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 砂利を踏みつけて、影山くんが私と距離を詰める。初めて一緒に帰ったときと同じだ。影山くんから、私との距離を縮めてくれる。その状況に、人知れず滲み出る嬉しさを噛み締めた。こんな時でも気持ちだけは素直だ。

「勝手に終わらすんじゃねーよ。つーか間違ってっから」

 そんな気持ちが、幻聴でも引き起こしたんだろうか。影山くんの言葉に、え、とか細い声が出る。いま、彼は。なんて、言った?

「断るん、でしょ?」

 私より何センチも高い身長の彼を見上げる。言葉の意味が信じられなかった。どういうことなの。口を開いても、喉が渇いてて乾燥しててうまく声が出ない。ぱくぱくと間抜けに何度か開閉すると、後頭部を掻きながら影山くんが「だから!!」と乱暴に言い放った。

「誰が断るっつったんだよ!」
「え、え、だって」
「あ?」
「か、影山くん。私が好きって言ったときすごい苦しそうな顔した」

 思い出したくないけど、今でも鮮明に描ける。
 好き、と紡いだ瞬間に彼は少しだけ目を見開いて、すぐに表情を歪めた。私の足元から転がっていったボールを拾って、そしてボールを元のあった場所に返すと、「また明日な」って言って帰っていった。そんな経験をして私が両思いになれないかなあ、なんて淡い自惚れや期待を抱けるような性格じゃない。というか普通に考えて無理だ。
それなのに影山くんは私の言葉に意外そうな顔をして、チッと軽く舌を打った。居づらそうに肩を竦めて、一度私から視線を逸らす。その隙を見て、逃げてしまおうかとも考えた。

「してねえ」

 でも、影山くんの言葉が私をこの場に留まらせた。

「し、してたよ」
「してねえっつってんだろ」
「じゃあ、なんで何も返事しないで帰ったの」
「……あれは、びっくりして」
「は、はあ?」

気まずそうに影山くんが前髪を掻き上げる。歯痒さを我慢してるような表情は、あの夜に見たものとどこか似通っていた。

「言っとくけどその態度取られたこっちの方が何倍もびっくりしたんだから」
「それは」
「それは?」
「……悪かった」

 その真意を聞くことを最初は拒んだ。でも、と意識的に一度だけ瞬きをする。どくん、どくん、と相手にも聞こえてしまいそうな鼓動の大きさ。それを掻き消すように、私は深呼吸した。
 臆病で小心者で、何か一つ決めるのに人より何倍も時間が掛かって、どうしようもない私だけど。今だけは、今だけは後悔したくない。手探りの状態で語彙力の波から慎重に言葉を選ぶ。

「……苦しそうにしてたら、迷惑だったかなって思うよだれでも」

 周囲に誰もいなくてよかった。たまに他の観光客は通るけどみんな大人だったし、傍から見たら私たちはただ並んで柵に腰を預けて座ってるだけだろう。そうだろう。それ以外に何もないだろう。実際そうだ。私と影山くんはただのクラスメートで、勝手に私が彼に片思いをして、我慢が出来なくなってそうして。今のぎこちない関係が出来上がっただけ。影山くんがどうこうって話じゃない。

 でも隣で柵に寄りかかっていた影山くんは、すごくすごく傷付いた顔をしてた。何も言わない。沈黙が広がる。どうして、と小さく搾り出すように紡いだ言葉は驚くくらい掠れてた。

「だから、なんで影山くんがそういう顔するのかな」
「……ちょっと待って」
「……」
「自分でもうまくまとまんねえの。だから、ちょっと、待って。頼むから」

 どうして、彼が。そんな疑問と共に不意に目頭が熱くなる。もやもやとした感情。
出口が見えない。自分勝手に作った迷路で迷い込んだんだから、無理やり出口を作ったってよかった。それなのに影山くんは、それを止めた。

「……期待、しちゃうんだよ」
「苗字?」

 このままじゃ、だめだ。このまま、何も言わないままうやむやになったら、私は変に勘違いして、期待してしまう。振られると思った言葉に待ったを掛けられて。
 ふわりと心が浮上するのを、抑えようとする。

「ちゃんと言ってくれないと、期待しちゃう」

 明確な言葉が欲しい。
 私の言葉に、影山くんが呻いた。ひどく、困惑しているような声で、私はますます分からなくなる。

「どういうことだよ」
「……だから、その。今は興味ない、とか、」

 そういうと、影山くんは目を見開いていた。先日、自分が放った言葉を私が知っていることに、すごくびっくりしているみたいだ。でも私はそれどころじゃなかった。

(あ、やばい)

 出口の見えない迷路の中で迷い、彷徨う迷子の気持ち。
 そんな風に思っていたら涙腺がじわっと熱を孕んでしまった。泣きそう。やばい。ぎゅっと目を閉じる。
 影山くんが困っているのは、どうして? 傷付けないようにしてくれている? そんな優しさを見せてくれるようなひとじゃないくせに。数日前に彼が彼を好いてくれていた女の子に向けて放った一言が忘れられない。
 どう違うっていうの。今は考えられないからって言って、きっぱり一線を引いてよ。じゃないと、もしかしたらっていう醜い自分が顔を出してしまいそうだ。

「だから、そうじゃねえんだって」

 わしゃわしゃと自分の髪を乱暴に掻き乱して、影山くんは続けた。

「うまく伝わるか、わかんねえの」
「……は」
「俺そこまで頭良くねえの、知ってんだろ」
「それ今関係」
「あんだよ! なんつーか、その、……あー……」

 そのまま頭を抱えるような形になって、ちょっと黙り込んでしまった。それから意を決したように、ぽつり、ぽつりと話し始めた。

「他の女子とは、違えんだよ。そりゃ、す、好きって言われてびっくりしたけど。今までは考えたことなかっただけで」

 影山くんの声を一字一句逃さないようにと耳を傾ける。

「苗字は、違う」

 タイミングよくまわりには誰もいなくて、私たち二人きりだけだった。杉の木の狭間から差し込む光だけが、燦々と地上に届いてる。辺りに舞う塵とか埃がその光に反射してきらきら輝いていた。

「……影山くん」
「何だよ」
「い、言ってる意味がよく分からないんだけど……」
「う、うるせえ。俺だって分かってねーから困ってんだろ」

 そういう、きらきらした空間の中で、影山くんの顔を勇気出して伺う。
 いつもの冷静な彼がいなかった。動揺を隠すように口元に手を宛がい、視線を右往左往とさせている。こんな影山くん、初めて見た。
 影山くん、と名前を呼ぶ。困惑したようにさまよわせていた視線が、やがてゆっくりと私へ向けられた。強く光る瞳。何度も眩しさを味わってきたそれが、今は私だけに向けられている。早鐘を打っていた心臓がやがて、少しずつ少しずつだけど落ち着きを取り戻していった。でも瞼の熱さは変わらない。瞬き一つであっという間に涙腺は決壊してしまいそうだった。

「影山くん、ねえ、困ってるけど、でも……、嫌じゃない? ってこと?」

 唇が震えた。声が上ずっているのを取り繕うように、私はぎゅっと拳を握る。
 ほんの一瞬の沈黙を置いた後で影山くんが、深く頷いた。

「ほんとに?」
「こんな時に嘘なんか付かねえよ」
「だって、今は考えられない、って」
「やっぱお前、こないだ見てただろ」

 ここまで来たら隠すことも何もない。こくんと頷けば、盛大な溜息が聞こえた。「そのはずなんだよ」という自分への疑いの言葉とあわせて。

「でも、苗字に言われた時は頭ん中真っ白になっちまって。断るとか、そーいうことも考えられなかった」

 たどたどしい言葉は、嘘なんじゃないっていう確かな証拠を提示してくれているようで。
 その一字一句を聞き逃すまいと私は、影山くんをじっと見つめた。辺りは杉の木のお陰で日陰ばっかりだったというのに私の体は驚くほど熱かった。
 影山くんが俯く。

「なんでか、わかんねえんだよ。でも、たぶん」

 少し迷った素振りを見せてから、手すりに乗せていた私の手に、恐る恐る自分の手を乗せてきた。びくり、と無意識に肩が上下する。私の手に、影山くんの手が触れている。視覚的に捉えることで、更にその熱が上昇していくのを感じた。

「嫌じゃ、ねえから」

 私の熱が影山くんに移ったりしないだろうか。大丈夫、だろうか。そう思いつつも、じっとしていた。影山くんの手は私と同じくらい熱くて、指先がまるで心臓になってしまったみたいにどくどくと鼓動の音が聞こえる。緊張している。
 私と同じくらい。
 影山くんと触れている手とは別のそれで瞼を擦る。やばい、と反射的に思った。怖いとか驚いたとかそんな感情のせいじゃない。影山くんの言葉のひとつひとつが私の涙を引き出している。欲しいと思っていた言葉を、彼はくれた。こんなに幸せなことがあっていいのか、と自分の置かれた立場を考えてみてもうまく思考回路は繋ぎあってくれない。
 いつも明確な答えをくれる影山くんを、優柔不断な私は憧れていた。いつしかその気持ちは憧れの範疇を超えて、更に深く色を持った。

「影山くん」
「なに」
「……好き、です」
「俺、……」
「俺?」
「……も」
「も?」

 この二文字を、私は何度彼に伝えただろうか。その度に消費する勇気は、恥ずかしさに我慢ならないといった様子の末、彼から返ってきた「好きだよ悪いか」という答えの前に救われた。

「なに、悪いかって」

 目元を拭いながら、不器用な彼の言葉に、あはは、と声を上げる。澄んだ空気の中に、浮かび上がる声。不貞腐れたように影山くんは唇を尖らせた。

「悪いかよ」
「いや、悪くないんだけど。一世一代の告白だったからもっと、こう、ちゃんとした言葉が欲しいな〜って」
「……」
「影山くん?」
「……」
「おーい、影山く、……ふぎゃっ」
「すげー声」

 言葉では叶わない、なんて思ってるのか。それとも直情型なのか。重ねた手のひらを起点に、私の体が影山くんのほうへ引き寄せられたかと思うと、すっぽりと彼の腕の中に閉じ込められた。

「これで分かっただろ?」

 頭上で愉快そうな影山くん声が聞こえるけど、私はそれどころじゃない。さっきまで触れ合っていたのは手のひら一つ分だったのが、何倍にも広がったのだ。ばくばくと煩く鳴る心臓の音が、どうか伝わりませんように。そんな願いを抱きながら、じんじんと腫れるような熱に全身を埋めていった。

「……か、影山くん」
「なんだよ」
「こんな体勢で言うのもなんだけど、」
「おー」
「集合時間、やばいかも」
「……あ?! やべえ過ぎてんじゃねーか!」
「ちょっ、いきなり離っ、てか手!」
「走っぞ!」
「えっ、手、手!」
「いいから!」
「よくない!! 手ーっ!!」
「黙っとけ!」
「このままみんなのとこ行ったら死ぬ!」
「死なねえから走れ!」

 私も影山くんもそんなに会話が得意ってわけじゃない。話したいときに話すし、話したくなかったら話さない。そんな私たちが、手探りにいまの気持ちを綴りあっているのは、なんていうか、ちょっと滑稽だ。でも、確かめるように交わしては深くなっていく。たぶんこの先も何度も何度も迷ったり凹んだりするだろう。でも好きっていう感情さえ大事にしていけば、結果は変わらないんじゃ内かなって思った。そうやって、お互いのことを知っていけたらいい。私たちの歩調で。 
 今は全力ダッシュ! だけど。




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20131103/成瀬