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 そうかもしれないけど、どうしろっていうの。
 
 放課後、クラスの提出物を届けに行く最中、私は踏み出した足を素早く後退させた。ここ数日晴れ渡っていたはずなのに、今日になって突然の雨降り。そんな中で、通りかかった渡り廊下の隅に影山くんを見つけたからだ。やばい。反射的に、身を隠す。
 影山くんがいる場所から死角になる壁に身を預けて、それから彼が通り過ぎるのを待とうとしていたけれど一向に足音は聞こえてこない。恐る恐る顔の半分だけを覗いてみると、影山くんはさっきと同じ場所に立っていた。通行中、ってわけじゃないみたいだ。何をしているのか、という疑問は、彼の一言で掻き消された。

「悪いんだけど」

 雨がしとしとと降る。
 湿気を帯びたプリントの束を握り締める。視界の先、影山くんと知らない女の子がいた。

「今は考えてねーから」

 告白だ。影山くんよりずっと身長の低い女の子が彼の前で俯いている。その顔は赤く、誰から見てもその現場がそういうものなんだって分かる。きっぱりとした口調、事務的に話すその言葉の切れ端に崩れていく彼女の表情。
 これ以上見たくなくて、私は視線を逸らす。つんと鼻の奥が痛くなった。誰かの告白現場を見たこと、しかもそれが叶わなかったこと。何よりその相手が影山くんだったこと。三重の苦しみと、影山くんの淡々とした口調とが合わさって私の鼓動を速くしていく。
 やがて、ごめんね、という声が聞こえて一つの足音が早々とこの場から離れていく音が聞こえた。息を、吐き出す。長く、深いそれは第三者である私が吐くべきものじゃない。本来ならそうだろう。でも、私もあの女の子と同じ立場だ。そしてその結果だって、きっと。
 いつの間にかくしゃくしゃになってしまったプリントの癖を直す。

(同じなら、いっそあんな風にきっぱり言ってくれた方がまだ諦められる)

 今は考えてないから。
 冷静な影山くんの声が嫌に反芻する。答えはとっくに貰ってる。それを受け入れ切れていないのは、直接聞いていないから。あの子にはあの子への、私には私への。はっきりとした言葉が欲しかった。うやむやにされたまま、ただ時を待つなんてことは一番残酷だ。
 もっと、と望んでしまった罰。それならなんてひどいひとなんだろう。
 静かに去って行く足音。もう一度先程の場所を見ると、影山くんもどこかへ行ってしまったようでその空間はぽっかりと空白が浮かんでいた。

 それでも、諦められずにいる。それほど好きなんだって、無性に再認識してしまった。

 職員室の扉の前で、丁度担任の先生に会った。室内へ入る手間が省けたと言わんばかりに「せんせー」と声を張ると彼はこちらを振り返って、おお、と返事をした。集めたプリントを渡す。

「助かった」
「いーえー。どうせ学級委員ですから」
「どうせとかいうなよ。評定ハンデやるから」
「嫌ですよ賄賂みたいで」
「ま、ハンデとか抜きに真面目にやってくれてるからな。助かってるのは事実だぞ」
「やった。成績表楽しみ」

 確かにこの仕事をしていなかったら、クラスのほかの子たちはもちろんのこと影山くんと頻繁に話すきっかけもなかったなと思うと割かし悪いことでもない気がした。

「そんで、その真面目っぷりを買ってもう一個」
「げー」

 教師の手のひらで踊らされるような扱いされるのはいやだけど。
 盛大にいやな顔をしていると、先生は職員室の自分の机まで一旦帰って、それから何かを手にこちらへ戻ってきた。
 首を傾げる。でもすぐにそれが何なのか理解した。

「これの出番だぞ」
「遠足って。そういや今週の土曜日でしたっけ」
「そ。金曜のLHRで説明するけど、先に明日の朝にでも配っといてくれるか?」

 クラス全員分のしおりを受け取る。少し前に私が一人で放課後に作成したやつだ。はい、と返事をする。もう時間も遅いから、早く帰れよと言って私を見送ってくれた先生に軽く会釈してその場を離れる。
 少しだけ重たいそれを両手に抱えながら、教室へ戻る道すがらで先ほど通った渡り廊下に差し掛かった。何もなかったかのようにいつもの光景を保ったままのそこを、私は早足で通り過ぎる。
 もう何もない。何もないはずなのに、少しだけ息苦しかった。影山くんがいた場所を見ないように努めた。
 そうじゃないと、さっきの場面に自分の姿が重なってしまいそうだった。唇を噛み締める。雨は止む気配がなかった。土曜日。晴れるといいなあ。そんなことを思いながら、曇り空を眺めてやり過ごした。