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 学校の敷地に再び足を踏み入れながら、部活は大丈夫なんですか、と聞いたら烏養さんはなめんな、と笑った。

「ガキひとりの話聞く時間くれえあるっつうの」
「わ、わー。かっこいい惚れた」
「おーそうかそうか心の籠もってねえ言葉サンキューな」
「バレましたか」
「だから言ってんだろ。お前はわかりやすいんだって」

 校舎に沿う形で歩く。生徒用じゃなくて、職員玄関の方へ回ると丁度、来客の入校証を貰うスペースがある。そんな形式ばった受付をしなくても、烏野のOBの人は結構自由に構内を行き来してるけど烏養さんは「何か問題があったら俺じゃなくて部に関わるからな」と律儀に受付を済ましていた。意外だ。
 受け取った入校証を鞄にしまいながら、烏養さんは周囲を見渡す。つられて私も辺りを見るけど、特に何も変わったことがない。でも、彼にとっては違うみたいだ。

「いつ来ても懐かしいもんだな」
「そうなんですか?」
「おお。最近毎日ここに来てるけど、そうすっと学生時代に戻った気分になる」
「へえ」
「体育館行く途中の裏庭、自販機からすぐんとこにベンチあったよな?」
「あ、はい」

 私の返事を聞くと、烏養さんは一度受け付けするために脱いでいた外靴を履くために再び玄関に戻った。その後を追う。彼の足がその中庭に向かっていることには、すぐに気付いた。
 自販機で烏養さんはスポーツドリンク、私は烏養さんに時間がないと分かりつつも迷いに迷って、結局紅茶を買った。お金を出そうとしたら烏養さんが「いーよ。五分以内に決めたしな」って言って、奢ってくれたので素直に好意に甘えておく。

「んで?」

 ペットボトルの蓋を開けながら、烏養さんがそう切り出した。聞いてもらおうと思った手前、どう説明したらいいのか分からず私は口を噤んだ。
 何せ相手は烏養さんも知ってる男の子の話だ。からかわれるのは目に見えてるし、烏養さんがそれを聞いて影山くんに何か言うんじゃないかという不安もあった。そこは口止めしておけば済む話だけど。

「言わねえなら言ってやろうか」
「は」
「影山だろ」
「なっ、んで」
「ビンゴか。分かりやすくて手間省けたな」

 ごくごくと喉を鳴らしながら、烏養さんはさらりと続けた。そのままさっき話していた中庭のベンチに座る。その後を追いかけながら、私は声を荒くした。

「なんで分かったんですか!」

 まわりに誰もいなくてよかった。自分でも驚くほど、その声は動揺していて大きかったから。彼は臆することなくペットボトルを自分の片隅に置くと、宙に放った足を組んだ。

「まあ、こないだのアレもあるからなあ」
「アレ、?」
「一緒に帰ってただろ」
「や、あれは偶然で!」
「偶然でもなんとも思ってねー奴とは一緒に帰るような性格じゃねーだろ、あいつ」
「……」
「だから付き合ってんのかって思ってたんだけどよ」

 青々とした木々が茂る中庭はがらんとしていて、昼休みに見る風景とはまるで別の場所のようだった。遠くのグラウンドから体育会系の声が聞こえたり、校舎内からブラスバンド部の音色が聞こえたり。それ以外に、音はない。
 その空気に、私の「付き合ってないですよ」という声がやけに深く浸透していった。

「振られちゃいました」
「そうか」
「まあ、その。はっきり言われたわけじゃないんですけど」
「じゃあ何でだ?」
「……好きって言ったら、怖い顔……というか、傷ついた顔されちゃって」
「……」
「たぶん、私が高望みしちゃったんです。友達になれただけでもすごいことなのに、その上を望んじゃったから」

 烏養さんは冷静に耳を傾けてくれていた。からかうでもなく、同情するでもなく、淡々と。それが有難かった。もしここで慰めの一つでも言われたら、簡単に私は泣いてしまいそうだったからだ。
 誰にも言えなかった。はっきり断られたわけじゃない。でもひどく、拒絶された気分だった。そんな本音を零せたことは、自分が思っている以上に自分を救ってくれているようだ。

「それが、こないだの日曜だったんで、まだ日が浅くて。それで凹んでるだけです。たぶん、すぐ大丈夫になる」
「それでいいのか?」
「うーん……分かんないです。でも、こうして烏養さんにこうやって吐け口になってもらったんで、ちょっと楽になりました」

 ここで洗いざらい言って、すっぱり忘れてしまえば楽なのかもしれない。時間が解決してくれるのを待つことだって悪いことじゃない。徐々に、今は無理でもいつかまた友達として話せる日が来るのなら。

「試合中な」
「え?」

 彼はどこか、遠いところを見ている。
 時間が圧しているだろうに、そのことを押し隠してくれている事実だけで私は充分感銘していた。誰かに聞いてもらっただけで、今朝の気分とは雲泥の差だ。烏養さんはペットボトルの蓋を指で弄りながら続けた。

「影山は滅多に笑わねえんだよ」
「は、あ」
「元々ああいう奴だからな。どんなに好きなコト≠オてても。まあ、たまに顔面ニヤついてる時もあっけど」
「……そう、なんですか」
「不器用なやつだよな。そういうところはてんでガキらしくねえ」
「何が、言いたいんですか?」
「まあ影山のことはさておき、だ」

 紅茶の缶のプルタブを起こそうとすると指先がその固さに負けて、少しじんとした。口を開けるのにもたついてる私を、烏養さんは一笑した。

「どんな試合でも終了まで諦めねえってのは基本だぜ」

 夕暮れは薄く、着実に夏が近付いてきていることを知らせている。それでも時折頬を撫でる風はまだ冷たくて、その暑くも寒くもない気候が心地よかった。