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 高速に乗って、数時間。
 いつもとは違う風景に、歓声が上がった。手にしていた冊子を開く。四月の終わりに、私が一人夜遅くまで残って作成したあの遠足のしおりという名前の冊子が五月中旬になって、ようやくその出番となったわけだ。
 いま見てみると何部かは不器用にホッチキスが曲がってたり紙がずれてたりしてる。苦笑を零しながら配布するとクラスメートは「味があっていいんじゃない」と笑って許してくれた。
 それから数日後の土曜日。私が願った甲斐があったのか、天気は快晴。
 五月の爽やかな陽気が降り注ぐ中、私たちの学年を乗せた数台のバスは何度かの休憩を挟みながら目的地である平泉に到着した。

「わー。初めて来た」
「金ピカのお寺あるんだっけ?」
「そうそう。金色堂?」
「あ、そんな名前」

 友人と連なって、観光名所である中尊寺の境内を歩く。見渡す限り烏野生ばっかりで、いつもの学校の風景とそう変わらないけどやっぱりどこかわくわくする。非日常っていうか、やっぱりイベントっていう空気が良い。
がやがやとした騒々しさの中で先生が「はぐれるなよー」とやる気のない声を出す。その前を、3っていう旗を掲げたバスガイドさんが歩いてる。その後ろを大人しく付いて行く担任に何となく下心があるような気もする。大丈夫かな、独身。そんな変な心配をしてると案の定男子からは「ガイドさんに手出すなよセンセー」って茶化されてた。
 クラス単位でまとまって本堂の入り口まで行って、そこから先は時間まで自由行動ってことになった。

「名前ー、一緒に回る?」

 有難いことに仲良くしてくれる子達がそう言ってくれたけれど、私は両手を合わせた。ちらりと視線を前方にやる。ガイドさんに話しかけようかどうしようか迷ってる担任の先生の姿に、同級生たちは「ああ」と苦笑した。がんばれ、と同情まで貰った。
 学級委員というのはここまで来てなんか色々雑用任されてる立場なんだって初めて知った。というかもしかしたらうちのクラスだけかもしれないけど。

「せんせー、鼻の下伸びてる」
「うるさい元々」
「それもどうなんですか」
「いーから、さっさと下見いくぞー。つかもう面倒だから苗字一人でも良いけど」
「暴君!」

 この後の集合写真に備えて、いくつか場所の下見とかカメラ屋さんに日時伝えたりとかそういうことをしてるうちに、あっという間に自由時間は半分以上減ってしまった。
 ようやく解放されて、周りを見渡してみても知り合いのひとはいなかった。しょうがないなあと思いつつも、せっかくの観光なのだからと歩き出す。
左右には高くそびえる杉の木がどこまでも並んでいる。いまどこにいるんだろうと、私は入口で貰ったパンフレットを開いた。この坂は月見坂というらしく、どうやら例の金色のお寺があるところとは真逆の方へ来てしまったらしい。どうりで人が少ない訳だ。砂利の音を鳴らしながら、長く続く道を歩く。

「い、意外と長い」

 そのうち終わりが見えてくるかもしれないけど、私はその途中で歩みを止めてしまった。道の脇に設けられた手すりに寄りかかり、ふうっと息を吐く。ここまで来たのは良いけど、この先は県道にぶつかるだけで何もない。戻る時間も考えて、引き返そうかと思った時だった。
進行方向の先に、見知った姿が現れた。

「あ、」
「……よう」
「影山、くん」

 一週間前の日曜日から、意識的に話すことをしなかった相手が何の前触れもなく現れた。意図してたわけじゃないのに、こういうタイミングが訪れてしまった。前の私ならちょっと嬉しいかも、なんて身勝手な感情抱いて終わり、だった。でもいまは、

「ど、どうしたの? そっち入口だから何もなかったでしょ」
「あ? あー、まあ」
「あ、もしかして影山くんも迷ってた? 私もなんだよね」

 沈黙が怖い。

「すごい広すぎて、どこ行けばいいか分かんなくて適当に歩いてたら、名所っぽいとこと真逆に来ちゃったみたいで」
「……」
「でもあともうちょっとしたら、集合時間になっちゃうからさ。影山くんも戻った方がいいかも」

 あんなに心地いいと思った影山くんとの無言の時間が、いまは怖くて仕方がなかった。何か話していないと、あの話の続きを、悪い方向で蒸し返されそうだと直感していたからだ。

「苗字」
「私は、その、歩き疲れちゃったから、ちょっと休憩してから行くね。だから、」
「こないだのことで」
「……っや、」
「苗字?」

 きっと影山くんにとっては迷惑なだけだった。何度か彼が他の生徒から告白されてるってうわさも聞いたことがある。全部断ってる。その中の一つ、影山くんにとって私の告白なんてそれくらいにしか思ってないかもしれないけど。

 こないだ、っていう切り出しに、咄嗟に耳を塞いだ。

 卑怯だ、私。
 答えが欲しい、なんて言いながらいざその場面になると傷付くことを恐れてる。また自分を守ろうとしてる。悔しくて恥ずかしくて、こんなみっともない自分なんか見ないで欲しかった。
 それなのに影山くんは真っ直ぐあの強い光を携えた目で私を、見つめてくる。いやだ、と唇を食んだ。
 お願いだから見ないで。眩しい。自分勝手でごめんなさい。でももう無理なんだと思う。
 色んな言葉が浮かんでは消えていく。どのどれもが喉を通ることは叶わず、ただ一言、「好き」という単語だけが何の躊躇いもなく空気を揺さぶった。

「思うだけでいいから。……へ、返事は要らないから。ていうか振られるの分かってるから!」

 押さえることは、とっくに出来そうになかった。