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「勝ち負けじゃねーだろ!」
「とか言いながら張り合ってたのはどこのどいつだよー」
「スガさん、バカ二人に付き合わなくていいっすよ」
「そうだなー。あー腹減ったー」
「バ、バカって」
「影山、日向。おめーらのことだよ」
「田中先輩酷え!」

 いっきに騒々しくなった室内で、あからさまに嫌悪を示した溜息が聞こえた。
 烏養さんだ。苦々しい顔をしてレジのある場所へ戻ると一気に空気を吸い込んで、そして。

「おらバレー部! 店ん中でぎゃーぎゃー騒ぐな!」

 一番騒いでるのはあなたじゃないですか、と言いたくなるような怒声を上げた。
 ぴたりと止まる男子の喧騒。やっちまったって顔が四つ。どれも烏野高校の制服だった。部活帰りなのだろうか、まだ夏は先なのに黒いジャージの上着を脱いでTシャツ姿の彼らは一斉に静まり返り、やがて居たたまれなさに各方向へ散らばっていった。
 その中で私は見たことのある人物の姿を見つけた。

(同じクラス、の、)

 影山くんだ。クラスの男の子の中でも、ちょっと近寄りがたい雰囲気のある人。授業中も休み時間も寝ているせいか、教室じゃ少し浮いた、というか、一線引いたような存在で。そんな彼が誰かと一緒に坂ノ下商店へ訪れているっていう事実に私は純粋にびっくりした。
 ジャージってことは部活帰りだろうけど、何部だったっけ。そんなことも思い出せないくらい私と影山くんの間には、接点がなかった。クラスメイトっていうただひとつの接点だけだ。でもその接点すら、彼は把握していないかもしれない。
 私の近くを通り過ぎていく男の子の背中を見る。その背中にプリントされた文字をなぞるように、視線で一文字一文字読み取っていく。「烏野高校排球部」。影山くんも同じものを着ていた。

 握り締めていた紙パックを胸に抱くように持ち直し、盛大に眉間に皺を寄せた烏養さんのほうへ一瞥を向ける。
 その間も次々と彼らはお目当ての物を手にし、レジへと近付いて来た。そう時間もない。私はもう一度「ありがとうございました」とだけ烏養さんに告げ、小さく会釈をすると坂ノ下商店から足を踏み出した。
 途端、ふわっとした湿気の風が頬を撫でる。別にやましいこともないくせに、お店の横に並んでる自販機の一番端っこの電信柱まで駆け足で進む。店の出入り口からは視界に入らない場所まで来て、ようやく私は一気に息を吐き出した。
 烏養さんから貰ったストローの袋を開け、紙パックに差し込みながら電信柱に寄りかかる。視界に入り込んだ空は青くて、澄み渡ってて、雲が少し高い位置にある。夏みたいな空だった。
 海から離れたこの町の気候は盆地そのもので、夏の兆しが見えない4月後半でも湿気の満ちた風は私の気分を容赦なく不快にさせた。
 野山の匂いというか、草の匂いというかとにかくそんな青っぽい何かを嗅ぎながらストローを咥える。
 何してるんだろう。何をしたかったんだろう。知り合いがいるわけでもないのからこそこそ隠れる必要もない。後ろめたく思うことは何もないんだと強く言い聞かせながらストローの先を吸い込む。
 独特のあの味に、喉がきゅっと伸縮した。

「あ、俺自販機で飲み物買うんで」

 途端、予想だにしなかった声が聞こえた。
 さっきのバレー部の集団がぞろぞろと店先から出てきたかと思えば、その中で唯一自分の知ってる人物がこちらに歩み寄ってくるからだ。

「ええ? 何で店で買わなかったんだよー」
「……売り切れだったんすよ」
「飲むヨーグルト好きだよなー影山」
「うるせえ」
「それ以上身長伸ばしてどうすんだよ!」
「俺の勝手だろーが」

 あ、どうしよう。
 迷う暇もなく私の真横の自販機の前に、影山くんは立った。たぶんもう少し左にずれたら、一発で私の存在がばれる。別に隠れてるわけじゃないけど飲むヨーグルト片手に電信柱と自販機の間のこじんまりとしたスペースに立ってるだけって、ただの変質者じゃないか。自分の状況を改めて考えてみると本当に変質者だ。これは通報されかねない。私だったら通報する。
 だからどうかバレませんように、と目を閉じて都合良く神様なんかに縋ってみたりしたけど。ちゃりん、と甲高い音が鳴って、私の足元に何かがぶつかる。
 無常にも影山くんの手からするりと逃げた小銭が、私の存在を彼に知らせる羽目になった。

「あ」

 改めて思う。
 彼はたぶん、同じクラスの私を知らない。覚えてない。認識してない。だけど何かのきっかけで認識されてしまったとき、その予備知識としてはひどい出会い方だったと思う。