは、世間がどう思うかだ。世間は、鶴喰くんを素晴らしいと称賛するだろうし、わたしを愚かだと見下すだろう。死にたい、と思って、死ぬのは痛いから嫌だとも思う。
鶴喰くんはわたしの言葉に長い間沈黙をして、ようやく数分後に言葉を返した。
「……だから、私は君を誘った」
その言葉に、わたしははじめて顔を上げた。
電車に乗ってからずっと自分の膝を見ていたわたしは、今日はじめて鶴喰くんの顔を見た。
「いままで、君と一緒に、次の駅に行くことができなかったから」
わたしは、箱庭学園を退学した。
それは、ちゃんと卒業式を迎えられなかったということで、卒業証書も卒業証明書も貰っていないということでもあった。
鶴喰くんは、ちゃんと卒業式を迎えられた。
わたしは、彼と一緒に入学して、一緒に卒業できなかった。
彼は次の駅に向かい、辿り着いた。自分の足で、自分の意思で、彼はその場所にいる。わたしは、まだ停滞したままだ。その場で倒れて、いじけて、挫折したままだ。だから、わたしもいつか、次の駅に行くべきなのかもしれない。それがいまか、もう少し先か、もっと後か、わからないけど、はじめて、駅が見えた気がした。駅を、見ようと思えた気がした。
「……………………とりあえず、通信制の高校でも通ってみようかな」
「へえ、良いんじゃない?」
鶴喰くんはちゃんとわたしの顔を見ていた。シャイだった彼はもういない。人の顔を見れなかった彼はもういない。
わたしはそんな鶴喰くんだからよかったと思い、とりあえず、今度、鶴喰くんに高校の説明会の同伴を頼もうと決めた。

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