灰色を見つけたいけど
「寧々ちゃん、わたしとキスできる?」
「……………………頬までなら」
また唐突な、と私は驚いたけれど、案外いつものことかもしれない、とも思う。えむなんかも唐突に話を始めることが多いから、慣れている部分もあるのだろう。
そしてそんな問いに対しての答えを私は真面目に考えた。考えた結果が先程の言葉だ。
それを聞いて彼女は「頬の前はどこ?頬の次はどこ?」とさらに問いかけてきて、ぱちんと駒を置いた。そして白い駒をひっくり返して、黒にしていく。私は次、どこに駒を置くかを考えながら、「頬の前が手の甲、頬の次が唇、かな」と言う。
彼女の問いの理由は、きっと類だ。類と何かあって、それについて考えたいから彼女のことも類のことも知っている私に問いを投げかけた。以前は友人とクラスメイトの違いについてずっと考えていた彼女は、ここ最近は類についてのことばかりを考えている。
「唇だけが特別なの?」
「うん、特別。頬とか手の甲とかは友達でもするかもだけど、唇だけは、本当に好きな人としかできない人が多いと思う」
そこまで言って、私はドラマや映画の存在を思い出した。俳優さんたちは、そこに愛がなくてもキスしている。偽りでも、気持ちがなくても、キスはできる。
でも、彼女が知りたいのはそういうことではないだろう。
ぱちり、と白い駒を置く。全ての物事がオセロのように白黒ついているわけじゃない。私はそれを、彼女と出会って関わってから改めて思い知った。
「……類と何かあったの?」
「類くんとのあいだで、何もなかったことがないよ」
確かにそうかも、と思う。人と人が関わり合っている間で、何もないことはない。私と彼女の間、そして私と類の間で何かが色々あるように、二人の間には二人の関係がある。
だから私と彼女の間に類が入れないように、私も類と彼女の間には入れない。
「……私はさ、二人のことが大好きだから」
「うん」
保健室はいつでも静かだ。様々な音が行き交う休み時間でも、相手の声がいやになるくらい聴きやすい。
「ふたりがしあわせなら、それでいいと思うよ」
ぱちり、と彼女が黒い駒を置く。「うん、ありがとう」と小さな声が聞こえる。彼女が置いたのは、四隅の角のひとつだ。それは、私がその駒を絶対にひっくり返せないことが決定した瞬間でもあった。





「寧々は恋人にキスをされた時に、吐き気を催すタイプかい?」
「そもそも私、恋人いないんだけど……」
類の問いにそう返して、心の中の私は二人の間で何があったのかを察してしまう。
フェニックスワンダーランドでの練習が終わったら、類と私は一緒に帰る。方向が同じだからそれがいつの間にか当たり前のことになっていた。そして、そういう時に、類は私にあの子についての話や質問をしてくる。理由は何となくわかるけれど、意図しない形で隠し事をしているみたいでもやもやとする。でも、あの子に直接言えない理由もわかるから、私は素直に話を聞くし、相談に乗る。あの子に言った、類とあの子が幸せになってほしいというのは本当だったから。
類は私の前で彼女の話をする時も顔色を変えない。彼女は、類のどんな表情を見ているのだろうか。
「たとえばの話だよ」
「……まあ、吐き気はしないんじゃない?」
普通はそうだ、と誰もが言うと思う。でも私は、あの子と出会ってから、普通とか常識とか、そういう言葉で傷つく人の存在を知った。だからこれは、あくまで私の意見だ。
夕日に私と類の影が伸びる。類はそれをじっと見るように、立ち止まった。それにつられて私も立ち止まる。
「でも私は、あの子じゃないから」
「……………………うん」
「類の恋人はあの子だから、あの子のことはあの子に聞かないと」
類は「……そうだね。その通りだよ」と小さく言った。似てるなあ、と私は心の中で誰に言うわけでもなく思った。







「……………………、ねえ」
「どうしたの、寧々ちゃん」
「……頬にキスしてみてもいい?」
「いいよ」
彼女はあっさりとそう答えた。
私は彼女の話を聞いて、類の話を聞いて、私には直接関係なくても、大切な幼馴染と友人の関係が、少しでも本人同士の間で納得するように、ずっと色々考えていた。それで、あの日彼女が私に聞いてきたことが、ずっと頭から離れなかった。
だから、口が勝手に動いていた。
「じゃあ、……失礼します」
「はい、どうぞ」
今、保健室には誰もいない。先生は職員室へ行き、幸いなことに他の生徒はいない。もちろん、類も。彼女と私しか、いない。
類にこれを知られたら、怒られるのは私と彼女、いったいどちらだろうか。
彼女の頬に手を伸ばす。日に焼けていない白い肌は、陶器のように思えた。彼女は瞼を閉じた。どく、どく、と心臓の音がやけに鮮明に聞こえる。
私に、彼女に対する恋愛感情はない。でも、これは、側から見て私は、そして彼女はどう思われるだろうか。
ぐるぐると私の脳内は忙しく動く。今まで見てきた映画のワンシーンが、流れる。ローマの休日、ロミオとジュリエット、美女と野獣、ティファニーで朝食を、眠れる森の美女、タイタニック、マイ・ブルーベリー・ナイツ、白雪姫、シンデレラ、────そして、類と彼女。私の脳内で駆け巡るキスシーンのどれもが、男の人と女の人が唇と唇を合わせるものばかりだ。そして唯一、想像である二人もきっと────────
私のくちびるが、彼女の頬に触れた。
それは一瞬という言葉が似合うくらいの時間で、私はすぐに彼女から離れた。
私は、おそるおそる彼女の顔を見る。
「…………え、」
彼女は、今にも死んでしまいそうな表情をしていた。口を手のひらで抑えて、顔色は真っ青で、少しだけ息が荒かった。目は私を見た後、彼方此方へ、ぐるぐる動いていた。そこでようやく、私に焦りと後悔が襲い掛かってくる。ごめん、と私が声に出すより先に、
「……ぅえ、」
口を抑えていた指の隙間から、黄色味を帯びた液体が、ぼたぼたと滴り垂れる。酸っぱい匂いが広がって、何が起こったのか、瞬時に理解できてしまう。そして私は、その瞬間にようやく類の気持ちを知ることができたのだった。
「ごめん」と今度こそ声に出すことができた。それに対して、「だいじょうぶ」と弱々しい声が返ってくるだけだった。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -